――歪な色彩、不可思議な風景、静かなる風が吹く世界。

 ――佇むは2つの影、地に伏すのは無骨な残骸。

 ――そして夕焼けに背を向けながら近付く、空を翔る1人の少女。

 ――漸く終わったのだとという、実感が体の底から湧き上がってくる。

 ――全身の力を抜いて、その場に腰を下ろそうかと思い至った瞬間


「聖君!!」


 ――急降下しながら俺へと一直線に飛び込んでくる少女の姿が目に映った。

 ――その勢いは正しく、今の俺の状態を一分たりとも鑑みないレベル。

 ――彼女の表情に広がる安堵と喜色を見遣りながらも、急接近によって俺の不安は一気に増大して……


「のわっ!?」


 ――疲弊した体に緩く圧し掛かった。

 ――急激な減速とバリアジャケット解除によって、運動エネルギーをそのままぶつけられる事は無かったが、それでも疲れた状態に彼女の柔らかい感触は少しキツイ。

 ――2,3歩後ろに下がりながら受け止め、何とか転倒だけは免れる。


「無事で良かった……本当に良かったよぉ!!」


 ――彼女は泣いていた、そして笑っていた。

 ――力一杯に俺をきつく、キツク抱き締めながら……。

 ――まるで子供が大切な玩具を守るように、決して離さないようにしている。

 ――隣の小さな少女に目を向ければ、両手を挙げて「やれやれ」といった様子で助け舟を出そうともしない。


「聖君が居なくなったら私、私!!」

「あぁあぁ……」


 ――やはりと言うか何と言うか、コイツの心配性はそう簡単には治らないらしい。

 ――背中に回される腕の締め付けは更に強くなって、俺達の隙間は1ミリたりとも存在しない。

 ――だけどこうして、誰かの想いに守られている事を実感出来るのは、きっと何よりも大切な事なんだろう。

 ――今までは見向きもしなかったその温かさ、彼女に倣うように両手でしっかりと抱き締める。


「大丈夫だ。俺は此処に居るから」


 ――震えるその肩を、華奢なその体を、決して離さないように……。

 ――大丈夫、大丈夫と繰り返して、静かに彼女の耳朶を打つ。

 ――きっと辛かったんだろう、友達を置いていってしまった事が。

 ――俺が言ったから俺の責任、とは簡単には考えられないコイツだから、きっと責任を感じていた筈だ。

 ――でも大丈夫、俺はお前の傍から勝手に居なくなるつもりは無い。

 ――誰が何と言おうと、己の意志で隣に居続ける。

 ――離れてなんかやるものか。


「お前の傍に、ずっと居るから」

「約束だよ? 絶対に約束だよ?」


 ――ポンポンと優しく背中を叩いて、彼女の請うような言葉に応える。

 ――そんな必死にならなくても、最初からそのつもりだって。

 ――全く、やっぱりコイツは子供だよ。

 ――その実感が全身を通して理解に至って、そこではたと気付いた。


「悪い、お前に食って貰おうと買った桃、無くしちまった」


 ――自分の両手ががら空きだった事、提げていた重みがいつの間にか無くなっていた事。

 ――気を紛らわせる意味で笑いながら言ったら、「もう……」と呆れたように呟かれた。

 ――少ない身銭を切った訳だから、本心では少々勿体無い気がする。

 ――だけど、今の彼女の表情には暗い影は微塵も無い。

 ――そう考えれば悪くはないし、寧ろお釣りが来るようなものだ。


「それじゃ代わりに、一つだけワガママ聞いて……」

「あぁ」


 ――互いに身動きの取れない密着状態。

 ――そんな中で彼女は、俺を間近で見詰めている。

 ――綺麗に澄んだ瞳が真っ直ぐに、一分の隙間すら逃さずに俺の双眸を射抜く。

 ――微かに上気し赤らんだ頬、艶やかさを孕んだ表情に心臓が高鳴る。

 ――そして彼女は


「なまえを、よんで」


 ――満面の笑顔で、たった一つのワガママを口にした。





――それは、少年と少女の誓い――



――どんな壁も越えると決めた、繋いだ手の証――












少年の誓い

〜魔法少女リリカルなのはAs〜


NルートEnd「なのは〜その笑顔は星の輝き〜」











〜Interlude side:NANOHA〜



 その事実を知った時、私は驚愕せずにはいられなかった。

 サーチャーで確認した魔導師、その姿があまりにも想像と違っていたから。

 あれだけ高速で複数の転送魔法の使い手は、単純に才能だけでは済まされないスキル。

 だと言うのに、自分の目で確認したその相手は――――私と殆んど歳の変わらない女の子だった。

 肩口で切り揃えられた茶髪と、瞳に澄んだ青色を湛えたその子は、漆黒の法衣を纏っている。

 そして何よりも、彼女自身に単独戦闘のスキルが無かった事。

 私が接近した事に気付いた時も、10体程の傀儡兵を転送しただけ。

 攻性魔法の一つも使わないまま私に捕縛され、そのまま糸が切れたようにプツリと気を失ってしまった。

 結界の上書きと、聖君の身柄を確認した後、ヴィータちゃんを通してはやてちゃんに連絡。

 聖君の誘拐事件に携わっている現在、今回の事を報告する必要があったから。

 そして後日、彼女から話を聞くと……


「あの女の子、何も覚えとらんみたいや」


 自分がどうしてあの場所に居たのか、そして間接的ではあるものの聖君を襲ったのか。

 何よりも自分が魔法を行使していた事が、一番分からないらしい。

 その少女(名前をルミナ・カーマイン)は管理局の管理世界の出身ではあったけど、魔法とは無縁の生活をしていた。

 それは彼女の家族からの証言も取れていて、真実である事は間違い無い。

 でもある日突然、彼女が行方を眩ましてしまった。


「ちょっと引っ掛かってな、フェイトちゃんに聞いたんよ。そしたらビンゴ」


 私達の共通の友人である、フェイトちゃんが携わっていた事件。

 次元世界規模で起こった誘拐事件、行方不明中だった3人の内の1人が当の少女ルミナ・カーマイン。

 そして数日後、残りの2人も無事に発見されたらしい。

 フェイトちゃんは最後まで何が何だか分からないといった顔をしていたけど、まずは事件が無事に収まった事を喜んでいた。

 遂に聖君の関わる事件とその誘拐事件が繋がった訳だけど、その張本人たる黒衣の人物はあの時以来姿を現していない。


『やはり調整中の彼女ではこの程度が限界か』

『アレも……『座』も不完全なまま、これでは意味が無い』

『ハギオス、今回は私の負けのようだ。でも――』


 ――いつの日か、君の許に現れるだろう。

 調整、座、聖君をハギオスを呼ぶ理由。

 結局何一つ分からないまま、彼を巻き込んだ事件は終わりを迎えた。

 最初はいつまた襲われるか分からなかったから、現場復帰の傍らに警戒はしていたんだけど……。

 今でもその音沙汰は無い。

 本当に現れるのかな、そんな疑問……

 もしかしたら諦めたのかも、という安堵……

 綯い交ぜになったままだけど、時は正確に、そして確実に刻み続けていました。

 2年、それだけの時間が……。

 …………

 ………

 ……

 …





 静かな涼風、程好く照り付ける朝日が視界に広がる。

 その中でリノリウムの床を打ち鳴らす、軽快な靴音が響いていた。

 目に映るのは、一定間隔で置かれたドアの列。

 シンシス・シェルビー、エルウィ・ブルセック、ガルゴ・ドラクオン……

 記されるネームプレートを心中で読み流しながら、その横を通り過ぎていく。

 そして……


『ヒジリ・ミズシロ』


 その一点に、双眸が固定された。

 目的地であるその場所に着いた私は、懐から取り出したIDカードをセキュリティ用のリーダーに通す。

 間も無くランプが点滅して、ガチャと扉のロックが外れた。

 そのままノブを掴み開け、室内へとそそくさと入っていく。


《It only have to be lofty more(もっと堂々とすれば良いのでは)?》


 胸元で明滅しながらそう言う彼女に、指を立てて沈黙を促す。

 一応今は早い時間、きっと家主である彼は睡眠中だから念の為。

 早起きが性分の彼でも、連日の仕事に体も参ってるみたい。


(確か、陸士108部隊に出向任務だったんだよね?)

《Yes, doing is done by being when it is finished at last in yesterday and it returns.(はい、昨日漸くそれを終えて戻ってきたらしいです)》


 音を立てないように、念話を用いて会話を進める。


(108部隊って事は、はやてちゃんも一緒の筈だよね……)

《Yes, to the way in the communication from the apocrypha.(はい、アポクリファからの通信ではそのように)》

(2人一緒の職場なんだよね……)

《Uh,master(あの、マスター)?》


 胸の内に広がる、黒々とした感情。

 確かに空と陸だから一緒になる事なんて殆んど無いけど、だからってこれはあんまりだと思う。

 私は戦技教導官で空戦魔導師、彼は陸戦魔導師という立場の違いもあるのは確かだけど……。

 どうしてはやてちゃんは一緒になれて、私は駄目なのかな?

 レイジングハートの戸惑いも気にせず、心中から不満の言葉がどんどん漏れていく。


「あ……」


 そうして気づいた頃には、目の前でその当人を発見した。

 静かに深く呼吸を繰り返して、健やかな眠りに就いているのがよく分かる。

 最近また伸びだした前髪を指で退かすと、そこには力無く閉じられた双眸。

 本当に、グッスリ眠っている。

 その姿が普段の彼よりもずっと幼く見えて、可愛いなぁなんて思ったり……。


(ねぇレイジングハート)

《What(何ですか)?》


 今の彼を見て、何となく思い付いた提案。

 こんな目の前で熟睡されちゃうと、こっちまでそれがうつってしまいそう。

 だから……


(このまま一緒に寝ちゃおっか)

《......I must like it.(……お好きなように)》


 その返答を聞くまでも無く、薄い上掛けを少しだけ開いてその中に身を寄せる。

 彼の温もりに包まれたそこは、私の心を満たす楽園のような所で……。

 さっきまでの不満とかその他諸々が、一気に吹き飛んでしまう程の心地良さだった。

 あまりの幸福感にだらしなく笑みが零れて、同時に急激な睡魔が襲ってくる。

 ……そういえば今日、ちょっと早起きし過ぎちゃったから。

 ……時間まで、一緒に寝ようね。

 全身を包む彼の温もりに全てを委ねながら、私は普段しない二度寝という行為の深みに嵌まっていった。



〜Interlude out〜










 俺を中心としたあの事件は、結局何一つ分からないまま終わりを告げた。

 あの夕焼けの中で発された黒衣の言葉は、今も覚えている。

 いつか必ず俺の許に現れるという宣言。

 そして意味の分からない、あの呟き。


『君の力は、魔法によって開花するものではないと言うのに……』


 それらが一体何を意味するのか、知る暇も無く時間は流れていた。

 最初は不安にも思っていたけど、俺としてはその方が助かる。

 色々と面倒事が減ってくれて、学生らしい生活を続けられるから……。

 それでもやっぱり、あの夏に起こった事件は、俺にとって大きな衝撃を与えるものだった。

 今まで知る事の無かった新たな世界、魔法という高次の技術。

 そして自分にもちっぽけながらも、その才能があった事。

 更に友人達の戦う姿、その背中に惹かれたのは言うまでも無いだろう。

 今まで、こんなにも胸を打たれた事は一度も無かった。

 だからだろうか、その道を検討し始めたのは……。

 携わる者、それを見守る者、多くの人からの話が想いを加速させた。

 自分にとっての最良の道だとは思っていないけど、それでも進みたいと思ったのも事実。

 師父にそれを告げた時は、心臓が破裂するのではと思う位緊張していた。


「此処を出ていく決心だけは、忘れるんじゃないぞ」


 たったそれだけ、だけど思い遣りに溢れた表情。

 その言葉はいつか現実となるもの、忘れていた訳じゃない。

 その頃にはひなた園の皆も、頼れる兄さん姉さんになれているだろう。

 心配はあったけど、それ以上に皆は頼もしかったから……。

 俺は、前に進むと決めた。

 彼女の隣に立つと、共に歩むと誓ったから。

 リンディさんやクロノさんの勧めで入校した『陸士訓練校』。

 聖祥と並行しての1年は大変だったけど、それでも何とかやっていけた。

 多くの友人の力添えと、何よりも俺を見続けてくれた1人の少女のお陰だろう。

 あれから2年、気付けばそれだけの時間が流れていた。

 …………

 ………

 ……

 …





 視界の端へ流れていく風景、1秒毎に移り行くそれを何の気無しに見詰める。

 ぼ〜っと、ぼ〜っと、肩肘付きながら窓に映る明媚なその場所を……。

 レールウェイの特別席はその空席具合、そして時期的な問題からか、人がごった返すような事も無く静かだ。


「えっと、まだ怒ってるのかなぁ?」


 その中で、見えない冷や汗を掻きながら、俺と対面の席に1人の少女が座していた。

 ちょこんと申し訳無さそうに座る様子は可愛らしいが、同時に情けなさに包まれている。

 管理局内で『エース・オブ・エース』等の素晴らしい肩書きを与えられた者には、到底思えない姿である。


「もう気にすんなっての、今更怒るのも飽きた」

「にゃはは…………ゴメン」


 こうなった原因は今朝、起床時にあった出来事にある。

 まぁ簡単に言えば不法侵入だな、コイツの。

 昨夜遅くになって漸く我が仮宿に戻ってきた俺は、さっさと眠って今日に備えようとした……のだが、運悪く同僚に捕まってしまった。

 ガルゴ・ドラクオン、あの馬鹿……。

 何で同じ任務から戻ってきたのに、アイツは元気良く酒なんて持ってきやがるんだよ。

 俺の未成年と言う主張は徒労に終わり、半ば強引に酒盃に付き合わされ、眠りに就いたのは深夜をかなり回った辺りだった。


「確かに好きにしていいとは言った」


 俺の部屋のロックは彼女のIDでも外せるように設定してるから、元々そのつもりだから入って来る事は問題無い。

 しかし、だからと言って、人の寝床にまで侵入するのは如何なものかと思わずにはいられない。

 あの時本当に慌ててしまって叫び声を上げ、隣室の同僚にまで押し掛けられる始末。

 更にそれは波紋を広げ、その後の事は思い出したくない。

 「ヒジリが女連れ込んだー!!」とか「高町教導官が、何故こんな所に、何故奴の傍にー!!」とか一々五月蝿かったのは覚えてるが……。

 まぁそんな喧騒の中、事態を収拾しつつこうしている訳だ。


「アレは凄かったね」

「笑い事じゃ済まされねぇんだけどな、本当の所……」


 何だかんだで一部の陸の人間(特にウチの所)は、空の魔導師に憧れみたいなものを秘めているらしい。

 自分達のように地べたを這いずり回るのとは違う、広い大空を華麗に舞うその姿は誰もが見惚れるものだった。

 その中でもコイツは、多くの羨望を一身に受けている身分。

 それが俺みたいな唯の陸戦魔導師と一緒に、しかも同じ寝床に居たとなれば、色々と弊害が起こる訳で……。

 まぁ、それも引っ括めて全部受け入れるとは決めたけどな。


《Fight.(頑張って下さい)》

「こうなった以上、腹は括るさ」

《The word who seeming is my master.(私のマスターらしい言葉です)》


 俺の決意を応援する声が、手許から響いてくる。

 右手首に着けられたシルバーバングル、それに収められた一点の金珠。

 以前は目にする事すら叶わなかった相棒、『アポクリファ』の現在の姿だ。

 正式に陸士訓練校に入るに当たって、一番の問題だった彼女の存在。

 起こり得るであろうトラブルを見越してか、クロノさんの伝で管理局とは別の医療機関での外科手術を受けた。

 アポクリファの機能を一時的に停止させる事で、何の問題も無く体内から彼女の取り出しには成功。

 更に機能拡張の為にストレージデバイスの一部を組み込む事で、本来のインテリジェントと同等の性能を手に入れる事が出来た。

 そしてそれが、今のアポクリファである。


「つーか、お前も気付いてたんならさっさと起こせよ」

《It heals, it is possible to say, and there might not be reason that obstructs young person's love affair.(いえいえ、若者の情事を邪魔する訳には参りませんから)》


 何言ってんだコイツは。

 見てみろ、対面の少女は顔が真っ赤だぞ。

 そして言っておくがアポクリファの言葉は、そのままお前の行動だと言う事は忘れるなよ?

 そう告げると彼女は、手許をモジモジさせて俯きだした。


「ったく、折角の旅行のスタートからこれじゃ、先が思い遣られるな」


 窓から覗く風景に目を移して、その言葉の意味を改めて理解する。

 旅行、たった2人きりの短い旅。

 もう今年で中学卒業という時期に合わせて、俺達はそんな事をしていた。

 本当ならコイツやハラオウン、八神の旅行に付き合う予定だったのだが、その日はちょっとしたお使いがあって不参加。

 それに少しばかりご立腹だった彼女が、今度は俺の休暇に合わせてこんな企画を立てたのだ。

 まぁ実際、アイツ等の旅行当日に結局は顔を合わせたけどな。

 『ミッドチルダ臨海第8空港』、今から数ヶ月前に火災事故が起こった場所。

 お使い場所がそこだったのは、何の因果かと思わずにはいられなかった。

 そう言えばあの時見付かった女の子は今、どうしているだろうか?


「スバル・ナカジマだっけ。ちゃんと元気にやってるかな……」

「どうしたの突然?」

「いや、何となく思い出してさ」


 劫火に包まれた世界の中で見付けた、1人の少女。

 弱々しく泣く事しか出来なかった彼女は、俺達に助けられて今どうしているのだろうか?

 気にならないといえば嘘になる。


「あの子なら大丈夫だって。ナカジマ三佐もそう言ってたしね」

「まぁ、大きな怪我もしていなかったからな」


 俺としては肉体的なものよりも、内面的な方が心配だった。

 あんな死に掛けるような出来事を目の当たりにして、それがトラウマにならなければ良いんだが……。

 まぁ今の言葉なら、その心配も無いようだ。

 ……って、何故だか目の前の彼女が膨れているんですけど。

 如何にも「私、憤慨しています」みたいな表情、一体どうしたのだろうか?


「聖君が優しいのは分かってる。でもね、今は他の女の子の事、あんまり考えて欲しくない」


 不満げに漏らす言葉は、何とも愛らしい理屈だった。

 俺としてはふと思い出したから口にしただけなのに、そんな些細なものにさえ彼女は嫉妬していたらしい。

 相手は幾つも下の子なのに、本当に可愛いなコイツは……。

 このまま怒らせておくのも可哀想だし、きちんと謝らないといけないな。

 膨れっ面でワガママを呟く少女に笑い掛けて、一言――


「悪い悪い、機嫌直してくれよ…………なのは」


 ――彼女の名を呟いた。










「はぁぁぁぁぁ、良い湯だなぁ」


 全身を緩く覆う温水の感触に、思わず爺臭い言葉が漏れた。

 ミッドチルダ北部の温泉地、中でも奥地に存在する老舗と呼ばれる旅館。

 中央よりの場所にあるホテル等が軒を連ねる中にひっそりと建てられ、一部の温泉マニアに愛されている秘境。

 それが今回の宿泊場所だった。


「温泉なんて入った事、あったけか?」


 いつもならば出る事も無い独り言さえ、あまりの気持ち良さに自然と吐き出されてしまう。

 弛緩する筋肉の隙間を縫うように温かさが染み渡って、体に淀んでいた疲れが抜け落ちていく感覚。

 これが幸せというものなんだろう。

 山展望の露天風呂、眼下に広がるのは漆黒に染まる木々の緑。

 空を見上げれば、黒地のカーテンに無数に点在する小さな光の粒が瞬いている。

 海鳴でも一部の場所でしか見れない風景が、目の前に広がっていた。

 心が洗われるようだ。


「星もあんなに綺麗で――」

「あっ、聖君見付けた」

「――のほわっ!?」


 弾むような明るい声色。

 突如として背後から掛けられたそれに、思わず石造りの縁に手を滑らした。

 そのまま吸い込まれるように浴槽へ身を落とし、頭の天辺から足の先まで全て浸水する。

 ――――ってヤバい!?

 あまりの急展開に湯船の中で昆布の如く揺れていた刹那、酸素を求めて頭を浮上。

 顔を包み込む熱を振り払って、外気へと難を逃れた。


「ゲホッ、ゲホッ……」

「だ、大丈夫!?」


 だが少し湯水を飲んでしまったらしく、呼吸と同時にえずくように咳き込んでしまった。

 すぐ近くで水を蹴る音と、心配げな彼女の声が聞こえる。

 …………え?


「なの――――はぁ!?」


 そして目に飛び込んできたのは、布一枚だけで身を包んでいる姿。

 真っ白なタオルを体に巻いただけ、それ以外の首筋とか鎖骨とか、妙に色っぽい部分が完全に露出している状態だった。

 その艶やかな風体は、内側の鼓動を否応無く拍車を掛けて暴れ回る。


「な、ななな、何で此処に!?」

「知らなかったの? 此処、混浴だよ」

「何ぃ!?」


 ほら、と指を差した先には、木造看板が一つ。

 そこには達筆な字で『男女混浴』と黒々と書かれていた。

 ま、マジかよ……。

 冷静な俺なら「どうして日本語なんだ!?」と突っ込んでいただろうが、今はそれすら叶わない程の衝撃が走っていた。


「ほら、一緒に温まろうよ」

「あ、いやしかし……」


 突然こんな状況に陥って、しかも目の前にはあられもない姿の美少女。

 先程まで俺の居た場所に佇む彼女は、頬を上気させながらも何の躊躇いも無くそう発した。

 男の本能としてはその言葉に無条件降伏を致したい、だが自制という行為もまた必要であってだな。


「駄目?」

「あ、だからその……」

「私は一緒に入りたかったんだよ?」

「えと、あの……」


 だが懇願するような言葉の連続に、自制という感覚が無情にも削り落とされていく。

 単語一つまともに発せない状態で、正直何と言えば良いのか分からなくなる。

 思考回路が焼き切れて、何も考えられない。


「お願い……」

「――――っ、分かったよ」


 結局、俺が折れるしかなかった。

 あんな縋るような願いを拒める神経は、俺の何処にも持ち合わせていなかったらしい。

 仕方なく、本当に仕方なく、彼女に倣って岩肌に背を預ける。

 滑らかなそこは肌に心地良く当たり、ゴツゴツした感触は無い。

 唯、隣に居るなのはの存在は、俺の心臓の鼓動を否応無く高めていく。

 必死にその方向を見ないようにするのが、俺の精一杯だ。


「よいしょ」

「ん?」


 不意に腕に掛かる、緩やかな重み。

 静まれ静まれと脳内で単語を回転させていた行為が、それに気付いた事でストップされた。

 自然に呟かれた彼女の声は、次の瞬間には耳元にまで近付いていたのだから。

 つまりは、肩を合わせる位の距離にまで縮められていたという事。


「おっ、おい!?」

「気にしない気にしない、今此処に居るのは私達だけだよ」


 にゃはは、と本当に気にも留めない彼女はピッタリと寄り添ってくる。

 浸かっている湯水を通して触れてくる肌の温もりが、心臓を更に拍動させ全身の血行を異常活性させる。

 今の彼女は正しく、甘えの極みに達していた。

 これ以上は俺の精神衛生上宜しくないのだけれど、振り払う事もまた憚れた。


「にゃはははは」

「ったく、好きにしろ」


 だから自制を最大限働かせて、それを受け入れる事にした。

 2年前まではその片鱗すら見せる事の無かった、無条件の甘え方。

 それはこの少女にとって、なのはにとっての信頼の証。

 そうで在りたい願った自分の場所が、確かな形として目の前に存在していた。


「私は聖君の彼女さんなんだから、これ位は当然でしょ?」

「……前例が無いから知らねぇよ」

「うん、私も知らない。だから、自分のしたい事をする」


 温泉の熱となのはの体温が合わさって、更に俺の理性を蝕む。

 唯一の救いだった清風すら霞んでしまう程の魅力は、しかし当の本人には自覚が無い。

 どこまでも純粋で、だからこそ性質が悪い。

 その下心の無い無垢な双眸を向けられる度に、胸の奥底に抑え込んでいる本能が鎌首をもたげるように表層へ現れる。

 こんな大胆な行動は、きっと『彼女』という言葉を体現しているからだろう。





 自分でも気付いてなかった訳じゃない。

 あの日を境に、俺となのはの距離が一気に縮んだ事を。

 今までワガママの一つも言えなかった少女の想いを、少しでも受け止めると誓った。

 だから伝えた。


「俺に出来る事なら何でも構わない。自分のしたい事とか俺にして欲しい事、少しずつでいいから言ってくれ」


 ――代わりに俺も、少しずつワガママを言うから。

 子供染みたその想いは、決して高尚なものじゃない。

 それでも、自分の中に在る精一杯の誓いを言葉にした。

 気付けばその時から、俺達の関係は変わっていたんだろう。

 『高町』から『なのは』に変わったのも一例。

 夏休みが終わって2学期が始まれば、昼食中は隣に座る事が増えた。

 つーか今思い返すと、あれから毎日だったかもしれない。

 それだけじゃなくて、彼女が無理をしない程度に教導が続けられた。

 一緒に足並みを揃えて桜台まで走って、最初は着いていくのがやっとだったなのはも、今では多少スピードが上がっても問題無い位の体力が付いたらしい。


「一緒に進むんだもんね」


 心底嬉しそうなその顔を、今でも鮮明に覚えている。

 更に一週間に一度、理由も無く『高町家』へ泊まる事が決まっていたり。

 それに疑問を感じなくなってきた自分に、何だかなぁと思ったりもした。

 まぁ、一緒に居られるのならそれで充分だけど……。

 ――さて、そして俺の方。

 彼女に言った通り、俺自身もどんなワガママを秘めているのか思考を巡らせていた。

 でもそこには何一つ存在しない、深い暗闇だった。

 なのはのようにワガママを我慢していた訳じゃなく、ワガママを思い浮かべる事すら拒んでいたが故の弊害。

 だけど今の俺はそれを拒絶してるつもりはなく、本当にそれ自体が無かった。

 それによる結論は――――俺が、今の状態に満足しているという事。

 なのはの隣に居る事、一緒に話したり笑い合ったり、それが既に心を充分に満たしていた。

 他は要らない、だから欲しいと望むものがあるのなら……


「ずっと、一緒に居て欲しい」


 たった一言で済ましてしまう、そんなものでしかない。

 でもそれは紛れも無く俺の本心であり、心の底からのワガママだった。

 それから変わり始めた俺達の関係。

 祝福する者、何を今更と言う者、怒り狂う不特定多数(言わずもがなMVPな訳だが)……。


「なのはの事、大切にしてあげてね」


 そしてスクライアは、そのどれとも違う反応だった。

 好きな女の子が離れていってしまう寂しさ、自分の居たい場所が無くなってしまった悲しさ。

 様々な感情が綯い交ぜになった彼は、力無い笑顔で応えていた。

 だからと言って俺となのはと疎遠になってしまう訳ではなく、今でも友人関係は続いている。

 本局勤めの2人が会うのは珍しい話じゃないし、俺も暇な時は通信越しで他愛無い会話をする。

 近い内、彼が陣頭指揮を執って遺跡発掘を行うらしく、俺にもスクライアの護衛という名目で同行しないかと言ってきた。

 勿論、都合が合えば宜しくと答えは返している。

 今から楽しみにしているのは、ちょっとした秘密だ。





 まぁそれからも色々あったけど、こうして2人一緒に居られるのは決して悪い事じゃない。

 階級違いだの何だのと言われようと構わない。

 大切な人が隣で笑っていてくれるなら、それだけで充分だ。


「にゃ〜ははぁ〜」


 こうしてのほほんと湯に浸かって、日頃の疲れを癒して……。

 ちょっと、いやかなり刺激は強いが、幸せな一時。

 見上げれば漆黒の天蓋には、幾多もの光の粒が散りばめられている。


「綺麗だねぇ」

「あぁ、そうだな」


 緩いなのはの声を横に、視界を埋め尽くす星の瞬きに感嘆を漏らす。

 世界を越えようと変わる事無い夜空の在り方、最低限の彩色で飾られた風景。

 それは不意に、遠い日の記憶を思い起こした。

 まだ幼く、星の本当の姿も知らなかったあの頃……。


「昔さ、星は掴める物だと思ってたんだ」


 何の気無しに呟かれる、自身の昔話。

 それはまだ、小学校に入りたてだった時の事。

 風呂上りに見上げた夜空があまりに綺麗で、両手を伸ばして掴もうと必死になっていた自分。

 距離が遠過ぎると分かるや否や、今度は別の方法を考えて希望へ目指していた。


「いつか空を飛んで、あの星を取りに行こうって」


 遠いなら自分から近付けばいいじゃないか。

 幼過ぎて事実の壮大さに気付かぬまま、目を輝かせながら過ごしていた。

 今思えば馬鹿だなと一笑して終わるその言葉は、しかし誰もが一度は思い描くであろう夢想。

 隣のなのはも、頷いて同意している。


「私もそうだった。目に映る星が宝物みたいに思えて、聖君と同じように考えてた」

「それが、お前の『飛ぶ事』が好きな理由か?」

「もしかしたらそうかも」


 彼女の胸に秘められた、空という舞台への強い想い。

 そのルーツはなんて事無い、幼き日の純粋な願いだった。

 でもだからこそ、彼女はこんなにも強く空へ羽ばたけるのだろう。

 屈託の無い少女の笑みに、俺も自然と同じものを零していた。


「でも星は空だけじゃなくて、地上にもある」

「えっ……?」


 夜景を彩る光の粒から一転、下々に鬱蒼と生い茂る草木へ目を向ける。

 決して煌びやかではないそこは、確かに空とは雲泥の差がある事だろう。

 でも、それだけじゃない。

 『星』とは光り輝くものの象徴。

 だとしたら隣の少女もまた、俺にとっては無二の宝物ほしだ。

 たとえ手の届かない空へ飛び立とうとも、必ず地上となりへ戻ってくる唯一の星。


「俺の大切な貴女ほしは、いつだってひかっている」


 地上の星、それは隣に佇む少女の笑顔。

 他の人では手にする事が出来ない、最上最強の輝き。

 たとえどんな壁が立ち塞がろうと、絶対にこの宝物だけは奪わせたりしない。


ちじょうで、な」

「聖君……」


 見詰め合えば、瞳の奥には自分が映っている。

 お互いの呼吸が混じり合う程の距離、でも先程までの恥ずかしさは生まれてこない。

 この輝きを見ていたいという欲求が、今はあまりにも大き過ぎたから……。

 切なげに潤む彼女の瞳が、艶やかさ以上に神々しさを湛えている。

 もっと、もっと、傍に居たい。

 ――隣でずっと、この少女の輝きを守っていきたい。

 ――隣でずっと、この光で俺を照らして欲しい。


「なのは……」


 その誓いと願いを込めて、彼女の名を告げる。

 約束する。

 俺はこれからも、お前の傍に居るから……。

 それはちっぽけな誓いワガママだけど、最後まで貫き続けると決めた純粋な気持ち。

 それを、その身で受け取ってくれ。

 誓いの表明、願いの告白、それは――


「…………」


 ――俺達の影が一つに交わる事で、形となった。








Boy's oath.


少年の誓い。



It is selfishness that everyone can have.


それは、誰もが持ち得るワガママそのもの。



However, the element only for selfishness to change the decision into shape.


しかしワガママこそが、決意を形に変える要素。



He will swear it because he offers the life.


彼は、生涯を掛けて誓うだろう。



Tomorrow when light with the girl was filled is believed.


少女との、光に満ちた明日を信じて。







少年の誓いNルート Fin












―――――――――――――――
あとがき


どうも、おはこんばんちはです。

今回、『運命編』最初であるNルートが完結致しました。

7話とかあり得ない長さになってしまいましたが、何とかこうして終幕という形に相成りました。

宣言通りですが、全くと言っていい程の伏線の放置っぷりには、作者としても乾いた笑いしか出て来ません。

次のFルート、そしてHルートも、似たような感じになりそうですが……。

兎に角、その時も宜しくお願いします。

では、今話について振り返ってみましょう。

事件は思わぬ形となって収束し、不完全なままで終わりを迎えました。

一体黒衣の狙いは何だったのか、謎の言葉を残して消えたその行方は……。

今回で2つの事件が繋がった訳ですが、結局は後の祭り。

ですが不完全なままで終わったのにはきちんとした理由があり、更にそれは伏線として既にセットし終えていたりします。

さて、あれは何話でしたかな……。

そして2年という歳月を経て、より密接な関係になった聖となのは。

両親直伝のイチャイチャっぷりを伝授されたなのはの攻撃に、青少年はタジタジです。

言っておきますが、混浴後は何事も無く夜が明けましたのであしからず。

えぇ、そんな口で言えないような事なんて起きてませんよ。

なのはは原作同様、戦技教導官として活躍を続けています。

聖の方はと言うと、まぁ才能が無いので同じ職場ではありません。

陸戦魔導師として日々を大変ながらも生きております。

ランクとしてなら陸戦CもしくはD程度。

ですが現役教導官のお陰か、そのレベルも当初と比べれば飛躍的に上がっているでしょう。

もしかしたら3ルートの中で一番レベルの高い魔導師になっていそうです。

アポクリファも何とか日の目を見れましたし、インテリジェントデバイスとして、彼の保護者(?)としてこれからも支え続けます。

実はなのはエンドについては、もう一つの『翠屋店長候補生』エンドもあったのですが止めました。

魔法に携わっていますし、なのはの隣に居続ける為には、彼も同じ場所に立つ必要があったからです。

なので早々に選択肢から消しましたので、書くつもりも殆んどありません。

皆様の妄想で補完して頂けると助かります。

さて、こうして3つ目の誓いを終えましたし、次のルートに進みましょう。

なので、今回は以上です。

感想や意見、その他諸々は掲示板かWeb拍手の方でお願いします。

それでは〜。





P.S

最近とあるMADで、久し振りに遊戯王ブームが再来中。

PSPの『遊戯王GX タッグフォース』をプレイ中です。

ヤベェ、『ダイダロス』がマイフェイバリットカードになりそう……。

『炸裂装甲』、何故3枚目が出ない!?

だから執筆が遅くなるんです、スミマセン。





〜Web拍手のお返事〜


>ゼンザイ様

初めましてですね。

まずは一言、魔王って言っちゃ駄目――!!

僕の書くなのはは悪魔でも魔王でもありません、女の子です!!

取り敢えず『ガチ』と聞くと、某パンツレスリングしか思い浮かびません……。

おかしいなぁ、動画は一回しか見てないのに……。

それでは〜。



今回は以上です。

皆様のコメントが無くて、日々プレッシャーと戦いながらメモ帳を開いています。

コメントを、コメントをぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

それでは〜。




















「エリオか、良い名前だな。俺は聖、瑞代聖だ」

「ひじ、り……さん?」

「そうそう、宜しくな」


 少年は、新たな出会いを喜び――


「あの時声を掛けられなければ、あの学校に行かなければ、…………出逢わなければ、良かったんです」


 ――大切だった筈の出会いを、後悔した。



 本物は正しいのか? 偽者は間違いなのか?

 では彼女は、そのどちらなのだろうか?

 人は存在するのに、理由が必要なのか?

 少年は、秘められた過去を抱える少女と、どのような道を歩むのか?





「私は、人間のフリをするお人形でしか、なかったんです……」






 想いは誓いに、彼は走り出す。





「世界中の誰が言おうと、アイツは俺にとっての……本物だ!!」






少年の誓い

〜魔法少女リリカルなのはAs〜



Fルート、開放