――夕焼けに染まる空の下、1人の少年と2人の少女が相対している。
――彼は少しの期待と大きな不安を抱えて……
――少年は手に持っている紙、チケットを2人に差し出していた。
――少女達はその姿に、何を思ってるのだろうか。
――今日一日、彼の行動によって最悪の事態が避けられた。
――彼女達が望んだ未来を迎える事が出来た。
――それが2人にとって、どれだけの救いとなっただろうか。
――それを少年が知る由も無いが、彼自身もその行動に後悔は無い。
――ならば、此処で彼の持つチケットを受け取らなければならない理由は無い。
――彼の心にあるのは、満ち足りた充足感。
――これ以上、彼が求めるものは無いだろう。
――3人の間には、様々な想いが交錯している。
――強気な少女の本心を、少年に知って貰おうとする者。
――いつも静かに一歩引いた場所に居る少女を、前へ押し出そうとする者。
――チケットを有効利用しようと考えながら、万が一の儚い運を願っている者。
――それぞれの方向に向けられる想いは全くの別々だが、きっと純粋で好意的なものである事は間違いない。
――その微笑ましい1つの空間、きっと悪いようにはならないであろう風景。
――しかし、その時
――その空間が
―――――色の落ちた、抜け殻のような世界に変わった。
――それは、運命の出会い。
――少年の未来を変える、誓いの物語。
少年の誓い
〜魔法少女リリカルなのはAs〜
9XIII「非日常へのイザナイ」
「っ!?」
いち早くその変化に気付いたのは誰だろうか?
俺か、バニングスか、月村か……。
しかし、そんな事はどうでもいい。
誰が変化に気付いたかが重要じゃない。
その変化が何を意味するのか、それが重要だった。
先程まで夕焼けだった鮮やかな赤空が、所々が虫食いになったような歪な風景に変わる。
何だよ、これ……。
非常識な光景、理解しようと思考がフル回転するが、出て来る答えは『理解不能』の4文字だけ。
相対する2人も同じようで、理解出来ない現状に不安を募らせている。
あまりに突然の状況変化、全く以って意味が分からない。
だがこの異変は、それだけでは終わらなかった。
「っ……誰も、居ない?」
周りから、人の姿が消え去っていた。
人込みに紛れていた訳じゃない、でも全く人影の無い場所に居た訳でもない。
なのに今の俺達の周囲に、目に見える範囲に…………誰も居なかった。
おかしい、おかし過ぎる。
理解出来ない、何だ此処……。
本当に、さっきまで居た場所か?
本当に、同じ世界なのか?
「アリサちゃん……」
「えぇ、もしかして……」
小さく、耳に声が入ってくる。
バニングスと月村、互いに目を合わせていた。
忙しなく周囲を見渡す俺と対照的に、目の前の2人は徐々に落ち着きを取り戻し、現状を理解しているようだ。
こいつ等、何か知ってるのか?
「2人共、何か知ってるのか!?」
「うん……」
俺の問いに、月村が控えめな頷きで答える。
それはつまり、知っていると言う肯定の意。
こんな非常識な世界、何の頼りも無いこの状況で、今のこいつ等が非常に頼もしく見えた。
「それで、これは何なんだ!?」
「えっとね、凄く説明し辛い事なんだけど……」
「何でもいい。こんなおかしな風景、普通はあり得ないだろ!!」
訳も分からずこんな場所に放り出されて、落ち着いてなんか居られない。
兎に角、この世界を理解出来る説明が欲しかった。
答えを急かすように月村の両肩を掴んで、乞うように彼女に縋る。
――――その視界の隅で、何かが動いた。
「えっ?」
「どっ、どうしたの?」
およそ100メートルの距離、視線の先の黒いナニカが徐々に大きくなっていく。
バニングスの言葉すら反応出来ない程、俺の視線と意識はそちらへと向いていた。
低い、地鳴りがする。
黒い影は少しずつ輪郭を鮮明にしながら、それは更に大きくなって……。
違う……、あれは走っている!?
四足を巧みに操り、まるで弾丸の如きスピードで疾駆していた。
――――此方に向かって
「くっ!!」
「「きゃっ!?」」
ガァッ!!
気付けば俺は2人を両脇に抱えて、横っ飛びでその場から離れた。
数瞬後、先程まで居た場所に飛び込んだ黒い影。
駆け抜けるスピードが尋常ではなく、その余波が前髪を揺らした。
あんなものがもし当たっていれば、肋骨全てが粉砕してもおかしくない。
その事実に、額から冷や汗が一筋流れる。
そして漸く、件の影の実体を目の当たりにした。
「何だよ、これ……」
全長2メートル近くある体躯、獣のような毛皮を持つ漆黒の体表。
狼の如くしなやかな体付きと、全ての足に生えた鋭い爪。
口からはみ出る程の大きさを持つ牙も、その凶暴性を否が応にも理解させる。
そして何よりも、その額に雄々しく顕在する――――剣の如き『尖角』。
異常と言わざるを得ないその肉体、その存在、それは正しく異形だった。
グルルル……
「っ!?」
ギロリ、と紅玉のような瞳が俺を貫く。
視線を此方を向けてる、それだけのなんて事無い行動だと言うのに……。
心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。
額から背中から汗が流れる、指先が震える。
呼吸は荒くなり喉がカラカラに渇いてくる。
瞳は必要以上に開かれ、奴の挙動に過剰に反応している。
目の前に存在する脅威に対して俺は、純粋に恐怖していた。
「あっ、…あぁ……」
どうすればいい?
どうすれば、コイツから逃げられる?
さっきのスピードから考えて、逃げ切るのは不可能だ。
なら、どうすれば……。
バラバラになりそうになる思考を掻き集め、自身や周囲から判断材料を探る。
この状況に於いて、俺はどうすれ――
「っぅ!?」
「うぅ……」
――――あっ
不意に、背中にしがみ付くような感触を感じた。
それが誰によるものか、そんな事は考えるまでも無い。
俺の背後に控えているバニングスと月村。
喉から絞り出すような声は、明らかな恐怖を孕んでいた。
震える手が、俺の肩と服を掴んでいる。
必死に、離さないように、その柔らかい手は、俺を掴んでいた。
それを感じた瞬間、彼女達の声を聞いた瞬間……
「……っ」
恐怖を意地で飲み込んだ。
目の前の奴に恐怖してるのは俺だけじゃない。
後ろの2人だって、この状況を必死に耐えようとしている。
そんな細い体で、強大なプレッシャーを受け止めながら……。
なのに俺は、同じようにガクガクと震えてるだけなのか?
――――否、断じて認めない。
俺が今考えるべきは、どうやって逃げるかじゃない。
自分がどうしたいか、どうするべきかを考えるんだ。
忘れていた。
俺の優先順位は、いつだって己の意志を前へ……。
『どうすればいい』じゃない、『どうしたい』か――――それだけだ。
この状況に於いて、俺が最優先にすべき事。
それはつまり……
「2人共、合図と同時に後ろに向かって走れ」
「「えっ?」」
「いいか、絶対に振り返るなよ」
後ろの2人を、安全な場所まで辿り着かせる事だ。
「何言ってんの!?」とか「駄目だよ!!」とか何とか小声で喚いているが無視。
もう、俺は決めたのだから。
「聞いて――」
「黙ってろ」
「っ……」
バニングスが声を張り上げようとする寸前、抑揚の無い声で抑えた。
苦々しく口を噤む顔が容易に浮かぶが、今はそちらに一分たりとも意識を向けられない。
距離にして10メートル、その場所に奴は居るのだから。
目を離したら、その瞬間に殺される。
容赦の欠片すら無く、一呼吸の後に気付けば死んでいる。
目の前の存在は、恐らくその類のものだ。
「聖君、私達の為にそんな無茶するなんて……」
「っ、誰がお前等の為だなんて言った?」
「えっ?」
視線の先に居る化け物、無言に佇むその様相に異常なプレッシャーを感じる。
今や唇すら震えている、まるで極寒に晒されたかのように……。
それでも、きちんと口が回ったのは助かった。
これならまだ――――俺は意地を張り続けられる。
こんなものと相対して、常態で居られるなんて不可能だ。
恐怖による震えは未だ止む事は無く、俺の神経を磨り減らしていた。
そんな情けない姿を、恥も外聞も捨てて露呈している。
怖い、マジで怖い、言葉に出来ない位怖い、怖過ぎる。
まるで心に刻まれたように、刷り込まれた恐怖を吐き出している。
そんな絶対的な奴から、自分以外の人を守るなんて馬鹿にも程がある。
それ程出来た人間じゃ無いし、他人のために全てを擲つ覚悟なんて更々無い。
――俺は聖人君子の類などでは決して無いのだから。
「俺は自分で決めたんだよ」
そう、自分で決めた事。
俺が考えて決めた、自分が一番するべきと思った事。
自分自身が後悔しない、最も納得出来る行い。
2人を守る、それこそが自分にとっての最善。
途切れ途切れになりそうになる声を、無理矢理押し出して2人に伝えた。
飲み込んだ恐怖は次から次へと現れ、その度に俺は嚥下していく。
腹の中には、既に許容量限界までの恐怖が詰まっている。
もう、耐えられる時間が無い。
「それに、俺1人の方が逃げ易い」
3人揃ってアイツから逃げるのは不可能、初見のスピードから考えて当然だ。
あれは、人間の疾走速度を遥かに超えている。
このままでは3人ともお陀仏なのは、言わずもがな。
しかし俺1人なら、何とかなるかもしれない。
行動が制限されない1人なら、様々な策を弄せる。
「要するに、お前等は足手纏いなんだよ」
首の力が自然と強まる、きっと緊張が極限まで迫り上がって来ているからだ。
俺の内部では、きっと奴への感情で暴風が起きてるに違いない。
だがそれでも心を気楽に、余裕ぶって呟けた。
全くそんな余裕は微塵も無いのだが、俺の意志を曲げる訳にはいかないから。
それにこう言えば、こいつ等だって強く出れないだろう。
……悪口言って引いてくれるなら、幾らだって言ってやるさ。
そして視界の先の異形が、身震いを始めた。
――――っ、来るか!?
「合図してから走れ、それまでは1ミリも動くなよ」
早口で言うだけ言い終わると、体を軽く沈める。
臨戦態勢、もうコイツとの衝突は止められない。
自分が何処まで出来るか分からない、もしかしたら数瞬で奴に殺されるかも知れない。
視線の行く先に居る異形に、虚勢で奮い立たされた瞳を向ける。
もう此処まで来たのだ、今更引く訳にもいかない。
後はバニングス達が、俺の言葉通りに動いてくれる事を祈るだけ。
両脚に力を込めて、その想いを胸に、恐怖を腹の底に秘め――――走る。
「ふっ!!」
進路方向は真横へ、全力を以って駆け抜ける。
バニングス達の事は気掛かりだが、そんな余裕は微塵も無い。
化け物との距離を一定に保ちつつ、奴の周囲を疾走。
その間の奴はいつでも飛び掛かれる体勢で、俺の動きを目で追っている。
「――よしっ」
血を連想させる紅玉の瞳は、俺の方にのみそれを向けている。
つまり、2人の方は全く視界に入っていない。
何処まで逃げれば安心出来るか分からないが、少なくともこれでアイツ等は逃げ易くなる筈だ。
その時間だけ、2人への対応が遅れるのだから。
……しかし、危ない状況でもあった。
これは一種の賭け、化け物の注意が俺に向く事が前提での作戦なのだから。
言ってしまえば失敗すればその場で終わり、2人を助けられず俺も此処で殺される結果になる事だって充分にあった。
でも、それ以外の方法が見付からなかったのもまた事実。
理解不能の化け物を前にして、失敗は許されない状況。
故に、化け物の姿が動物に酷似していた事から最も有効な手段、動く物体に対する興味を利用した訳だが……。
此方の思惑通り、奴は最初に動いた俺に注意を向けた。
「こっちだバケモノ!!」
大きな音で、更に注意を此方に寄せる。
これだって、さっきバニングスの声を遮らなければ無駄になったかも知れない。
金髪の少女に悪態を吐きながら、化け物だけに絞っていた視界を広げる。
視界の端に2人の後姿が映り、俺の言葉通りに走って逃げているのを確認した。
ガァァ!!
その瞬間化け物が、俺目掛けて跳び掛かってきた。
その雄叫びで心臓が萎縮したような感覚に襲われて、渇いた息が口から漏れる。
それでもこの体は敏感に反応した。
奴の跳び掛かりに合わせて足を止め、接近する間際に体を沈めて化け物の真下を全力で潜った。
だが――
「うぐっ!?」
背中に燃えるような熱と鋭い痛みを感じた。
それに耐えながら前転受身を取り、急いで背後へ振り返る。
奴は……此方を向いていた。
相手を見定めるかのように、体勢を低く保ちながら……。
俺とは違う意味で息を荒くして、獲物を前にした高揚感に包まれている。
よく見ると前足の爪が赤く染まり、白い布切れが引っ掛かっていた。
背中の痛みは、あの爪で切り裂かれたものらしい。
酷い出血はしてないだろうから、傷は深くない。
それでも、顔を歪めるだけの苦痛は感じる。
「つぅ……」
チリチリと焼かれるような痛みに苛まれながら、次の手を打つ。
相手のスピードが数段上である以上、こっちが先手を取るのはマズい。
さっきは俺が動かないとアイツ等を巻き込むから、敢えて先手を取った。
本当なら相手の行動の一つ一つを観察し予測し、それに合わせて自分の行動を一瞬で複数の中から選択する。
それは、1本のロープの上で綱渡りをする状態。
自分の神経が少しずつ磨り減っていく中、思考だけは止めないようにとフル回転させる。
奴は次、どう出る?
グゥゥ……
唯の低い唸り声でさえ、相手を威圧する行為となり得る。
その鋭い眼光に射抜かれる度に、思考の糸が切れそうになる。
焦りが、頭の中を埋め尽くしていく。
――冷静になれ、冷静になれ、勝つ事じゃない、負けない事を考えろ。
傷を負う事を恐れるな、背中の事など忘れろ、やり過ごす事に専心を向けろ。
奴の動きは素早いが単調、直線的な動きが主だ。
2回とも俺が避けられた(2回目は掠ったが)のは、奴の進行方向から逃れたから。
一度目は横に、二度目は下に……。
つまり、奴と一定の距離を保っていれば、見切る事は容易とは言えないが可能だ。
だったら、そこに重点を置けば――
グルルル……
「なっ!?」
――奴の視線が、意識が俺から逸れた。
鮮血の如き瞳は此方ではなく、違う方向へと向いている。
それが意味する事は、俺以外の獲物――バニングス達に狙いを変えたと言う事。
俺が餌になって奴の意識全てを此方に向け、その間に2人は安全な場所まで逃げる。
1人になった所で奴と俺が、得意な持久戦を展開し隙あらば逃げ切る。
その作戦の前提が今、崩れようとしていた。
2人は此処から3,40メートル程離れている、決して速くは無いが充分健闘している。
だがしかし、奴が全力で疾走すればそんな距離は瞬く間にゼロとなるだろう。
それは、最悪の結末。
誰がそんなものを認めてやるか!!
「くそっ……」
考えてる暇は無い。
さっきまで脳内を巡っていた思考を切り捨てて、アイツ等を追従するように走り出す。
全力で、空気の壁を突き破るように、奴が飛び出す前に疾走した。
もしかしたら化け物の意識がこっちに戻るかもしれない、出来なくとも――――何とかすればいい!!
グアァァ!!
空気が張り裂けんばかりの雄叫びと共に、化け物が飛び出す。
俺よりも1秒遅れてはいるが、そんなもの両者のスピードを考えれば無に等しい。
もっと、もっと速く!!
一瞬だけでいい、奴に匹敵する速さを。
彼女達との距離が詰まる、注意を叫ぼうと口を開き……
「バニングス!! 月む――」
ガァッ!!
「――なっ!?」
自分の浅はかさを思い知る事になった。
耳に入った短い咆哮が聞こえた時、反射的にそちらを向いたのは、後に思えば幸運と言わざるを得ない。
視界に映ったのは所々に色を失った気味悪い景色と、視界の7割を占める黒い物体。
紅くギラついた双眸、そして……鈍く光る鋭い剛爪。
獣王が獲物を狩る瞬間――
人間の身で知る事は無いであろう、その光景が――
目の前に――
「――あ」
その声は、酷く情けないものだった。
10個の間違いを見付ける間違い探しで、何分も掛けて見付けた最後の1個が、物凄く単調なものだった時に出た呟き、例えるならそんなものだろう。
それ程までに漏れた一文字は、脊髄反射的に出てきたものだった。
振り上げられた黒いモノは、俺の体を袈裟斬りの要領で振り下ろし……
体を容易く、斬り裂いた。
更に勢いは死なず、俺の体に真正面から体当たりをぶち当ててきた。
「ぐぁ、――――ぁっ」
その尋常じゃない衝撃で、肺に残った全ての空気を吐き出す。
しかも大きく吹き飛ばされ、街路樹に背中を叩きつけられるオマケ付き。
あまりに突然で身構える事すら忘れ、無防備なまま全ての衝撃を受け入れた。
「はっ、ぁぁ………ぐっ!!」
その全身を貫く凄まじい痛みに、一瞬意識が飛びかけた。
ヤバい、マジで痛い、今のは効いたぞコノヤロウ!!
呼吸の荒くなる中、何とか意識を繋げようと腕に力を込めて、地面の土を抉って握り締める。
体の前面は大きな爪痕から赤い液体が流れ、流れに沿って痛覚が悲鳴を上げる。
背面は浅い傷口に先程の衝撃、それに樹木の表面が皮膚を削って余計に開いたように感じた。
さっきから耳の奥からドクドクと心臓の音が聞こえてきて、全身が高熱を帯びる。
特に頭ん中は茹で上がる程の熱が篭もり、インフルエンザに罹るとこんな感じかなぁと、理解も出来ない事を考えてしまう。
何でこうなったんだろう? いやそもそも何でこんな怪我してるんだろう? いやいやそもそもどうして此処に居るんだろう?
熱に侵された思考は纏まりが無く、グチャグチャに散乱していく。
考えれば考える程、熱は温度を上げて襲い掛かり、意識を奪おうと纏わりついてくる。
――もう何も、考えられない。
眼に映る黒い塊、明らかな敵意を宿した視線にさえ、俺は何も感じない。
震えていた全身は最早、用を成さない。
心を締め付けていた恐怖は、今は欠片すら残っていない。
そして奴は……俺を己が視界から外した。
目の前の玩具に興味を無くしたように、何の感慨も見せずに、ソイツは歩を進めた。
体が動かない為、視線だけでその先を見てみると……。
「ぁ……」
先程より更に離れた場所で、2人の少女が此方を向いていた。
何か酷いものを見たような見開いた双眸は、確実に俺を射抜いている。
何で、そんな………顔をして………。
呼吸が荒くて、声に出せない想いを胸中で呟く。
視線の先の少女の顔が、傍から見ていて笑みが零れる位におかしい。
顔を動かす力すら、今はもう無いけどな……。
「――ろ!!」
「――ん!!」
何か叫んでるように見えるけど、熱に侵された頭には何も入ってこない。
何も聞こえない。
体の前後から熱い液体が流れ出て、傷口を刺激する。
その痛みだけが、俺と目の前の光景を繋ぐものだった。
でも、もう………それすらも、俺には……
呼吸が深くなってくる。
握っていた拳が徐々に緩んできた。
背中に感じていた樹木の感触は、もう無い。
神経と体が切り離されて、首から下の存在を感じ取れない。
……瞼が、落ちてきた。
……これで、終わりのようだ。
死ぬんだな……俺。
心残り、無いと言えば嘘になる。
どんなに滅茶苦茶に侵された思考でも、アイツ等の事だけは決して壊されない。
大切な友達に無様な姿を晒した事、守れなかった事。
嘘を吐いてしまった事と、彼女達に俺という重荷を背負わせてしまった事。
どれだけ謝罪の言葉を並べようと、何万回の土下座を以ってしても赦されぬ所業。
そして家族に、友達に二度と逢う事が叶わない絶望。
師父、シスター、平太、明菜、勇気、沙夜、一弥、夏希、芽衣、達樹、慎二……。
瀬田、遠藤、金月、高杉、高町、ハラオウン、八神……。
皆と、もう……
いやだ、イヤだ、嫌だ、否だ、厭だ、もう逢えないなんて絶対嫌だ!!
もっと一緒に居たい、もっと仲良くなりたい、もっと色んな想い出を分かち合いたい。
大切な家族、大切な友達、今まで俺を支えてくれた人達。
まだ何も返せていない、助けて貰ってばかりで、まだ俺は何も恩返し出来ていない。
そんなの嫌だ!!
誓いがどうとかじゃない、心の底から只管にそう思っているだけだ。
此処で何もかもが終わるなんて、認めたくない!!
しかし、もう体は動いてはくれない。
どんなに強く願っても、結局は強大な暴力に全てを潰される。
最後に残ったのは、己に対する無力感と、急激に襲い掛かる睡魔。
心と別離した体では、それに抗う事も出来ず……
――俺の視界は、ブラックアウトした。
黒い空、黒い地上、境界線の見えない黒一色の世界。
放り出されたかのように俺は、そこで力無く立ち尽くしていた。
思い返すのは、……今までの自分。
数え切れない後悔をしてきた。
全ては俺の力不足で、その度に俺は強くなりたいと願った。
その願いがあるから努力が出来た。
例え今は無理でも、この努力はいつか実を結ぶと信じてきた。
どれだけ苦汁を舐めようが関係無く、俺は自分を強く持っていた……筈だった。
でも、今は――
――こんなにも悔しくて、堪らない。
非日常の光景、非常識の化け物、そんなものを目の前に出されて空回りしていた自分。
異常に慌てて、脅威に震えて、何一つ満足に出来なかった自分。
前者2つなんてどうでもいい。
問題は何よりも、自分自身だったのだから。
俺がもっとしっかりしていれば、どんな状況に置かれても揺るがぬ心を持っていれば或いは……。
そんな過ぎた事を否定してる自分が、世界中のどんなものよりも嫌いだった。
そして――
――俺に、力があれば――
――存在しないものに縋ろうとする自分が、大嫌いだった。
今はもう叶わない、その願い。
死して尚、手放す事の出来ない想い。
現実から切り捨てられた俺の胸に残る、最後の願い。
他力本願が嫌いな俺が生涯で数少ない、自分でない誰かに向ける言葉。
――あいつ等を、助けて欲しい――
俺が不甲斐無いばかりに、今窮地に立たされているであろう2人の少女。
アリサ・バニングスと月村すずか。
聖祥で出会った2人を……。
気が強くて、でも優しい心を持っているバニングスを……。
穏やかで、でも時々だけど人懐っこい月村を……。
きっと強く美しい人になれる、希望ある少女達を……
俺の大切な、友達を……。
誰でも良いから、救って欲しい。
これからも前へ進める人だから、俺なんかよりもずっと凄い人だから……。
そんな彼女達を、閉ざされた世界に置いていかないでくれ。
お願いだ、頼むからアイツ等を!!
一寸先すら見えぬ漆黒の世界で叫ぶ、俺の心の願い。
届く筈の無い声を必死に届けたくて……。
無駄だと知りつつも俺は、今の自分に出来る事をしたかった。
かくしてその想いは……
《Is it your hope(それが貴方の望み)?》
聞いた事も無い、でもどこか懐かしい合成音らしき女声によって、完全に吹っ飛んでしまった。
《Is leaving to others your hope(他人に任せるのが、貴方の望み)?》
まさか返答が来るとは思わず、眼を見開いて辺りを見回す。
しかし相も変わらず、俺の周囲は黒が埋め尽くしている。
聞き間違い? 唯の空耳か?
自問自答するが、そこに更なる追い討ちを掛けられる事になった。
《You are weaker than it thinks.(貴方は思ったよりも軟弱なんですね)》
グサッと俺の胸を穿つ発言。
異様にムカつくが、その反応が先程までの声が空耳でない証となる。
それじゃあ、この発言の主は一体何処に?
周囲は何も見えない、寧ろ目を開けてるかどうかすら分からない状態だ。
取り敢えず、声を掛けてみる事にした。
(お前、誰だ?)
《Is it me? I am nameless(私ですか? 私は名無しです)》
(名無し? 何だそりゃ?)
《Because a name that might be reluctant is not named.(仕方ないでしょう、名前を付けられてないのだから)》
合成音という異質な音ながら、そこに込められた想いや意志を感じる。
落胆、残念、そんな想いを……。
それにしても、名前を付けられてないって、どういう意味だ?
《It is called that it likes it and doesn't care.(好きなように呼んでくれて構いません)》
(好きなようにって……急に言われてもなぁ)
こんな突然の出会い、と言うか顔を合わせてすらいない相手を好きなように呼べって……。
(せめて、姿を見せてくれても良いんじゃないのか?)
《Then, please compromise.(なら、歩み寄って下さい)》
(歩み寄る? お前にか?)
《It is a thing only of not your coming beside of me that doesn't see.(見えていないのは、貴方が私の傍に来ていないから)》
その答えは至極真っ当なものだろうけど、傍って何処だよ?
姿も見えないのに、傍に来いっておかしくないか……。
傍に寄ってないから見えないって、そんなに遠いのかよ。
(こんな真っ暗闇の中、お前の傍にどうやって寄れってんだよ?)
遠回しな発言に、いい加減ウンザリしてきた。
少しずつ怒りが込み上げてくるが、ぶつける相手が見えないからどうしようもない。
《Here is your inside. The sense of incompatibility of the thing that I am there
has shut your view.(此処は貴方の内側です。そこに私が居るという違和感が、貴方の視界を閉ざしているのです)》
(俺の、内側?)
《Accept, and the sense of incompatibility. Irritation to me who feels it now and the
mystery are all …… in your mind.(受け入れるのです、その違和感を。今感じている私への苛立ちも不可解さも全て、貴方の心で……)》
(受け入れる、俺の心で……)
それが何を意味するのか、俺には分からない。
でもその言葉から感じるものは、嘘偽りの無い真摯な音色。
きっとこの女性の言ってる事は間違っていない。
それは俺にとって重要なものだと、心でなく思考で理解していた。
でも、出来るだろうか?
名前も顔も知らず、声のみの相手を受け入れるなんて事を……。
《no problem. Because you have the talent to be able to do it.(問題ありません。貴方には、それが出来る才能がありますから)》
(才能?)
《Now there is no leave that says the doubt. Because danger approaches them while it is doing so.(さぁ、疑問を口にする暇はありません。こうしている間にも、彼女達に危険が迫っているのです)》
(――っ、バニングスと月村に!?)
忘れていた。
自分がこうなった経緯、その原因たる異形の存在。
黒の体毛を纏いし、獣王の姿。
俺の視界が最後に捉えた、2人へ歩を進める奴の姿を……。
そして、その先に起こるであろう悲劇を……。
止めなくちゃいけない。
(でも俺は、奴に殺されて……)
《You are not dead. The life maintenance manages to consist of my power though
the serious injury was owed.(貴方は死んでいません。深手は負いましたが、私の力で生命維持は出来ています)》
(お前の力?)
《It explains later. It is a thing that returns to their places.(説明は後です。今、貴方がするべきは私を受け入れ、彼女達の所へ戻る事です)》
思わず、目が点になった。
彼女の言葉が事実であれば、俺はまだ死んでいない。
あれだけボロボロにされて尚、俺は生きている。
アイツ等の許へ戻る事が出来る。
友達を、大切な人達を守れるかも知れない。
その事実を知って、諦めていた心に希望の灯火が点き、全身から力が湧いて来るのを感じた。
(どうすれば良い? お前を受け入れるには!?)
《It doesn't give birth to any haste. The mind is calmed down, and everything is
opened.(焦りは何も生みません。心を鎮めて、全てを開放するのです)》
逸る気持ちを諌められ、彼女の言葉に従う。
そうだ、こういう時に慌てても何も出ない。
冷静になれ、心を鎮めろ。
波立つ感情を抑え、起伏を鎮めていく。
《The murmuring in the river is imaged. (川のせせらぎをイメージして)》
穏やかな声、まるで母親が子をあやすような優しさを感じた。
それに促されて瞳を閉じる。
川のせせらぎを、イメージ。
透き通る清流、流れる葉、泳ぐ川魚。
流れの方向、速さ、音。
《Small bird's twittering and leaves trembling in the wind.(小鳥の囀り、風に揺れる葉を)》
木に止まる小鳥、1羽、2羽……互いを呼び合うような音色。
サラサラと流れるような葉の音は、心を自然と鎮めてくれる。
全身に滾っていた力が抜けて、浮ついてた気持ちも地に着いた。
それは無気力ではなく、リラックスの最高潮。
ゆっくりと拍動する心音が聞こえる。
全身の血管を通る血液が、清流のように流れていく感覚。
脳内に涼風が吹き抜け、雑念が消える。
思考が、真っ白になる。
――――この感覚を、俺は知っている。
今日二度目の、『覚醒現象』。
そして……
「俺はお前を受け入れる」
《You accept me.(貴方は私を受け入れる)》
視界が、開けた。
先程までの暗闇に蛍光色の線が幾つも走り、それが灯りとなる。
改めて周りを見渡せば、そこはだだっ広い空間だった。
周囲の壁や天井に描かれた幾筋もの光は、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされ、全てが奥へと続いている。
よく見ると、それらはある一点で集束し、その場所には――――
――――金色に輝く珠が浮いていた。
クリアになる思考が、その珠へと近付く行動を起こした。
数メートルの距離はすぐにゼロとなり、その珠を凝視する。
真ん丸な月を連想させるそれの光に、思わず手を伸ばして……
《Don't touch(触れないで)!!》
その声と珠の明滅で、反射的に手を引っ込めた。
そして理解する。
この珠こそが、先程まで俺と会話していた声の主だと。
《The approach more than this influences your body harmfully.(これ以上の接近は、貴方の体にも悪影響を及ぼします)》
数度の明滅と同時に放たれた言葉に、俺は一歩その場から引いた。
悪影響が何を意味しているのか分からないが、必死に止める声を聞けば誰だって引くしかない。
従順なまでの迅速な行動、しかし不快感も違和感も無い。
そうする事が正しいと、思考の何処かで理解していたかのように……。
《The completion of the 1st and 2nd contact was confirmed.(第一、第二接触の完了を確認しました)》
俺が真っ直ぐにソレを見据える中、彼女の声が冷静に響く。
《As a result, an invisible field is switched in the annulment and the device is usually switched to operation.(これによりインビジブルフィールドを破棄、デバイスを通常運行に切り替えます)》
何度も明滅を繰り返す珠玉。
暗い空間にある数少ない灯りだが、視覚を刺激するようなものではない。
そして彼女から告げられる聞き慣れない単語の連なり。
だがそれに疑問符を並べる事も無く、耳と脳で聴き留めていた。
《Is it good(宜しいですか)?》
俺に向けられるその言葉。
何に対する了解か、それすら考える間も無く、俺は頷いた。
すると、急激に金珠の明滅が早くなる。
何度、何十度も繰り返し……
最後に、この空間全てを照らし尽くす剛光を放った。
《You have come to the place where it cannot turn back.(もう貴方は、引き返せない場所まで来てしまった)》
視界を純白に埋め尽くされる中で俺は、静かにその光を受け入れる。
体が浮上するような感覚、意識がサルベージされていく。
沈み、今にも消え去ろうとしていた想いが……
砕け、自身の弱さを嘆くしかなかった意志が……
深い深い海の底から、引き上げられて……
《One wish for Lucil disappeared.(ルシルの願いの一つが、消えてしまいましたね)》
悔恨の情を込めた声を傍に、俺は立ち上がった。
原色と灰色の交じり合った世界。
異常で、異型で、異質。
存在そのものが異たる空間、反吐が出る程の気色悪さ。
だが最早、今の俺には何も関係無い。
為すべき事があるのなら、それの為だけに動けばいい。
唯、それだけ……。
横に倒れ伏していた体を、腕の力で持ち上げる。
問題は無い、多少の痛みは残っているものの想定の範囲内だ。
上半身を上げて、足で地に強く踏み込む。
多少バランスを崩したが、すぐに持ち直した。
そうやって俺は、傷だらけの体を再び立ち上がらせた。
視線の先には、少女2人と一匹の化け物。
力無き少女は化け物の放つ威圧に当てられ、その場に立ち尽くしている。
紫髪の少女がもう1人を庇っているような立ち位置。
奴と少女達との距離を見て、気を失ってから殆んど時間は経っていないと悟る。
まだ、立ち上がった俺に気付いていない。
だが獣の勘か、奴は徐に視線を此方に移してきた。
グゥゥ……
牙を剥き出しに、紅玉を思わせる双眸がジロリと俺を睨みつける。
俺の瞳の奥を射抜くような視線は、人類たる人間では為す術も無く心を折られるだろう。
現実的に、それだけの眼力が奴にはあるのだ。
――――だからどうした?
今更それが、何になる?
今の俺には、お前の威嚇の感想を呟いてる暇も、鑑賞してるつもりも無い。
クリアな思考が切り開くのは、奴を打倒する術へ至る道筋。
それ以外は、何もいらない。
《The damage to the body doesn't finish recovering though the wound was closed.(傷口は塞ぎましたが、体へのダメージは治りきっていません)》
(動くのであれば関係無い。それよりも……)
《Yes, a temporary magic boost is multiplied by your body now.(はい、今より貴方の体に一時的な魔力ブーストを掛けます)》
(持続時間は?)
《In your today amount of magic, about five minutes are limits.(今の貴方の魔力総量では、およそ5分が限界です)》
(――充分だ)
体勢を低く、左足を前に構える。
瞬間、俺の体に灰色の光が纏わり、全身に力が漲って来た。
これが魔力ブーストと言うヤツだろうか?
だがそれを考えるのは、時間がある時でいい。
今は先ず……奴を潰す。
「ふっ……!!」
一拍の後、後ろに溜めた右足の力で飛び出す。
たったの一歩、それだけで土の地面が抉れたが、気にしない。
俺の視界に映る景色が、今までとは比べ物にならない位の速さで通り過ぎていった。
風を切る、大気を吹き飛ばす、そして奴を――
「くっ!?」
――拳を構えた時には、既に間合いの内。
懐への一歩を踏み抜いて、無理矢理に方向転換して距離を取る。
その間、化け物は一ミリたりとも動きを見せなかった。
恐らくだが、先程までの俺の動きとの差異に、本能の部分が反応出来ていないのだろう。
だがそれは、俺も同じだった。
スピードは予測だが、奴とほぼ同じ。
今までに感じた事の無い疾走感、それは俺の思っていた以上の速さを示していた。
たったの一歩で懐まで来てしまうとは、俺自身も予想外だったのだから。
つまり、身体性能が予想以上のものだったと言う事だ。
(でも、感覚は今ので掴んだ)
右手を開いたり閉じたりして、神経伝達に異常が無いか確かめる。
秒速およそ30メートル、時速にして100キロ超。
地上最速と言われているチーターでさえ120キロだと言うのに、これは破格の性能である。
だが使えるのであれば何だって使ってやる。
視界の端、信じられないものを見たような双眸で、俺から目を離せないでいる少女達を守ると決めたのだから。
ガァァァ!!
「来るか……」
目の前の者を倒すべき優先対象に決めた奴は、雄叫びを上げ全力を以って飛び掛かってきた。
虚像を残す程の疾走、化け物たる所以が何者にも負けないスピードとなって俺を襲う。
常人ならその一撃で首を刎ねられ、無様な首無し人形の姿を晒す事になるだろう。
しかし、今の俺なら――――負ける道理は無い。
奴のスタートに遅れる事一瞬、俺も前へ――。
勢いを殺さず、踏み込みと同時に襲い来る巨躯の真下へと滑り込んだ。
スライディングの要領で懐へ潜り込む。
その刹那の交差、奴の腹下を抜けた瞬間に腕を伸ばし、あるモノを掴み取った。
ギャウン!?
予想外の状況に、奴は今までに聞いた事の無い狂乱染みた鳴き声を上げる。
それに対し、掴んだモノを離さぬように握力を強めた。
そしてその腕を、剣道の上段の如く――
「はぁっ!!」
思い切り振り下ろした。
化け物は俺に掴まれていた自身の『尻尾』に引っ張られて、先程までの運動エネルギーとは逆向きの力を与えられる。
通常ならスピードで同等の奴とでは、ウェイトの差で俺が持っていかれるだろう。
だがスピードだけでなく、パワーもブーストで大幅に強化された俺なら負ける事は無い。
千切れてしまえとでも言うように振り下ろした尻尾は、しかし地面に着く前に障害物に阻まれて事無きを得た。
だがその身は障害物である街路樹に、背中からモロに打ち付ける事となる。
グゥッ!!
喉から苦しそうな鳴き声が漏れる。
俺はと言うと、ぶつかる直前に樹木を蹴る事で反対側へと逃げ果せた。
「さっきのお返しだ、バケモノ」
気を失う前、体当たりで同じような目に遭った事を忘れていない。
只では立ち上がらない、それが俺の信条だ。
視線の先には、身構える間も無く受けた衝撃に悶えている奴の姿。
脚が震えている所を見ると、先程のダメージはかなり効いているようだ。
だったら……、と目標へ特攻を掛けようとした瞬間――――視界が歪んだ。
「くっ……」
グニャリと、泥水のような風景がそこにはあった。
白んでくるソレは、明らかに自分の体に赤信号が点灯した証。
限界が、近いと言う事……。
《It is an update of body information.(身体情報の更新です)》
そこに、内側からの声が掛かる。
《The load more than the measurement seems to hang in 'linker core' by the magic exercise that doesn't become accustomed.(慣れない魔法行使により、『リンカーコア』に計測以上の負荷が掛かっているようです)》
言ってる事は相も変わらず理解出来ない単語ばかり。
だがそれは、この体に確実な限界が存在する事を意味していた。
《The damage accumulated in the whole body in addition to it seems to be deteriorating by the current combat.(それに加え、全身に蓄積されたダメージが、今の戦闘により悪化してる模様です)》
淡々と、事実を述べる女性の声。
その中に、俺の体を気遣うような雰囲気を感じたのは、俺だけだろうか……。
だがそんな事を考えるのは、時間がある時で充分だ。
それが事実である以上、この限界の近い体で出来る事をする。
それは一体、何なのか……。
それを考えている間にも化け物は体勢を整えて、此方を警戒している。
すぐには仕掛けてこないだろうが、時間は無い。
どうする? どうすればいい?
考えろ、考えろ、考えろ。
《The enemy is a death body. If a blow is decided at the end, the thing knocked
down might be possible.(敵は死に体です。最後に一撃を決められれば、倒す事も可能でしょう)》
(あぁ、だがそれはこっちも同じだ)
奴が後一撃で終わるのは状態から見て明らかだが、それは俺も同じだ。
一度でも喰らえば、今度こそ二度と立ち上がれないし、息も吹き返さないだろう。
俺達はお互いに、死の寸前にまで歩み寄って来ていた。
一撃、しかも一発で決められる程の威力のある、豪快なものを……。
今の魔力ブーストだけじゃ足らない、もっと大きく、もっと鋭い一撃。
《Please image it.(イメージしてください)》
(何を?)
《Yourself who reaches the enemy hits it. Strong fist that crushes brainpan.(敵に届く、己が一撃。頭蓋を粉砕する、強力な拳)》
そう、この状況に於いて、それこそが俺の求めるもの。
しかしどうやってイメージする?
漠然としたものでは駄目だ、もっと明確な……目に見えずとも確実に存在するものを。
《Feel, and all of this place in which you are.(感じなさい、貴方が居るこの場所の全てを)》
(此処の全てを……?)
《The flowing wind, and it is put gravity, and a buoyancy that flies up
pressure.(流れる風を、圧し付ける重力を、舞い上がる浮力を)》
この世に存在する、永続的な力の流れ。
人の目に見えるものではなく、しかし確実に存在するもの。
それを、想像しろというのか?
《Power and it that flows are put on the fist by yourself.(流動する力、それを己の拳に乗せるのです)》
(流動、拳、イメージ……)
グルルル……
視線の先の獣が、突撃の体勢を取った。
また同じかと思いきや、それはあらぬ方向を向いていた。
此方ではなく、大きく逸れた方へ……。
「まさか……」
そこには、見間違えようも無く――――2人の少女が居る。
此処に来てのターゲットの変更、予想出来なかった訳ではないが急過ぎる。
目の前の俺を無視して、確実に狩れる獲物を狙う。
確かに理に適った行動だ、しかし俺がそれを見逃す筈も無い。
奴が飛び出すと同時に、俺も駆け出した。
ガァァァ!!
喉が裂けんばかりの咆哮、それは瀕死である奴の最後の足掻き。
ダメージによって明らかに速度を落とした疾走は、それでも常人とは比べ物にならない速さ。
――だがもう、俺には鈍い物体にしか見えない。
黒の獣が辿り着くより遥かに早く、俺は2人の少女の前に立ち塞がる。
両脚から軋むような音が聞こえる、限界が近いのだろう。
「っ……」
近付く、黒い塊が……。
更に近付く、雄々しい尖角を此方に向けた獣が……。
まだ近付く、最後の力を振り絞って……。
奴は近付く、俺を刺し殺す最後の一撃を携えて……。
《If it is me and you, it makes it to perfect shape when even the image is vague.(私と貴方なら、たとえ曖昧なイメージでも完璧な形に出来ます)》
(あぁそうだ。俺と、お前なら……)
迫り来る脅威は、1秒強あれば到達するだろう。
地を踏み鳴らす奴は、確実に近付いてくる。
後ろで身構えるように小さく唸る声が聞こえた。
このまま時が過ぎれば、俺のみならず彼女達も……。
――――それだけは、させない!!
俺の誓いは、誰にも破らせはしない。
軋む右腕を振り上げる、痛みは一々気にしてられない。
狙うは一点、奴の頭蓋と鋭利な角、それ等を確実に砕く。
(出来ない事は無い!!)
大気が変動した。
穏やかだった空気は突如、俺の周囲だけ荒々しく活動を始める。
そして拳に集う、乱気流の如き暴風。
圧縮されたソレは、放たれるのを今か今かと待ち構えている。
腕には、見た事も無い模様の灰色の環が2つ取り巻いていた。
乱気流が更に暴走し、爆風へと変貌する。
それは何者も寄せ付けない無形の盾、触れる全てを吹き飛ばす鋼の風。
ガァァァ!!
奴が、俺の間合いに入った。
きっと死に物狂いでの疾走、その獣の顔は正しく最後の意地だった。
そしてそれは、俺も同じだろう。
これが最後、決まらねば全てが水の泡だ。
まるで数倍の重力が掛かったような右腕を振り下ろす。
狙うは唯一点、そのいけ好かない剣のような角。
自身の雄々しさの象徴、一撃必殺の刺突剣。
俺を殺そうとする、バニングスを殺そうとする、月村を殺そうとする、その全てを――
「堕ちろ!!」
《Geo Impact(ジオ・インパクト)》
――轟音と共に、悉くを粉砕した。
衝撃が強過ぎたのか、足元のアスファルトには網目状に砕かれた跡が1メートル以上の円形となって残っている。
その上で倒れ伏す、無様な姿を晒す黒い獣。
断末魔も何も無い、振り下ろした瞬間に奴は絶命していた。
角と意識を折られたコイツは、二度と動く事は叶わないだろう。
「……」
終わった。
少女を苛む恐怖の象徴は、今此処に打ち砕かれた。
守れたのだ、大切な友達を……。
生きれるのだ、まだこれからも……。
この化け物に勝った事より、それの方が何倍も嬉しくて……。
その想いを抱えたまま――
「っ、瑞代!?」
「聖君!!」
――俺は、今度こそ力尽きた。
――フフフッ、漸く見付けたよ――
――ずっと待ってた、君が現れる時を――
――君もそう思うだろう?――
――なぁ……『ハギオス』――
―――――――――――――――
あとがき
どうも、明けましておめでとうございます!!
新年を迎えて一発目が『運命編』の序章とは、何とも幸先の良いスタートとなりました。
これからも頑張って続けていけるよう、精進していきたいと思います。
それでは、今話について。
まず最初に言っておきます、…………『ご都合主義乙www』という感想はお控え下さい。
いや、↑の発言はフリじゃありませんよ?
と言うのも話の展開があまりにも早くて、そして突拍子も無い流れなので、そういった感想を持たれる方も居られるかと思ったからです。
僕としても色々と考えたのですが、最初に作った設定上でこの場面を外す訳にもいかず、そのまま執筆に至った次第でございます。
しかし一つだけ言わせて貰います。
今回出た『名無しデバイス』は実は、――――――――既に本編の話で出ていました。
読者の皆様が誰も気付かなかったようなので、敢えて此方で書かせて頂きます。
何処にあるかは言う必要も無いと思いますが、ヒントを出すならば……
『A、Sルートの最終話でこんな感じで隠れています』
ですね。
いやもうこれは答えなんですが、元々最後まで隠し通すつもりも毛頭ありませんでしたから、ここらで披露しちゃってもいいかなぁ……なんて。
さて、今回でまた謎が増えたと思いますが、きちんとした理由はありますのでご安心を。
聖に語りかけたデバイス、そして最後の最後に出てきた謎の声の正体は一体何なのでしょうか?
答えは『運命編』に隠されています。
今回は以上です。
感想や意見、その他シチュエーションリクエストは掲示板や拍手の方でお願いします。
一言でも良いので、「自分が書かなくても、誰かが書いてくれるだろ」と思わずに、お願い致します。
感想や拍手数が壊滅的に少ないので時々ですが、『このまま続けても良いのだろうか?』と不安になってしまいます。
皆様のお声が、僕の活力となります。
それでは〜。
――Web拍手のお返事――
>草之様
此方こそ、明けましておめでとうございます。
2人の絆の形、きちんと見えていたようで良かったです。
確かに、多くを語る必要はありませんよね。
色々とすれ違いがありましたが、草之様も安心して貰えたようで此方もホッと胸を撫で下ろしています。
オジさんって……貴方はそこまで年ではないでしょ――!!
いや、実年齢は知りませんけどね……。
それと前回の最後にあったアレですが、唯の『嘘予告』ですよ〜。
『少年の誓い』の未来はどういったものか、文章に起こすとどうなるかテストついでに書いてみました。
StSまで飛ぶ事は無いので、興奮せずに落ち着いて下さい。
シチュエーションは草之様の言った通り、ゆりかご内でのヴィヴィオとの戦闘です。
なのはとヴィヴィオの許に聖が来て、なのはにクアットロを追うようにお願いした後のシーンです。
「娘を助けるのは父親の役目だ。お前は母親として、俺達の帰りを待っていてくれ!!」
そんな台詞を言う聖が容易に想像出来ます。
聖、それは「なのはは俺の嫁」発言と同意義だよ?
それにしても、お褒めの言葉を頂けるとは思いもしませんでした。
何たって僕から見れば、草之様は『その優しい星で』の作者様ですからね。
毎回楽しみにしてる作品を作ってる人からお褒めを頂き、恐悦至極です。
これからも草之様や他の読者様に楽しんで貰える作品を作れるよう頑張ります。
それでは〜。
今回は、以上です。
拍手の方での感想、本気でお待ちしております。
以上、今回のお返事でした。