「ねぇ、どうして!?」


――12月24日

――クリスマス・イブと呼ばれる聖なる日の前日。

――夕陽の映える公園で、それはあった。

――肌を刺すような大気の中、白い息と共にその言葉を告げる。


「せ、せーちゃん……」


――目の前には、戸惑った表情で此方を見詰める少女。

――言葉を出そうにも、口が上手く動かない様子。

――しかしそんな事、自分には関係無かった。


「何であんな事言ったの!?」


――彼女は偽りを語った。


「ねぇ、何で!?」


――責める言葉は止まらない。

――それが彼女を傷付ける事だと、分かっていながら。


「どうして、つきちゃん!!」


――彼女に、柊月見に問い掛ける。

――その本心を知る為に……。

――いや、今更本心を知りたいなんて思わない。

――既にそれは、自分の目で見てしまったのだから。

――ただ、今この時は、自分の中にある憤りを吐き出したかった。

――その為の対象でしかなかった。

――――――なんて、ガキなんだろうか……。



――それは、懐かしい記憶。

――守る事をまだ知らなかった少年の、1つの通過点。

――そしてその日、少年はあるモノを拒絶する事を決めた。










少年の誓い

〜魔法少女リリカルなのはAs〜


9IX「聖のもっとも長い一日 中編」











 『6月15日の怪異』

 曰く、その日だけに起こるらしい。

 曰く、少女の幽霊を見たとの噂がある。

 曰く、聖祥が改築される前(それ以前の学校名は不明)の時から起こっている事らしい。

 以上が、俺が高杉から教えられた情報だ。

 一体、何が原因なのだろうか?

 疑問は尽きない……。

「くっ、意外と速い」


 見つける事を最優先だ。

 廊下を一通り走り、階段を駆け上がる。

 自身が持つ全力を以って追跡しているが、足音は近くなる事も無く、現状を維持し続けている。

 つーか、何て速度だ!?

 足音が早くなった訳でもないのに、此方が全く追い着けないなんて……。


「くそっ、負けて堪るかってんだよ」


 未だ見る事の叶わない相手に、何故か闘争心が生まれた。

 多少の無理をして、俺の体は更に加速する。

 負けず嫌いなんて、まだまだ子供だって事だな……。










 数分間の追跡劇、その結果は――


「はぁっ、はぁっ……っ、完全に見失ったな……」


 俺の完敗のようだ。

 目の前にある壁は、ここが行き止まりである証。

 唯一の手掛かりだった足音も、今は全く聞こえない。

 上へ下へ走り回ってこれとは、俺もまだまだだな。


「結局、高杉の依頼は不成功か……」


 夜空に浮かぶ銀月を見据え、呟く。

 あんな事があった手前、この結果はあまり納得出来るものでは無い。

 だが今の状況では、これ以上の結果は望めそうにも無いのも確かだ。


「くそっ……」


 頼まれた事一つ出来ない自分が情けない。

 あまりの不甲斐無さに、壁を殴りつける。

 ガッ、と鈍い激突音。

 しかし静かな空間でさえ、その音は響かない

 痛みがじわじわと広がる拳を見詰め、チッと舌を打つ。

 こんな自虐行為をしても、何も変わらないと言うのに……。


「うっわぁ、痛そ〜」

「っ!?」


 ――誰だ!?

 背後からの呑気な声に、一瞬で振り返る。

 だがそこには、先を埋め尽くす黒だけ。

 人の姿はおろか、生き物の存在すら無い。

 だったら、今の声は何処から……


「まさか……」


 改めて自分の現在位置を確かめる。

 偶然なのか、はたまた必然なのか……。

 その場所はまさしく――――


「1年1組」


 今ではもう慣れ親しんだ、俺達の教室だった。

 確かに一番端の教室だが、まさか此処に来ていたとは……。

 取り敢えずその事は置いといて、さっきの声の主の問題だ。


「やっぱり、此処なのか」


 まぁ、考えてたって時間の無駄だし。

 ……入ってみるか。

 意を決して、俺は教室のドアを開いた。










 普通の学校にこんな風に侵入すれば、警備システムが敏感に反応する。

 だが今回、俺の侵入が発覚した形跡は無い。

 大体の予想は付いているが、間違いなく高杉が裏で手を引いているのだろう。

 過去にも、先生達に内緒で校内で肝試しをしてた実績があるし。

 そういう裏工作をさせたら、奴の腕は天下一品だろう。

 ――閑話休題。


「あっ」


 その声は誰のものだったか。

 俺のものだったのかも知れず、または……


「やっぱり来たんだ」


 目の前に立つ、少女のものだったのかも知れない。

 上半身を闇色のカーテンに覆われ窓際に立つ彼女の姿は、此方側からではよく見えない。

 だが、彼女が俺を見ている事だけは確かだった。


「それにしても、毎年毎年飽きないなぁ」


 声色は明るく朗らかで、此方に対して警戒心は無いようだ。

 しかし「毎年毎年」とは、どういう意味だろう……。


「皆、興味本位で来るからホント困るんだよね〜」


 落胆したように肩を落とす姿に、彼女が心底呆れているのが分かる。

 だが、事情を知らないからどうしようもないけどな。

 それにしても、彼女は一体……。


「で、君は誰?」

「えっ……?」

「だから、名前だよ。君の名前」


 先程までとは雰囲気が一変、さも当然のように名を尋ねてくる少女。

 切り替えの速い事で……。


「聖、瑞代聖だ」

「ミズシロ、……ヒジリね。私は――」


 突然、自分を包み込む闇から抜け出るように歩みだす少女。

 一歩一歩、その度に彼女の姿が鮮明になっていく。

 そして……


「アティ・ヴィルヘル・和泉って言うの」


 背後から掛かる月光に照らされる少女。

 光に照らされキラキラと反射する銀髪、真紅に染まった双眸。

 まるで太陽を浴びた事の無いような、真っ白な肌。

 俺より頭一つ分低い彼女の姿に、最大級の神々しさを感じていた。

 それと同時に、何がしかの違和感も感じた。

 しかしその違和感も、彼女の煌びやかさの前に掠れて消えてしまう。


「アティ……ヴィルヘル…和泉………」


 何の淀みも無く、彼女の名前を呟く。

 まるで昔から知っていたかのような錯覚。

 でも、そんな事は有り得なくて……。

 あまりに突発的な事に、自分の頭が着いていけない。

 よし、まずは状況を整理しておこう。

 『怪異』であろうモノを追い、俺はこの教室の前まで来た。

 そして聞き慣れない声に誘われるように、この教室に入った。

 そして中に居たのが、――目の前に立つ少女。

 彼女は何かに満足したような表情で、懐っこい笑みを浮かべている。


「そっ、親しみを込めてアティって呼んで」

「いや遠慮する和泉」


 と、一瞬にして膨れっ面に変わる和泉。

 どうやら、句読点を付けなかった俺の返答にご立腹のようだ。

 いや、そんな顔されてもなぁ。

 それにしても……


「まさか『怪異』の正体が、普通の女子だったとはな」


 こんな子に俺は手を焼かされたのか。

 そう思うと、何だか自分が情けなくなる。

 あぁ、俺って一体……


「って、すっごい落ち込んでるけど、どしたの?」

「いや、あまり気にしなくていい」


 そう、自己嫌悪に陥るのは、今に始まった事じゃない。

 今ではもう、慣れたものさ。

 近くの机に手を付いてる俺の姿は、さぞ悲しいものだろう……。


「ふぅん、ヒジリって変わってるね」


 込み上げる笑いを抑えながら、そんな事を言いやがる和泉。

 まぁ最近の自分を鑑みて、反論出来ない要素がてんこ盛りだし。


「……褒め言葉として受け取っておく」


 敢えてそう言っておく事にしよう。


「褒めて無いんだけどなぁ」


 黙っておけ、和泉よ。

 これが処世術というヤツだ。










 さて、改めて状況を整理しよう。

 真っ暗な校舎……俺の知る限りでは、此処へ侵入した人間は他に居ない筈だ。

 つまりは――――俺と和泉の2人っきり。


「なんじゃそりゃ」

「どうかした?」

「いや、別に……」


 いかんいかん、何を考えてるんだ俺。

 冷静になれ冷静に……。

 すぅ〜……、はぁ〜……、すぅ〜……、はぁ〜……。


「フフフ……」

「何笑ってんだ?」


 慎ましい和泉の笑声が耳に届く。

 視線を向けると、何が面白いのか分からないが、口許に手を当てながら必死に堪えてる。

 ……少し気分が悪いな。


「ゴメンね、知り合いに少し似てたから。つい……」

「知り合いねぇ」


 俺に似ているって、どんな奴だろ?

 全く想像できないけど……。


「少し不器用だけど、根は真面目で優しい男の子だったよ」

「その説明の中に、似ている要素がどこにも無いな」


 俺自身、人並みの器用さは持っているつもりだ。

 真面目さと優しさは知らないけど、正直期待はしていない。

 だが俺の間髪入れない突っ込みは、またも笑いを堪える彼女の前に打ち消された。


「そういう所が、一番似てるんだけどなぁ」

「よく分からないな」


 まぁ、あまり気にする事でもないか。

 ……っと、そういえば。


「和泉って、何処の生まれだ?」

「私?」


 最初は気にならなかったが、冷静になると色々考える。

 中でもコイツの名前である『アティ・ヴィルヘル・和泉』ってのは、嫌でも気になる。

 名前からしてハーフか、若しくはクォーターだろうけど。


「私は日本生まれだけど、お母さんがベラルーシの出身なんだよ」

「ベラルーシ?」

「……東スラブに属する国よ」

「東スラブ……」


 言い難そうに語る彼女の姿。

 その理由、彼女の答えを聞いてすぐに理解した。

 スラブ、その言葉が重いのだろう。


「やっぱりヒジリも、私たちの事を……」

「奴隷民族だと思ってる、か?」


 俺の問いに、遠慮がちに頷く和泉。

 はぁ……、やっぱりそうか。

 スラブ人は、戦争等で捕らえられると奴隷として扱われる事が多かったようだ。

 英語で『スレイブ』という不名誉なレッテルを貼られる事もあったという。

 でも、スラブの本当の意味は違う。

 それは――


「偉大、そして栄光」

「えっ……」

「スラブ語での意味。確かスラーヴェってのが、本来の発音だったか?」


 本当は、それ程までに気高い意味を持つ言葉なのだ。

 スラブ人の奴隷という先入観は、西欧人の誤解や軽蔑によるものだ。

 スラブがギリシア語に入った時(先程言ったように、奴隷としての扱いが多かった為)に、『奴隷』という意味になってしまったのだ。

 更にそれから、ギリシア文化を受け継いだローマ帝国のラテン語から、西欧諸言語に広まったらしい。

 故に、『スラブ人=奴隷』という考えは正しくは無いのだ。


「よく知ってるね」

「小さい頃に教えてくれた人が居たんだよ」


 俺が初めてギリシア語に触れてから少し経った時、何度も念を押されるように教えられた。

 言わずもがな、その教えてくれた人というのは――――師父だ。

 そういえば、あの人にしては珍しく強く言っていたのを思い出した。


『スラブ人が奴隷だった事は事実だ。それでも、彼等は偉大な存在なんだよ』


 まぁ、それは言う必要無いだろ。


「ふぅん、良い人だね」

「あぁ、俺の目標だ」


 まぁ、その道はかなり遠くて険しいけどな。

 そう呟くと、和泉はまた口許を押さえながら笑い出した。










 それから、どれだけの時間が経っただろうか。

 気付くと俺は、目の前の少女との会話を続けていた。

 本が好きという和泉に、聖書の話をしたり……。


「新約聖書には、古代教会の自己規定の確立と連動するように、正典の選択方法は確定していったんだ」

「じゃあ、その規定に満たない書はどうなるの?」

「外典、アポクリファとして残っている」


 すると彼女が、ベラルーシの様々な話をしてくれる。


「日本は昔、ベラルーシの事を『白ロシア』って言われてたんだよ」

「何で白なんだ?」

「ベラルーシのベラは、白って意味だからね」


 彼女からの要望で、俺が今習っている学校の勉強を教えたりもした。

 月明かりに照らされた教室で、ご丁寧に黒板とチョークも使って。

 様々な数式や、花の構造を書いたり……。


「じゃ、この式の答えは?」

「こんなの簡単。-21でしょ?」

「正解。そんじゃ次は、黒板の端から端まで続く式でも書くか」

「ちょっと、それはないでしょ!?」

「だぁぁぁ!! 肩掴んで揺らすな!!」



「で、余談なんだが、花が色取り取りなのには理由があってな」

「え、意味ってあったの?」

「鳥とか昆虫のように、移動能力の高い動物の目を引くためだそうだ。簡単に言えば、花粉媒体をしてもらうって事だ」

「花粉を運んでもらう為に、自分達の存在をアピールしてるんだね」


 今まで教えられる側だっただけに、少し新鮮だった。

 しかも和泉も、それを楽しそうに聞いてくるもんだから、こっちも教える事に熱が入ってしまう。

 不覚にも時間を忘れて、彼女との時間に没頭していた。


 そして和泉に一通りの事を教え、教壇から降りた時に不意に彼女が口を開いた。


「ヒジリって、意外と気さくな性格だったんだね」

「そうか?」

「それに、こっちも凄い話し易いし」


 ふむ、今までそんな事言われ無かったから、よく分からない。

 まぁ彼女が言うなら、強ち間違いでは無いかもしれないけど。


「普通の男子だと女子に対して変に意識するから、あざとい喋り方だったりボソボソしたり、話し難いんだもん」

「ふ〜ん、そんなもんかねぇ」

「私の経験から導き出した答えよ。説得力は充分でしょ?」

「どうだろうな……」


 俺と同い年位の少女の経験論と言われても、正直微妙だろ。

 つーか、経験不足じゃねぇか?

 まぁそんな事言うと、またご立腹するだろうから言わないけどな。


「だからかな? ヒジリとの会話に、違和感を感じるんだよね」

「えっ……」


 突然、明るかった声色が変わった。

 『違和感』

 それが、耳に付いて離れない。

 一体俺の何が、彼女にとっての違和感となっているのか……。


「人はね、嫌が応にも異性を意識するものなの。でも、ヒジリにはそれが無い。……まるで、自分で無理矢理抑え込むみたいに」


 流麗に語りだす和泉。

 俺は唯、それを聞く事しか出来ない。


「相手を異性と思わない。分け隔てない接し方って言えば良く聞こえるけど、それって裏を返せば『他人に興味を持ってない』って事になるよね?」

「い、異性を感じないからって興味無いってのは、違うだろ」

「ううん。性別の違いと言うのはね、それだけでとても大きな事なんだよ」

「違いが……」

「いつだって私達は、異性を意識しながら生きている。そこには純粋な好意とか下心とか、色々なものがあると思う」


 真っ直ぐに見詰める彼女の瞳。

 赤い双眸が、俺を捉えて離さない。


「でもね、それは間違いじゃない。当然の反応で、決して否定しちゃいけないんだよ」

「それは……」

「ヒジリはそれを自分で抑えてる。と言うよりも、その心を否定してるよ」


 淡々と語られる彼女の言葉は、俺の心に重く圧し掛かってくる。

 和泉の言葉が間違いで無いが故に、俺も反論のしようが無い。

 だがそれよりも気になったのは、彼女の言葉には聞き覚えがあったと言う事だ。


『無理するな。そして、その想いが間違いだなんて言ってはいけない』

『逃げるだけでは、何一つ終わらせられないんだぞ』


 あの時、俺を変えたあの時から少し経った日……。

 師父が俺の伝えた言葉だ。

 そして俺は、それからも逃げていた。

 その傷を抉るような言葉が、俺には突きつけられた銃以上に怖かったから。


「無理して我慢なんかしちゃ駄目だよ。その気持ちがあってこ――」

「――無理なんだよ」


 そして今度は、目の前の少女がソレを突きつける。

 彼女の言葉が怖い。

 それ以上続いてしまうと、また思い出してしまう。

 あの時の夕陽を……、自分と対峙する1人の少女を……。

 もう決めたのに――――他人を『好き』にならないって。


「もう嫌なんだよ。……あんな思いするなんて」

「……居たんだね、好きな人」


 止めてくれ、それはもう過去の事だ。

 今の俺には何一つ関係無い。

 それ以上に、お前にも全く関係無い事だろう?


「失恋、しちゃったんだね」


 なのに彼女は、躊躇いも無く俺の傷を抉り出す。

 その傷は開いてしまえば、後は簡単。

 自分の意識とは関係無く、ただ広がっていく。



 …………失恋。

 そう、俺は失恋したのだ――――あの4年前の冬の日、クリスマス・イブに。

 聖なる日の前日に、俺は心に深い傷を負ったのだ。

 初恋の相手である『つき』、柊月見への想いが砕かれた。

 彼女に直接言われた訳じゃない。

 ただ彼女が、公園で1人の少年と一緒に居た。

 自分より大きな人が良いって言っていた彼女が、俺より身長の低い少年と……。

 俺より背の高い彼女が、そんな事をしていた。



「もう嫌なんだよ!! 行き場の無くなった自分の気持ちが……友達に嘘を言われたと知った時の気持ちが!!」


 振り向いてもらおうと努力を怠らなかった自分の意志が、根底から崩されたような絶望感。

 今までの日々に映る彼女が、嘘だったのかもしれないという恐怖感。

 それは今まで受けたどんな痛みよりも、遥かに苦しく重いものだった。

 そんなものを感じてしまうのであれば、元を断ってしまえば良い。

 そう、――――恋愛なんてしなければ良いんだ。

 そうすれば、こんな思いをしなくて済む。


「それじゃ駄目だよ!! 目を背けたら、ヒジリはいつまでも逃げる事しか出来ない」

「それで構わない。この傷を忘れられるなら、二度と辛い思いをしないなら、俺は幾らでも否定する!!」


 『恋愛感情』という、人として当然の感情を否定する。

 自分にソレは必要無い、家族さえ居れば……。

 自分は家族の為に生きれば良いのだ。





 今日の俺の馬鹿げた行動。

 感情や勢いに任せて、高杉と対立した事。

 だが、迷惑を被ったのはアイツだけじゃない。

 ハラオウン達にも、俺の怒りをぶつけてしまった。

 アイツ等は何も関係無いのに……。

 寧ろ俺を止めようとしてたのに、それに見向きもしない自分。

 嫌われたって当然だと、殆んど諦めていた。

 それでもやっぱり、アイツ等はアイツ等のままだった。

 家に着いた後、携帯を確認するとメールが届いていた。

 言わずもがな、5通。

 『止められなくてゴメン』

 揃って全員が、示し合わせたように同じような内容。

 あの時、彼女達は高杉によって止めるのを抑えられていたようだ。

 対峙している時は全く気付かなかったが、そんな事はどうでもいい。

 彼女達は心の底から止めようとしたのだ。

 それに気付かず、馬鹿な事をやっていた自分が悪い。

 いや、気付いていた上で、それを無視したのかも知れない。

 自身の感情に振り回されて、コントロール出来ていない俺。

 それもきっと、『恋愛感情』なんていうモノがあるからだ。

 否定すれば良い。

 意地汚く心に残ったソレを、自分の中から消し去りたい。

 そうすれば、誰も傷付かない。

 誰も傷付ける事無く、俺は生きていける。





「っ、逃げたままでも、良いだろうが……」

「ヒジリ……」


 嫌だよ、もう。

 これ以上、何も言わないでくれ。

 双眸から熱いものが込み上げてきて、俺は顔を伏せた。

 普段なら有り得ないであろうその反応が、過去の傷によって簡単に誘発される。

 握り拳は爪が食い込みそうな程きつく結ばれていて、それが込み上げるものを抑えようとしてるのが嫌でも分かった。

 こんなにも……俺は弱い。

 何年経ってもこの脆さだけは、自分の身から引き剥がす事が出来ない。


「……そんなの、………駄目だよ」


 ふと、弱々しい声を聞いた。

 俯いている俺には見えないが、目の前に立つ少女のものだという事は間違えようが無い。

 何故、彼女はそんな声を出すのだろうか。

 こうやって生きて行く事が、誰も傷付ける必要の無い筈なのに……。

 和泉が傷付く事なんて、何一つ無いのに……。


「そんなの、駄目だよっ!!」


 さっきとは対照的な、力強い言葉。

 でもそれは心からの嘆き、そして悲痛な叫びにも聞こえる。

 出会ってからの時間は極僅かだが、それが彼女に似つかわしくないのを理解した。

 伏せていた顔を上げると、目の前には悲しみに暮れる顔が――


「えっ、和泉!?」


 ――無かった。

 いや、『居なかった』と言うのが正しいのだろう。

 月光に照らされた教室には誰も居らず、戸惑う俺のみが残っている。

 足音も、立ち去った気配すら感じなかった筈だ。

 俺は混乱の極みに陥っていた。

 あの少女は如何にしてこの場を去ったのか、どうして去ってしまったのか……。

 そしてなによりも、彼女の嘆きの意味は……


「って、そんな事言ってる暇無いだろ」


 そんな事は本人にでも聞けばいい。

 だが夜の学校に女の子1人では、何が起こるか分からない。

 階段で足を踏み外して――――。

 なんて不吉な事も考えてしまう。

 それだけは何としても避けなければならない。


「ったく、面倒な!!」


 自分に言い聞かせて、俺もすぐさま飛び出した。

 何処に居るかなんて全く分かりはしないが、黙っている事だけは出来ない。

 口から出た悪態も、自分の行動を正当化しているだけだ。










 あれからどれ位の時間を走っただろうか。

 1階の教室から始まり、最上階の4階までの教室(教職関連除く)を虱潰しに探していた。

 何せこっちは、手掛かりの一つも存在しない状態でのスタートだ。

 事態が事態だけに、適当にやっていられる時間も無い。

 体力が続く限りの全力疾走のお陰か、10分もしない内に殆んどの教室を調べ終え――


「チッ、此処もかよ」


 丁度、4階の教室も終了。

 校舎内の全教室に、和泉は居なかった。

 俺から逃げているという可能性もあるが、そんな性質の悪い悪戯をするような奴とは思えない。

 だとしたら残りは……屋上か。


「あまり行きたいと思わないが、仕方ないか」


 今日、2度目となる場所だが、正直良い気分ではない。

 昼間があれじゃなぁ……。

 思い起こされるのは、高杉との対峙。

 そして――――少女達の悲痛な面持ち。

 それでも行かねばなるまいと、心の何処かで思っていた。

 だからこそ、俺の体は屋上へと向かっているのだろう。

 目の前に佇む最上への扉を見据え、この先に和泉が居ると確信した。

 理由なんてものは無い。

 今は唯、――――この手で扉を開くだけ。










「…………和泉」


 降り立った世界は、暗闇に覆われていた。

 暗い暗いそこでは、黒い大気が絡みついてくるようで、少々気味が悪い。

 そしてその中で、1人の少女が背を向けて立っていた。

 大気と言う名の蛇が逃げ出し、彼女の周りだけに月光のスポットライトが当たっている。

 幻想的な光景、まるで映画のワンシーンを髣髴とさせる雰囲気が彼女を包んでいた。

 ゆっくりと、彼女は振り向いた。


「……遅いよ」

「これでも急いだ方なんだが」


 突然何を言い出すかと思えば、第一声が文句とは……。

 どうやら、俺を待っている間に落ち着いたようだ。


「それでも、早く来て欲しかった」

「お前、どうした?」


 いや、何かおかしい。

 和泉の表情には、何かに耐えるような苦痛が薄っすらだが残っている。

 まるで、見知らぬ場所に一人ぼっちで置いていかれた子供のような……。


「ヒジリは、凄く傷付いたかもしれない」

「えっ……?」

「でもその痛みは、皆が平等に受けるものなんだよ」


 教室の時よりか細い声で、強く訴えてくる。

 何故だろうか……。

 力弱いその言葉が、今まで聞いた彼女の言葉の中で、最も心に響いてきた。


「皆、恋をする。でも皆が皆、その想いが実る訳じゃない」

「……分かってる」

「嘘吐いた、裏切られたなんて言ってるけど、二桁にも満たない子供が自分の言葉に責任持てると思うの?」

「分かっているさ、その位……」


 語られる言葉は、どこまでも正論だった。

 そこに感情論なんて入る余地も無く、ナイフとなって心に突き刺さる。

 傷口から溢れ出るのは、弱々しい俺の言い訳だった。

 ――それでも嘘吐いたのは事実だ、責任に年齢は関係無い――

 本当に、子供染みたくだらないモノばかり。


「そんな事で、家族を守れると思うの?」

「――っ!?」

「誰かを愛する事を止めてしまった貴方が、家族を愛せると言うの?」


 教室でのやり取りで、気付かなかった訳じゃない。

 彼女の言葉が、――師父の言葉ととても似ていた事に。


『誰かを好きになる事を止めてしまったら、きっと誰も愛せない。友達も、家族も……』


 何で、コイツは此処まで……。


「人生、何が起こるか分からないのは、ヒジリだって知ってるでしょう?」

「あぁ……」


 と、突然話の話題がそれた。

 先程の言葉に精神を揺さ振られている俺にとって、それは更なる混乱の極みだ。


「いつまでも続くと思っていた日常が突然終わる……そんな事は世界中に蔓延っているんだよ」


 双眸に悲しみを湛えた少女は、顔を地に伏せて佇んでいる。

 銀髪のカーテンがそれを遮り、表情そのものを見る事は叶わない。

 でも、華奢な肩が小刻みに震えている所から見て、何かに怯えているようだ。


「何年も前の話、1人の少女の恋の物語があったの」

「お前、何言って――」

「――聞いて」


 地に伏せたままの状態で、彼女は続ける。

 俺の言葉も、彼女の威の前に竦んでしまった。

 それ程までに彼女の意志が強かったのだ。


「その少女は、生まれ付き病気を患っていたの。先天的なメラニンの欠乏による、遺伝子疾患」

「……アルビノ、か」

「そう。その為、少女は普段外に出る事も出来ず、小さな頃から家の中で暮らす事が普通だった」


 アルビノ、先天性白皮症。

 メラニンの欠乏による体毛や皮膚の白化、毛細血管の透過による瞳孔の赤化。

 視覚的な障害だけでなく、紫外線による皮膚の損傷や皮膚がんのリスクを負う、危険な病気。


「そんな少女の唯一の楽しみは、家の周りだけの範囲での夜の散歩だけだった」


 それはある意味、正しい事だろう。

 紫外線の影響で皮膚がんを誘発してしまう体である以上、日中に外を出る事は自殺に近い。

 だとしても、誰も居ないであろう夜にしか、外に出れない少女は辛かった筈だ。


「『同い年の子供は普通に過ごす事が出来るのに、何故自分はこんな体に生まれてしまったの?』 そう思った事は何度もあった」

「何度も何度も嘆いて、悔やんで、最後には自分の命を自分で……」


 自殺……、その行為がどれだけ愚かで、そして悲しいものかは分からない。

 だが、それを行わせるまでに、少女は病に苦しんでいた。

 きっと、常人では考えられない程の……。


「でも、命を絶つ度胸も無い少女は、悲しみに暮れるしかなかった」

「泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いて……。生きる事に意味を見出せず、日々を過ごしていたの」


 その少女は、一体どれだけの辛い思いを背負わされたのだろう。

 普通に生まれて、普通に生きて……。

 そんな『当たり前』を『当たり前』にする事が出来ない。

 聞くだけでも、胸が張り裂けそうになる。


「でも、楽しみから日課に変わってしまった夜の散歩で、偶然出会ったの」

「誰に?」

「自分と同い年の男の子。何かに反抗するようなに睨む瞳で、最初は驚いた」


 出会いは突然。

 いつもと同じように散歩をしていた少女の目の前に、柄の悪い中学生位の男子が数人立ちはだかったのだ。

 あまり人と接する事の無かった少女は、当然の事ながら竦んでしまう。

 散歩のコースは家の周辺だった為、1人で大丈夫だと言う少女の傍に親は居なかった。

 そんなピンチに現れたのが、その少年だった。

 彼の目付きの悪さと締め付けるような威圧感に、少年達は恐れをなしたように逃げ出した。

 そして、恐れをなしたのは少女も一緒……の筈だった。


「でも本当に最初だけで、その後は全然平気だったんだ」


 その後、2人は何度も出会った。

 夜の世界が、2人にとっての世界。

 普通とはお世辞にも言えない少女の容姿も、少年は何一つ疑問視しない。

 唯一言


『綺麗だな』


 それだけを言って。


「今まで触れる事の無かった『他人の温もり』を感じた」


 それは少女にとって、生きる活力を与えた。

 生きようと、この病と闘う事を決意したのだ。


「そして、何度も彼と会っている内に、少女は彼に恋をした」


 それは、考えなくても当たり前の事だった。

 和泉から聞く話でも、その2人はお互いを強く思い遣ってる。

 恋心を持つ、結ばれるのは当然だと思う。


「そして少女は、ある日の散歩で、その想いを打ち明けたの」


 結果は――――両想いだったようだ。

 少年もまた、少女に恋をしていた。

 告白を聞いた少年は、少し憮然としていたようだが、すぐに笑顔で答えたらしい。

 正にハッピーエンド、問答無用な最良の結末だ。


「それからも、夜だけの時間が続いたの」


 恋人同士になった2人だが、出会える時間は決まっている。

 年齢的にもギリギリな時間まで一緒だったが、それでも普通の恋人同士と比べると、明らかに少なかった。

 彼等も理解はしていたが、それでも納得するには至らない。

 そして、その純粋な想いが――


「少女は、昼間に家を飛び出したの」


 ――残酷な結末へとページを進めてしまった。










―――――――――――――――
あとがき


後編の方で纏めときます。