少年の誓い

〜魔法少女リリカルなのはAs〜


9X「聖の最も長い一日 後編」











「紫外線に対する予防もしたし、すぐに戻ってくるつもりだったから大丈夫だと思ってた」


 その日の天候は晴天。

 これが良いのか、それとも悪いのかは分からなかった。

 だが少女には、そこは未知の世界だったのだ。

 夜では見えなかったモノが、そこにはあった。

 行き交う人々の姿が、あまりにも新鮮で……。

 自分を照り付ける日差しが、あまりにも綺麗だった。

 唯それも、時間の問題だった。


「日頃の運動不足に加えて、日光によって体力を奪われた彼女は、少年に出会う前に力尽きてしまったの」


 近くに居た人がすぐに救急車を呼んだようだが、その間にも太陽光は少女を蝕んでいた。

 いくら予防をしてようとも、いつか限界は来るのだ。

 迅速な対応だったらしく、彼女はすぐに病院へ運ばれた。


「皮膚に水疱や火傷のような痕はあったけど、その時はそれだけで問題が無かった」


 両親はすぐさま駆けつけ、少年もまた同じだった。

 思った以上に元気だった少女に、拍子抜けすると同時に安堵する彼等。

 その後少女は、両親からこっ酷く怒られその場は収まった。

 だが、本当の悪夢はそれからだった。


「入院から数日経ったある日、気付いたら皮膚に水疱だけじゃなくて紅斑まで出来てたの」


 医師はすぐに検査を行い、原因が分かった。

 それは――――色素性乾皮症、通称『XP』と呼ばれる病気だ。

 通常、紫外線によってDNAが損傷を受けても、大部分の細胞は損傷を受けたDNAを正常な状態へと修復することができる。

 しかし、XP患者はこのDNA損傷部位を修復する機能が遺伝的に低下しているため、DNAレベルの損傷が固定化され、異常細胞、すなわちガン細胞の増殖に繋がり、皮膚ガンが発生すると考えられている。

 アルビノという特殊体質である彼女に、更なる重荷が負わされたのだ。


「そして時間が経つにつれ、体が言う事を利かなくなり始めて……」


 XPは臨床的にA〜G群とvariantの8群に分類されており、その中でもA,B,Dの3群は特徴的な皮膚症状のほかに多彩な神経症状を合併する。

 特にA群XPは重篤で進行性の中枢神経、末梢神経障害を伴うのだ。


「体の次は耳が、そして呼吸までも儘ならなくなってきた」


 言葉が聞き取り難くなってきて、眼球と手先が震える。

 座っていてもバランスを崩したり、呼吸障害によって咽せ易くなった。

 仕舞いには動くにも車椅子が必要になってしまった。


「生活が一気に不自由になって、悲しくなって……」


 それでも、少年は傍に居てくれた。

 自分の声が彼女にとって、日に日に聞こえ辛くなっている事を知りながら、彼は話していた。

 今日自分の周りで起きた事や、他愛の無い無駄話。

 それでも2人にとって、それは無駄ではなかった。

 自分がそんなみすぼらしい状態であるにも関わらず、彼はいつでも傍に居てくれる。


「だから頑張って、いつか治るようにって……」


 ――治ったら、快気祝いで何処かへ行こう。

 まだ見ぬ未来に思いを馳せ、彼等は病魔と戦い続けた。

 それだけが、絶望から逃れる事だと分かっていたから……。


「それでもやっぱり、日に日に体は弱っていって……」


 神経障害に合併した嚥下障害。

 様々なハンデを背負った彼女に、更なる追い討ちを掛けるように、それは起こった。

 それによって肺炎を起こし、その体は見る見るうちに弱っていったのだ。

 そして――


「家族や彼に看取られて、最期を迎えたんだ……」

「っ……」


 あまりに残酷な結末だった。

 俺の口から、上手く言葉が出てこない。

 一体その少女は、どんな想いだったのか……。

 日の下に出る事を許されず、それでも恋を実らせ、でも最後には完全に衰弱しきった状態で、全てに別れを告げた。

 そんな重い運命を背負わせた神を、世界を、恨んでいたかも知れない。

 目の前の少女は顔を上げて、真紅の瞳で見詰めながら問う。


「ヒジリ、貴方はこの少女が、自分の運命を恨みながら死んでいったと思う?」

「当たり前だろ。同情なんていい加減な事は出来ないけど、……聞いてて胸が締め付けられたようだった」


 もし俺がその立場だったら……、そんな例えは不毛だ。

 今の俺は、今の現状があるからこその『俺』なのだから。

 故に、答えられる言葉など、その話の悲劇性を感じる事だけだ。


「それは違うよ」

「えっ……」


 しかし、和泉は違かった。

 あれだけの悲しい物語を語ってもなお、彼女の表情には翳りが無い。

 俺でさえ、これ程までに遣る瀬無い気持ちを抱えていると言うのに……。


「彼女は恨んでいない……後悔だってしてないもの」


 それは一体、どこから生まれ来る自信なのだろうか?

 見詰める瞳に揺らぎは無く、語る言葉は何処までも真っ直ぐだった。


「絶望しか無かった世界。最後まで納得のいく結末じゃなかったけど、大切に出来たものもあった」

「大切に出来た?」

「そう……。家族や恋人、そして――――皆に愛された自分自身」


 和泉は両手を胸に当てて、その言葉を噛み締める。


「最後の最後に、この世界に生まれて――――本当に良かったって思えた」


 この夜空を突き抜けるような、輝くような笑みだった。

 それだけで、彼女の放つ言葉に真実を感じさせる。

 だからこそ余計に分からない。


「何でそんな事が言えるんだ?」


 言わずには居られない。

 和泉の言葉が真実だとするならば、何故その事を知っているのか?

 話の内容だけならば、人伝に聞く事は可能だ。

 でも、特殊な身の上である少女の心情を察するのは、立場の異なる人間では無理だろう。

 適当な同情の言葉を並べるのは、本人の背負う重さに対しての冒涜に他ならない。

 ならば、和泉の言葉もまた、少女への冒涜となるのだろうか?

 だとするならば、俺はそんな勝手を許さない。


「…………」


 俺の問いに、再び顔を伏せる和泉。

 胸に添えられた両手は、何かに我慢するように強く結ばれていた。

 よく見れば、小刻みに震えている。


「おい、和泉」


 一体どうしたと言うんだ?

 幽かに見える彼女の口は、何度か言葉を紡ごうと開きかけ、閉じる。

 先程とは全く違う姿に、半ば反射的に傍に駆け寄った。

 背後に浮かぶ銀月に照らされるその姿は、美しくも儚い天使のようで――


「ぇ……」


 見えてしまったのは、本当に偶然だった。

 傍に行こうとした時、何故か彼女の足許に一瞬だけ視線が動いた。

 どうして足許なんかに目が動いたのか、それは分からなかったが、体が動く事を止めてしまう事実があった。

 その先には――


「な……んで…………」


 ――影が、無かった。

 月の位置から見て、俺の方へ伸びる筈の影が映っていなかった。

 おかしい、こんなのあり得ない。

 それに何故、今の今まで気付かなかった。

 もう何時間も前から、その姿は見ていたというのに……。

 しかしそれ以上に、何で影が無いのだろう?

 あり得ない、あり得ない、あり得ない――――。


「あ、ぁぁ……」


 既に混乱の極致、思考が全て埋まっていく。

 何故、何故、何故、そのフレーズが無限に繰り返されていく。

 影が無いなんて、そんな事あって良い筈が無い。

 だってそれは――


「どうしてそんな事が言えるのか。それはね……」


 震える声で語りだす。

 でもそれを言わせては、聞いてはいけない気がした。

 もし俺の考えが真実だとするのなら、あの話の少女と言うのは――


「――その少女が、私自身だからだよ」


 その解に、驚いてる自分と理解する自分が居た。

 目の前の現実があまりにも突飛の無いものだと、それでいて完全に辻褄が合ってしまったという事実。

 彼女の容姿がアルビノの症例そのものだったと、今になって気付いた。


「貴方の目の前に居るのは、肉体を失った魂だけの存在」

「……ほ、本当にお前は」


 魂だけの存在、つまり幽霊なのだと。

 目の前に居る少女はハッキリと告げた。

 ――そんな常識外の答え、馬鹿げてるにも程がある。

 でも真っ直ぐな彼女の目を見て、唯の冗談だと笑い飛ばす気になんてなれない。

 だったら、俺の見ている和泉は何なんだよ?


「大丈夫。確かに今の私は魂だけかもしれないけど、幻なんかじゃなくて、本当の『アティ・ヴィルヘル・和泉』だよ」

「そう、か……」


 ホッ、と安堵する心が生まれる。

 此処に居る和泉は本物だと、その真実が妙に嬉しかった。

 ……いや、幽霊なのに本物?

 そんなくだらない冗談も、今の俺が落ち着きを取り戻した証だろう。


「でも、だったら何で……」


 だからこそ、疑問に思う所がある。

 何故、この話をしたのか。

 自分のあんな辛い思い出を語るのは、きっと身も心も削るような思いの筈だ。


「こんな話を、俺に?」


 ――職場実習の時、俺はハラオウン達に同じように過去を話した。

 だが和泉と俺とでは、掛かる重みが違い過ぎる。

 俺なんかでは、彼女の悲しみや辛さには到底及びもしない。

 それでも過去の傷を切開する行為の痛みは、俺にも少しだけ分かる。

 故に、和泉の行動には疑問が残るのだ。

 その真意は一体……。


「ヒジリに教えたかったの」

「教えるって、何を……」

「人に恋する、人を愛するからこそ生まれるモノ」


 恋や愛によって生まれるモノ。

 彼女が俺に教えようとしているそれは、一体何なんだ?


「恋した時、好きな人を自然と目で追うようになったり……話している時に、今までより充実した時間を感じるようになる」


 …………知っている。

 自分の気持ちが、誰よりも何よりも好きな人へ向かっている感覚。

 かつて俺もそうだった。


「時に胸が詰まるような想いもあるけど、それすらも恋をしている証拠」


 そうだ。

 言葉にしなければ伝わらない気持ちは、相手にとってどう映るのだろうか?

 そんな懸念が何度も過ぎった。

 それが一層、恋心を大きくしていた事もまた事実だった。


「そしてそれは、きっと――――前へ進む力」

「前へ……」

「うん。だって、ヒジリにも経験がある筈だよ」


 ――好きな人に、もっと好きになって欲しい。

 ――もっと自分を見て欲しい。

 もっと近付きたくて、自分に自信を持てるように。

 強く、格好良くなりたいと……。

 そう願うのは、正しく前へ進もうとしてる事なのだろう。

 確かに、俺にも経験はあった。

 好きになって欲しくて、背の高い彼女に追い付こうと必死に背を伸ばそうとした。

 時に本から知識を得たり、それを実践してみたり……。


「恋は人を強くする。私もそうだったから」


 そして和泉は、生きる力を得た。

 無色だった世界で、色を取り戻した。

 それはきっと、素晴らしく強い。


「でも、想いが破れた時の反動もまた、大きい」


 強過ぎる想いは、危険な程に脆いもの。

 一度でも瓦解してしまえば、組み直す事なんて出来ない。

 壊れたものは、壊れたまま……。


「それでも、それまで恋をした事実は変わらない。恋を叶えようと頑張ってきた事は無くならない」

「それは……」


 恋に破れて1年後、好きだった子と同じ位の身長になった。

 2年後、彼女を越えて少しだけ大きくなった。

 確かにそれまで培ったものは、残るだろう。


「でもそれは、たった1人の為だけにやってきたんだ。それが残っても、何も変わらない」


 寧ろ、叶わなかった証として残り続ける。

 それは、生きていながらの恥辱。

 消し去る事の出来ないものなら尚更だ。


「それで、心だけでも否定しようとしたの?」

「……」

「じゃあ何で、今でも失恋の想いを引き摺ってるの?」

「別に引き摺ってなんか――」

「――じゃあ何で、今でも好きだった時の事を覚えてるの?」

「っ――!?」


 ドクン、とその言葉に鼓動が反応した。

 それで改めて気付く。

 否定したければ捨て去ればいいモノを、俺は未だに持ち続けている事を……。

 傷つけるモノだと知っていながら、今でも大事に抱え続けてる事を……。


「本当は大事だって知っていたからでしょ?」

「っ……!」

「否定し切れなかったんだよ。その想いは、自分にとって本物だったから」


 きっとそうに違いない。

 一時の気の迷いなら、躊躇いはしなかった筈だ。

 なのに、無意識に捨てられなかったのは、その想いが嘘偽り無い本当の気持ちで、願いだったから……。

 捨てられる筈は……無かった。


「ヒジリは、進めなかった?」

「え……?」

「前に進めなかった?」


 頑張って、頑張って、結局はこいを閉ざされてしまった。

 そのこいを諦めて向かった先は、家族だけを見続けるにげだった。

 そして、家族を守る為に一層の努力の下、自分を鍛えていった。

 その逃げた先を、本当に道だと言えるのなら……

 それを進んでいたと、言えるのなら……。


「……俺は、進めたのかな?」

「うん。だって――――恋は叶わなくたって、力をくれるんだよ」

「あっ……、ぁっ…………ぅぅ」


 分からなかった訳じゃない。

 自分は逃げていて、間違っている事なんだと。

 それでもその意識を抑圧して、正しい事だと思い込んでいた。

 だからこそ、和泉の言葉が心に溢れてくる。

 間違っていた道でも、進んでいたと認めてくれた。

 それが何より嬉しくて堪らなくて、心に残っていた罪悪感を流してくれる。

 涙が……溢れて止まらない。


「くっ……っぅぅ…………」

「大丈夫だよ。きっと皆、ヒジリの事を分かってくれてるから」


 涙腺から流れる雫に気を取られて、その場で崩れ折れる。

 膝立ちで泣き続けるなんて無様を、生涯する事無いだろうと思っていたのに……。

 滑稽な体勢の俺を、和泉が抱き寄せてくれた。

 柔らかい感触に、ある筈の無い体の存在を感じる。


「君は1人じゃないからね」

「うん……うん!」


 優しい手で頭を撫でてくれる。

 まるで母に抱かれてる感覚に、心からの安堵を憶えた。

 赤ん坊が揺り籠の中で安らかに眠るように……。

 俺もまた、彼女の胸の中で心穏やかに泣いていた。










 一頻り泣いたからだろうか、気持ちはスッキリしていた。

 相対する少女は穏やかな笑みで、俺を見ている。

 その姿に、否応無く胸の鼓動が高まってくる。

 顔が紅潮するのを気付かれないように、慌てて体を後ろに向けた。


「フフフッ」

「んだよ。急に笑って」

「何でもないよ」


 しかし笑いを堪えるのは止まらない。

 コイツ、分かっててやるからムカツク。

 と言っても無駄だから言わないけどな。


「ヒジリ」

「何だ?」

「すぐに恋をしろなんて言わない。だから――」

「あぁ……」


 言いたい事は何となくだけど、分かってる気がする。

 自分の間違いを、間違いではあったけれど認めてくれた。

 それはつまり――正すのは自分の意志で行え――と言っているのだ。

 だから俺は、これから少しずつ変わっていこうと思う。

 強制ではなく、自分自身の意志で……。


「少しずつ、受け入れていく。叶わなかった想いも、間違ってしまった道も……」

「うん」


 恋敗れても次の恋がある。

 それは当然の事で、いつまでも1つの恋をウダウダ言うのは唯の馬鹿だ。

 そして俺は、例えようの無い唯の馬鹿だった。

 和泉に言われて気付かされた自分は、とても愚かだと思う。

 そんな愚かな俺も含めて、これから少しずつだけど……。


「そしていつかまた、誰かを好きになれるように」

「応援してるよ」


 俺を優しく見守る彼女の声援が、妙に嬉しい。

 これ程心強い声援は無い。

 心底から頑張れそうな気がする。


「あぁ、それとね……」

「ん?」

「私の家系が、ちょっと変わっててね」


 と、唐突に全く話題が逸れてしまった。

 まぁ俺としては、気持ちの切り替えは出来てる気がするから良いけど。

 それにしても、変わった家系って何だ?


「偶に、見た相手の未来が見える事があるんだよ」

「それって、占いとかそんなヤツか?」

「正確には未来視さきよみだけど、似たようなものだよ。生きてた時は2,3人位しか見えなかったけど……」


 流石にそれは……。

 コイツが幽霊だって事実だって、結構受け入れるのに時間が掛かったってのに。

 今度は占い師みたいな能力を持ってるだなんて……。

 正直、それこそ半信半疑だ。


「まぁ、適当に聞いてくれて構わないよ」

「別に良いけど」


 呆れたような笑みを浮かべながら、自虐的にそう言う和泉。

 しかしコイツが適当な嘘を述べるとも思えないから、完全に疑ってる訳じゃない。

 それに自分の未来を言われるとなれば、否でも気になってしまう。

 固唾を飲んで、彼女の言葉を待つ。


「『人』と『人ならざるモノ』を繋ぐ者、いつの日か運命に出会う」


 流麗に紡がれる言葉。

 そして紡ぎ人は、凛とした佇まいで語り続ける。

 その彼女に向けて、言葉を発する事など出来なかった。


「3つの刃を携えし悪意が、彼の者を異界へ誘う」


 それだけ言うと、和泉はふぅと息を吐いて肩肘を緩ませた。

 どうやら未来視というのは終わったようだ。

 しかし、何か予言者みたいな力だな。

 繋ぐ者、3つの刃を携えし悪意、異界……。

 まぁ完全に信じた訳でも無いけど、一応気に止めとくか。


「さてと、これで終わったかな」

「何がだ?」

「私に出来る事、全部終わったかなって。後はヒジリ次第、ちょっと無責任だけど――」


 フワッと、和泉の体が数センチだけ宙に浮いた。

 まるで地上から解き放たれたように、目の前でフワフワと緩く上下している。

 自分の中で、ある予感がした。


「――頑張ってね」


 弾ける笑顔は輝くように、その体が少しずつ光の粒子に包まれていく。

 神々しさが際立つその姿に、俺は瞳を奪われた。

 体は徐々に、それでいて確実に彼女を埋め尽くしている。

 『別れ』……その言葉が心に灯った。

 きっと彼女とは、金輪際会う事は叶わないだろう。

 でも、それでも構わない。


「おう、ありがとな」


 ――出会った事実は、決して消える事は無いのだから。

 光は全身を包み込んで、次の瞬間……


「っ!?」


 強烈な光を発した。

 反射的に手で目の前を覆ってそれを避ける。

 数瞬の後、同じ場所に目を遣ると……


「……」


 月光を反射する地面。

 まるで最初から何も無かったかのように、再び静寂だけが取り残された。

 俺の言葉も、夜空の闇に溶けて消える。

 でも、何故か心だけは穏やかなままだった。


「ありがとな――」


 それはきっと、1人の少女が気付かせてくれたから。

 大切な事を思い出させて、そして教えてくれたから。

 だから、最大級の感謝を以って……


「――アティ」


 お前の名前を呼ぶから。










「聖、墓の周りを掃除して貰えるか?」

「はい、すぐにやります」


 目の前に佇む洋式墓碑に、手桶から汲んだ水を掛ける。

 数回行ったら、今度は布巾でそれを丁寧に拭いていく。

 その間に隣に居る師父は、供える花束の根元に生える余計な葉を毟っていた。

 その間に俺は花立に入っている古い花を抜いて、それを水場にまで持っていく。

 手桶や杓子と同様に置かれている柄付きたわしで花立の底を洗って、墓碑の場所まで戻る。

 師父は既に葉毟りを終えており、此方を向いて俺を待っていた。


「すまないな」

「いいえ、無理を言って来たのは俺ですから」


 いつもは師父1人がやっていた作業。

 それを俺がやっていると言う事に、少なからず申し訳無さを感じているようだ。

 俺としては、もっと扱き使ってくれても構わないが、師父の性格じゃ無理だろう。

 花立を定位置に置き桶から汲んだ水を入れると、間を置いて師父が花を置いていく。

 最後に師父がライターで線香の束に火を点けて燻らせ、束の半分を渡された。


「師父が先に……」

「あぁ」


 言葉で促して、師父は焼香台に線香の束を添える。

 同じように、俺も手にした物を台へ置く。

 それが終わると、俺と師父は『和泉家之墓』と刻まれた墓前でしゃがみ合掌し一礼。

 ……まさか昨日の今日で、お前と関わる事になるなんて思わなかった。



 師父が毎年この日に行っている事が、『墓参り』だったとは驚いた。

 しかもそれが『アティ・ヴィルヘル・和泉』だとは、誰が予想しただろうか。

 一通りの仕事を終えた師父が出かける用意をし終えた時、思い切って聞いてみる事にした。

 6月16日、貴方は何をしているのか……。

 師父は少し逡巡すると、次のように答えた。


『大切な人の命日でな。短い人生を、ハンデを背負いながらも懸命に生きた少女のな……』


 どうしてだろう、それは和泉かもしれないと感じた。

 理由なんて無い。

 それでも気になった俺は、師父と共に行きたいと告げた。

 師父はかなり驚いた様子だったが、俺の目を真っ直ぐに見詰めると了承を下した。

 移動中の車中、師父はその少女について語ってくれた。

 師父曰く、その少女は自分の初恋の少女だったらしい。

 当時、学校に上手く馴染めなかった師父が、偶然出会った少女。


『ちょっと変わってはいたが、まぁ意外と懐っこい性格だったな』


 彼女との時間を重ねていく内、自分が変わっていくのを感じた。

 あまり表に出そうとはしなかったようだが、不思議な感覚を今でも憶えているらしい。

 そしてあの悲劇の始まり。

 様々な障害の中、師父は自分に出来うる事をする為に頑張った。

 彼女を喜ばせる為に、学校での生活を一変させたのだという。

 何事も適当に済ませていた学校生活で、少女を楽しませる事の出来る経験を沢山積んできた。

 病院に行く度に、その日にあった出来事を拙い語りながら、身振り手振りを交えて伝えた。


『神経障害に侵されて聴覚が弱っているにも拘らず、彼女は相槌を打ってくれた』


 その姿を見る度に、何度も泣きそうになった……。


『それでも涙はいけないと思って、日に日に弱くなっていく彼女と共に頑張っていったんだ』


 時には嘘っぱちの笑い話も交えながら、彼女の心を支えていった。

 病気が治って出歩けるようになったら、2人で何処に行こうか。

 そんな未来の話も、2人にとって大切な時間。


『肺炎を患った時、医者から宣告されたよ』


 彼女は、もう駄目だろう。

 そんな悲し過ぎる現実を、治すべき人間から突きつけられた。


『その時な、医者に殴りかかろうとしたんだ。治す立場にあるお前等が、何で諦めるんだってな』


 少女はまだ、生きる事を諦めてはいないのに……。

 彼女の両親に諌められて事無きを得たが、その時初めて涙を流した。

 少女に重い運命を背負わせた神様への怨嗟の声で……

 何も出来なかった自分に対する無力さを恨む声で……


『そして、彼女は亡くなったよ』


 脈拍が徐々に落ちていく時の中、彼女の両親が泣き崩れ、自分も泣きそうになる心に耐えながら……。

 でも少女だけは、皆を見て笑っていた。


『最後に大切に出来たものがあって良かったと、声を振り絞って伝えてくれた』


 悔いは無いと、言っていた。

 穏やかな笑みのまま、彼女は息を引き取った。

 閉じられた瞳、呼吸する事も無くピクリとも動かない体、色を失った肌。

 その時、少年は双眸から大粒の涙を流した。

 彼女の両親に負けない位、泣き崩れた。

 泣いて泣いて泣きまくった。

 その日が今日、6月16日だったのだ。



 本当に、縁と言うのは分からないものだ。

 それでも、お前に出会えた事は良かったと思う。

 そしてきっと、お前との出会いは忘れない。


「さて、片付けるか」


 声に反応して目を開けると、師父が既に立ち上がっていて、荷物を片付け始めた。

 どうやら、思っていた以上に長い時間目を閉じていたらしい。

 俺は師父に倣って、同じように片づけを始める。

 と言っても、大して物は持って来てないから、すぐ終わってしまった。


「あまり遅くならない内に帰るとしよう」

「えぇ、そうですね」


 帰り支度を済ませ、2人で師父の車へ向かう。

 その途中で、俺はどうしても師父に聞きたい事が生まれた。


「師父、少し良いですか?」

「ん、どうした?」


 少し前を歩く師父が、此方を珍しげに見てくる。

 今まで師父に、興味本位な質問をあまりしなかったからだろうか。

 そんな視線を感じながら、俺は質問を続ける。


「師父は彼女が死んでしまった時、後悔しましたか?」


 和泉は後悔はしてないと言った。

 だったら反対の立場に居た師父は、一体どのように思ったのか。

 それが知りたかった。

 俺のそれに数瞬だけ唸りながら考え込むと、不意に口を開いた。


「最初は、やっぱり悔しかったさ。何も出来なかったんだからな」


 俺の何気無い疑問に、師父は至極真面目に答えてくれる。

 当時を懐かしむように、一つ一つの言葉を噛み締めながら。


「でも彼女の最後の笑顔を思い出したら、この想いを悪いものにしたらいけないと思ったんだよ」

「消えない事実なら、良い想いを残したいからですか?」

「それもあるが……、彼女の笑顔に悔いは無かったからな」


 それはきっと、あの笑顔の価値を見出したから。

 死ぬ間際でも、自分の想いに真っ直ぐ向き合った証拠だったから。

 多分、簡単には気持ちを切り替える事は出来なかったと思う。

 それでも和泉の彼氏として、自分に出来る事は何か、自分はどうなりたいか……。

 それを突き詰めた結果が、きっと今の師父なのだろう。

 やっぱり、師父は強い人だ。


「師父……」


 俺の目標はとても高くて、とても遠い。


「俺の初恋は叶いませんでした。でも――」


 それでも、少しでも近づけるように……。


「叶わなかった恋がくれた力で、自分の意志で前へ進もうと思います」


 今は歩き続けよう。


「あぁ、頑張れよ」


 2人がくれた励ましを更なる力として……

 俺は強くなると、――――『誓い』を立てた。










 出会いは偶然。

 それでも2人が出会ったのは、紛れも無い事実だった。

 そして事実は、消える事は無く……。

 少年の心に――

 少女の心に――

 いつまでも残り続ける。










―――――――――――――――
あとがき


どうも、気付いたら3話構成になってました、Truthです。

いや、後編書いてたらかなり長くなってしまったんですよ。

仕方なく、後編を2つに分割して3話に分けました。

そして今回も、遅くなってしまい申し訳ありません。

今回は特に2月が忙しくてキツかったですよ。

しかも気分転換に『FORTUNE ARTERIAL』のオリキャラ主人公のSSを序盤だけ書いてみると、自分的に面白くなってしまったのですよ。

原作の雰囲気を無視して、戦闘まであったりしますが……。

どちらかと言うと、『Fate』に近いかもしれません。

一応、Trueルート後の話として書いてます。

……って、此処では関係ありませんね。

とにかく反省も程々に、中編と後編について話したいと思います。

今回の話は分かる人も少なからず居ると思いますが、『D.C.P.S』での香澄ルートをモデルとしています。

まぁ、大体はアレンジしてるのでパクリとまではいかないですよね?

聖の持つ恋愛感情の否定を解く為に、恋をする事、愛する事の大切さを知る人が必要だったのです。

それは日常を生きている人々ではなく、普通の人より短い日常を、何気無い1分1秒を大切にしてきた人間。

今回のみの登場になる『アティ・ヴィルヘル・和泉』、彼女こそが適任だったのです。

そして進む方向を間違え続けてきた聖も、今回で漸く軌道修正する事が出来ました。

と言うかよく考えてみると、聖って心が脆いですよね。

たった1回失恋しただけで、恋愛恐怖症に陥るんですから。

まぁ彼は無駄に考えると深みに嵌まりそうなタイプなんで、仕方ないと言えば仕方ないですよね。

今後とも、このどうしようもない主人公を宜しくお願いします。

それにしても、高杉はどこまで分かってて聖を動かしたのでしょうね?

彼の意図だけは、作者でも掴みかねます。

そして次回ですが、遂に分岐直前の話となります。

テーマは『音楽』です。

聖の行動が、少女達を救います。

こうご期待! ではなく、軽い気持ちで待っていて下さい。

出来る限り、遅くならないようにしますので……。

以上、今回は此処まで。

それでは〜。