「聖、さっきからどうしたの?」

「あっ、師父とシスター」


――それは、ある夕食後の出来事。

――声を掛けられて気付いた。

――寝室のドアの前でぼぉ〜と立っていた事に。


「何だ、ぼ〜っとして」

「別に……」

「何か考え事?」

「う、ううん」


――ドキッとした。

――まるでぼくの心を覗かれてるかのよう。

――このままじゃ気付かれちゃう!!

――慌ててぼくは、部屋に戻ろうとする。


「大丈夫だよ。さぁてと、早くお風呂に入らなくちゃ」

「聖……」


――でもそれは、肩に置かれた手によって押さえられてしまう。

――振り向いた先に居たのは、穏やかな顔をした師父とシスターだった。


「相談したい事、あるんだろ?」

「私達なら、いくらでも乗ってあげるから」


――そんなぼくに、この2人はどこまでも優しくしてくれる。

――嬉しくて堪らなくて……


「あのね……」


――自分の内に秘めていた想いを、曝け出していた。

――もう黙っているのは止めよう。

――2人なら、きっと良い事を教えてくれるに違いないから。


「あのね、ぼくね!!」


――好きな人が、出来たんだ。



――それは、懐かしい記憶。

――守る事をまだ知らなかった少年の、1つの通過点。










少年の誓い

〜魔法少女リリカルなのはAs〜


9VIII「聖のもっとも長い1日 前編」











 私立聖祥大学附属中学校。

 言わずもがな、俺の通っている学校である。

 此処に入学してから、色々な出来事があった。

 本当に、色々と……。

 そしてその筆頭が――


「聖、お昼一緒にどう?」


 ――目の前で弁当箱を持っている少女だ。

 腰にまで届く長い金髪、美少女と呼んでも差し支えない端正な顔立ち。

 フェイト・Tテスタロッサ・ハラオウン。

 この学校での、初めての知り合い。

 ………いや、友達になった少女だ。


「あぁ、良いけど」

「良かった。それじゃ行こうか」

「あぁ」


 俺は本当に変わった。

 こうやって、今までなら有り得ないような状況にも、普通に対応している。

 師父に「中学に入るのだから、女子を避けるような真似はしない事」と、お叱りを受けたからだろうか?

 あれは、キツかったからなぁ。

 何たって、正座で一晩中だし。

 思い出すのはもう止めよう。


「おいおい、またかよ」

「ん? 何がだよ金月」


 ぬぅ、っと俺の目の前に立ち塞がる坊主頭。

 ソイツは呆れたような表情で、俺を見ている。


「何ってお前、気付いて無いのかよ」

「だから何がだ?」


 俺の一言に、深い溜息を一つ。

 何かコイツがやると、無性にムカつくのは気のせいか?

 とは言うものの、コイツの言う通りだから仕方ない。

 だがその答えは、意外な場所から現れた。


「最近の瑞代は、5人とばっか居るじゃんか」

「って、今度は遠藤かよ!!」


 今度はぬおぉっと背後から湧いて出てきた奴が約一名。

 どうでもいいが、何で俺は突っ込み入れてんだよ。

 本当にどうでもいいけど。

 それよりも、俺が5人とばかり居るって……。


「別にそんなつもりは……」

「無いと言えるのか〜?」

「言えるのか〜?」

「「言えるのか〜?」」


 くっ、何かムカつく。

 何がって、この煽り方が腐る程にムカつく。

 何が悲しくてこいつ等の声をステレオ音声(L:金月、R:遠藤)で聞かなければいけないんだ?

 ……殴って良いですか、師父?


「瑞代、取り敢えずその震える拳を収めろ」

「瀬田……」


 半ば暴走し掛けた俺の拳を、眼鏡の少年が諌める。

 俺の友人の中での数少ない良心である瀬田。

 ……つまりは、俺の友人にはまともな奴が居ないという事か?

 …………確かに。

 はぁ〜。


「疲れてるのか?」

「いやまぁ、何でこう俺の周りは騒がしいのかと」

「別に悪くないだろ?」

「…………それもそうだな」


 瀬田の言葉に対し、少々考え込んで同意する。

 確かに今の自分はこの状況を嫌っている訳じゃない。

 慌しく騒がしい。

 そんな面倒な日常だからこそ、普通には無い楽しさが隠れている。


「取り敢えず、こいつ等は俺が止めておく。……行くんだろ?」

「おぅ、後始末頼んだ」

「任せておけ」


 眼鏡のブリッジを中指でクイッと持ち上げながら吐くそれは、無駄に格好良い。

 これが天才の力か……。

 いや、その考えは思考の隅に置いといて。

 今はこの場を瀬田に任せておこう。

 コイツなら、2人を抑える事など造作も無いだろうし。


「行こうぜ」

「うん、そうだね」


 傍らで律儀に待っていたハラオウンと、教室を出て行った。

 先程まで居た場所では――


「瀬田、たとえお前が相手だとしても……」

「俺達は負けない!!」

「俺はボスキャラか? つーか少し黙れ」


 ――何か愉快なやり取りをしていた。

 まぁ、この様子ならアイツ1人でどうとでもなる。

 ……何か物足りなさを感じるのは、気のせいだろうか?

 その心に降って湧いた疑問は、1人の少女によって払拭される。


「ったく、フェイトも瑞代も遅い」


 入り口辺りで立っている、友人の1人によって。


「何だ、待ってたのか?」

「アリサ、先に行ってても良かったのに」


 全く、ハラオウンの言う通りだ。

 そんなに怒る位なら、先に行ってた方が良いと思うぞ。


「何? アタシが待ってちゃいけないって言うの!?」

「いや別に、そんなつもりはねぇけど……」

「だったら良いでしょ? ほらフェイト、行こ」

「あ、うん」


 バニングスは怒るだけ怒ると、ハラオウンを連れてさっさと屋上へと向かってしまった。

 ……ワガママ女め。

 悪態を敢えて口に出さなかったのは、俺が彼女を恐れている証拠か?

 ったく、俺も弱くなったもんだ。










「ふぅ、ご馳走様っと」


 屋上での少女達との会合。

 今日も今日とておにぎりを頬張り終わった俺は、周りよりも一足先に食事を終えた。


「今日も早いね」

「俺はこれ位が普通なんだよ」


 つーか、俺からすればお前等がゆっくりなだけだ。

 これも男子と女子の差という奴か。

 まぁ、そんなものどうでもいいけど。


「でも聖君、おにぎりだけじゃ物足りないとちゃうん?」

「いつもおにぎりとサンドイッチだけだよね?」

「別に困ってねぇし、自分で決めたんだ」


 そう、自分で決めた。

 少しでもシスターの負担を減らせる事、それがこれだったから。

 微々たるものかも知れない。

 それでも、やるだけやってみようって……。


「それに、足りない位が丁度良いだろ?」


 なぁ? と隣に居るハラオウンに同意を求める。

 当の本人は「どうだろうね?」と曖昧な返答。

 ついでに周りも、と視線を移すが似たような反応。

 むぅ、どうやら俺だけのようだ。


「ほんなら、私のおかず一個どや?」

「えっ、でも……」

「この玉子焼きな、少し味付け変えてみたんや。それで、聖君にも味見してもらおうかなって」


 徐に向けられる八神の弁当箱。

 幾つか手付かずの状態を保っている、彩り豊かな料理達。

 それぞれが際立ち、見る者の食欲をそそる。

 しかし、本当に貰って良いものか……。

 正直迷うが、笑顔で此方に弁当箱を向ける八神に対して、拒絶するのだけは憚れた。


「んじゃあ、一個貰うかな。……って」

「遠慮せんでえぇよ」


 いや、それは良いんだが……。


「箸が……」

「あっ!!」


 どうやら八神も事の重大さに気付いたようだ。

 箸が無い、つまり料理を取れないのだ。

 これでは八神特製の玉子焼きが食べれない。

 むぅ、実に無念だ。

 対する八神も、何やら考え込んでいる様子。

 そして意を決したように箸で玉子を掴み――


「はい聖君……あーん」


 ――目の前に突き出してきましたよ。

 互いの間に微妙な空気が流れる。

 真面目な顔で玉子を差し出してくる八神と、それを呆然と見ている俺。

 ……一体、どうしろと?


「聖君、早く」

「早くって言われても」

「遠慮せんでえぇって、さぁ!」


 何だこの迫力は!?

 有無を言わさず突き出される玉子が、眼前に迫る。

 八神の勢いに、俺は退路を失いつつある。

 くっ、南無三。


「はむっ!!」


 良い匂いを放つ黄色を口に含んだ。

 途端に口内に広がる甘さ。

 だがそれは絶妙なバランスの中で生まれた甘味だ。

 まるで秤でグラム単位の誤差を修正する感覚。

 正しく、職人技と言っても差し支えない。


「どや?」

「……美味い」


 職場実習で家に来た時も感じたけど、コイツは天才的な料理センスを持っているな。

 俺自身はそういった専門じゃないけど、この料理から温かみを感じられる。

 俺の感想を聞いた製作者はというと、「良かった〜」と胸を撫で下ろしている。

 別に素人意見なんだから、そこまでシビアに考えなくても良いのにな。

 しかしまぁ、改めて考えると……


「あーん、だって……」

「って、フェイトちゃん!?」

「2人共、顔真っ赤だよ」

「高町っ、テメェもかよ!?」


 2人の言葉で、先程の恥ずかしい場面を思い出す。

 他人がやるなら勝手にしろ位だが、その当人となると話は別だ。

 だから、出来る限りは気にしないでくれ八神。

 そんな状態では、他の2人からも追撃を喰らってしまうぞ。

 片方は上品に微笑んでるし、一方は微妙に憤慨したような顔だし。

 あぁ、なんてカオス……。


「あーん、とは何と甘美な響きであろう。一つの箸で、2人の心と腹が満たされていく」


 突如、変な人型物体がこの場に顕現した。

 両手を広げ、この場に居る全ての者に語るように。

 奴は――高杉信也は現れた。

 って、何でこんな時に!?


「これぞ正しく、恋人達のコミュニケーションの真髄!!」

「恋人!? テメェ、何言って……」

「で、いつからそんな関係になったんだ?」

「ド阿呆――!!」


 人の話を聞け―――!!

 あぁ見ろ、離れた所に居る奴等まで見てるじゃねぇか!!

 何かコソコソ話してるし、うわぁ変な物を見るような目をしてるし。

 そして八神は下を向きながら「うぅぅ」と唸っている。

 最悪だ…………高杉が。

 半ば条件反射で俺は、大馬鹿に向けて右拳を放つ。

 しかしそれは、当たる寸前で止められてしまった。


「た〜か〜す〜ぎ〜っ!!」

「フッ……」

「何笑ってやがる」


 このキザっぽい笑み。

 何か、奥の手を隠し持っている時の余裕を感じる。

 内心で警戒を強めながらも、受け止められている拳の力は抜かない。


「あ〜ん」

「なっ!?」


 あまりの唐突さに腕の力が少し抜けた。

 高杉、お前って奴は……。

 本気で潰して良いですか? 師父……。

 今後の俺の学校生活の為に、延いては世界の平和の為に。

 ……主旨変わってないか?


「それにしても、お前も隅に置けないな」

「何が?」

「これだけの美少女と共に居るのだからな」


 突然何を言い出すんだ? コイツは。

 いつも訳分からない言動をしているが、今日は特に分からない。


「何が言いたい?」

「お前も色気づいてきた、と言う訳だ」

「なっ――」


 コイツっ!!

 その言葉だけで俺の頭は真っ白に、そして急速に沸騰していく。

 目の前に居る奴を、完全に叩きのめさなければ気が済まない。


「高杉……」

「フッ、やるか?」


 内面から沸々と湧き上がる闘志。

 対する高杉は涼しげに、ただ此方を見据えてる。

 今まさに俺達は、火と水の状態。

 取り敢えず、何故か喧しい5人の輪からすぐさま外れる。

 完全にキレてからでは、周りを気にする余裕なんて無くなっているからな。


「瑞代、最後に一つ聞かせて貰おう」

「……何だ?」

「何がお前から『恋愛感情』を切り離そうとする?」


 突然何を言うかと思えば、くだらない。

 そんなもの、コイツは誰よりも理解している筈。

 それを今更……コイツは何を聞きたがっているんだ?


「俺にとって何よりも大切なのは家族だ。その家族を疎かにして他の事に感ける権利なんてもの、俺には存在しない」

「フッ、そうか。……フフフ、そうかそうか」

「何がおかしい?」


 高杉にしては珍しい、自身の感情を強く乗せた笑い。

 明らかにいつもとは違う。

 その姿が癪に障り、俺の怒りも容量の半分を超えた。

 そのムカつく相手は、俺に嘲笑するような目を向けて言い放つ。


「お前は逃げてるのさ。過去からな」

「ふざけんな、何意味の分からない事を言ってやがる」

「意味が分からないか…………………………せーちゃん?」

「――――っ!?」


 やれやれ仕方ない、といった様相の高杉。

 だが簡単に放ったその一言は、俺の思考をフリーズさせるには充分だった。

 ――フラッシュバックする過去の風景。

 ――小さかった少年が恋した、1人の少女。

 ――背の高い彼女に憧れ、追い付こうとしたあの時。

 ――そして、その想いが……


「止めろっ!!!!!」


 次々と掘り起こされる記憶の流出に、慌てて蓋をする。

 思い出すな、そんなモノ必要無い。

 咄嗟に叫んだ為、屋上に居る全ての者が静まり返る。

 だが、俺と対峙する奴は何一つ変わりはしない。

 ただ真っ直ぐに、相手と視線を合わせるだけ。


「自分の記憶に蓋をして忘れたつもりか?」

「違う!!」

「いや、お前は忘れたいだけだ。ソレをな」

「違うっ!!!」

「自分を傷付ける記憶を、過去の自分の想いを」

「違うっつってんだろが!!!」


 完全沸騰の一歩手前。

 自制の利く限界スレスレで、もう周りの事に意識を向けられない。

 アイツの言葉を否定する俺の手は、知らずに力が篭もっている。

 骨が軋みを上げそうな程まで……。

 それでも奴の口は、言葉は止まらない。


「傷付きたくないだけだろう?」

「そんなんじゃ――」

「――だから家族を引き合いに出す」

「ち、違っ」

「自分の保身の為に、家族という存在を出したに過ぎない」


 違う。

 高杉の催眠術のような言葉を必死に否定する。

 しかし、声が出ない。


「お前にとっての家族とは大切なものであると同時に、建前を作る為の丁度良い存在なんだよ」

「違う!!!!!!!!」

「違わないさ。今のお前が正にそうだ。…………お前は臆病者だ。唯の――」

「高杉っ!!」


 二の句は告げさせなかった。

 気付いた頃には、俺の拳が高杉の眼前で競り合いを繰り広げていたから。

 もういい……。

 俺の家族を否定したお前を――

 ――潰す。


「結局は、こうするしかないんだな」

「黙れ」


 空いている拳で腹を狙うが、バックステップで逃げられる。

 二間程開いた間合いで、俺達は対峙する。

 俺の一足飛びなら、1秒は必要無い。

 故に、――先手必勝。


「はあっ!!」


 一気に距離を詰め、右ストレートを繰り出す。

 それを半身ずらして避ける奴に対し、振り切った腕で裏拳。

 更に右足で顔面に向けて振り上げるが、共に避けられた。

 ちっ、無駄に速い。

 立ち位置は既に、最初の位置に戻っていた。


「止めて2人共!!」

「そうよ、こんな所で喧嘩しな――」

「五月蝿い!!」

「「っ……」」


 横槍を入れるな、ハラオウン、バニングス。

 今の俺は目の前に奴で手一杯だ。

 面倒な相手をさせるな。


「どうした? 来ないのか?」

「っ、黙れ!!」


 ご丁寧にも挑発なんかしやがって……。

 上等だ、テメェ。

 一歩踏み込む。

 先程よりも速く、そして強く。

 狙うは奴の側頭部への一撃、腰の捻りを利用しての上段の右回し蹴りを放つ。

 それを冷静に、しゃがんで対処する高杉。

 ――――掛かった。


「でやっ!!」

「むっ?」


 俺の蹴りが生み出した回転力はまだ失われていない。

 その勢いを殺さず、軸足を入れ替える。

 今度は左足の踵部でのミドルキック。

 高杉は回避運動後、数瞬の硬直がある筈だ。

 俺の真の狙いは、その一点に集中されている。

 奴の顔面へと、俺の鋭い足裏が迫る。

 だが――


「読みの冴えは相変わらずだな」

「くっ……」


 何の苦も無く、右手によって捕らえられていた。

 くそっ、速度に関しては申し分無い筈だ。

 やはり俺が読み負けていたのか。

 コイツが放つ賛辞が、余計にムカつく。


「しかし、選択の幅が少々狭かったな」

「ざけんな!!」


 捕まった足はピクリとも動かない。

 次の攻撃へと移行するべく、左足を一瞬で引き抜く。

 蜥蜴の尻尾切りの要領で、上履きだけを奴の手に残して更に軸足を入れ替え。

 今度は右足を高杉の頭上まで持っていき、一気に振り下ろす。

 こういった攻撃なら必ずバックステップでの回避をする筈だ。

 その後の一手で、一気に距離を詰める!!


「遅い」


 しかし奴は引く事をせず、寧ろ前へと踏み込んできた。

 コイツ、躊躇いもせずに……。

 流れるようなその動きで繰り出される拳は、俺の鳩尾へと向かう。

 やらせるか!!


「テメェがな」


 迫る攻撃を片手で押さえ、思い切り手元へ引っ張る。

 急速に縮まる間合い、そのコンマ1秒の最中、高杉の空いた片手が握られるのが分かった。

 させないっ!!

 慌てて先手を取った俺の拳は、握りを解いたその手に止められる。

 互いに攻撃と防御を並行する状況は、正に一進一退。

 だが高杉の余裕がある以上、一時の油断が命取りになる。


「らしくないな。いつもの冷静さはどうした?」

「黙れ!!」

「いくらお前でも、その血の上った頭では脅威になり得ない」

「何だと!?」


 拮抗する力と力。

 しかし高杉の顔は涼しげなそれのまま、全く変わる事が無い。

 まるで俺を嘲笑うように、明らかに格下の相手をするかのように。

 許容量は既に越えてなお、俺の頭に血が上っていく。


「テメェ……」

「むっ?」


 ジリジリと変化する現状。

 互いの力の均衡が徐々に崩れていき、俺の力が高杉を凌駕していく。

 1センチ、2センチ……徐々に徐々に。

 流石の高杉も、先程までの余裕は保っていられなかったようで、珍しく難しい顔をしている。

 だがそんな事はどうでもいい。

 俺がやるべき事は、コイツを叩き潰す事!!


「はっ!!」


 刹那、止められていた拳の力を緩めた為、奴の体勢が微妙に崩れた。

 この戦闘で最も大きな隙、それを俺は見逃さない。

 空いた拳はこの時の為に、一気に顔面へ叩き込む。


「これでっ!!」


 たとえ化け物染みた動体視力であろうとも、このクロスレンジでの攻撃を防ぐ事は不可能。

 強く握り込まれた拳は、吸い込まれるように奴の頬へと。

 これをモロに喰らえば、頬骨に皹を入れる位は出来るだろう。

 コイツを黙らせる事が出来る――――



当たれば激痛が襲うだろう。

いつも涼しい顔をしている高杉でも、流石に耐える事は出来ない筈だ。

これで、コイツも終わり……







 ――――駄目だ!!


「――っ!?」


 時が止まる。

 息が詰まる。

 高杉は動揺をする事もせず、自らの眼前で静止する拳に視線すら向けない。

 そう、――俺の拳は眼前で止まっていた。


「っ……」


 ――俺は一体、何をしようとした?

 ――俺はコイツを、どうしようとした?

 熱くなり過ぎていた頭が、急速に冷めていく感覚。

 それを感じながら、唯1人だけ困惑の極みに達していた。

 自分が犯そうとした行動について……。


「高杉……」


 俺は……。

 その声を聞いた奴は、フッと笑みを浮かべると、文字通りその場から掻き消えた。


「――――うっ」


 トン、と……。

 その衝撃を頚椎に感じた瞬間、俺の体から力が抜けていく。

 まるで自分の物とは思えない位に、全く力が入らない。

 そのまま俺は、地面に崩れ落ちて――


「ふむ……」


 いく事は無く、寸前で受け止められる。


「た……す………」


 上手く口が動かない。

 瞼も段々落ちてきて、何も考えられない。

 霞んでいく視界の中、高杉の薄ら笑みが見える。


「フッ、無理はするな」


 最後に聞こえたのは、奴のそんな一言だった。










「……ん、んん」


 瞼を焼くような光に、思わず呻く様な声が上がる。

 ゆっくりと目を開けると、最初に視界に入ってきたのは赤い光景。

 夕焼けに染まる空だった。

 つまりは……夕方?

 何でそんな時間に、俺は此処で寝てたんだ?

 改めて自分の周囲を見回してみる。

 白い床に白い壁、白い天井。

 同じく白い色をした棚には、様々な名称の薬瓶が所狭しと並んでいる。

 って事は……


「此処は、保健室か?」


 いやまぁ、見た感じですぐ分かるんだが……。

 それにしても、どうして此処に?

 最後に覚えているのは……


『フッ、無理はするな』


 アイツの言葉。

 完全な敵愾心を秘めた俺を、下手をすれば大怪我を負わせようとした相手を、飽く迄アイツは気遣っていた。

 もう居ないから、奴が何をしたかったのかは分からない。

 せめて詫びの一つでも言った方が良かったなぁ。

 まぁ、こういう時に限って奴は――


「どうかしたか、瑞代」


 ――普通を装って登場しやがるからなぁ。

 どうでもいいが、俺さっき周りを見たよな?

 その時は誰も居なかったような気がするんだが……。

 『高杉だから』と言ってしまえば、それまでだけどさ。


「どうした?」

「いや……。それより、お前はどうして此処に?」


 あれこれ考えたって、コイツの事など誰も分かりはしない。

 それよりも、今どうしてコイツがこの場に留まっているのか、と言う事。

 どちらかと言えば、そっちの方が重要だと思う。


「お前を放っておくのも悪かろう」

「そっか。……悪い」

「フッ、気にするな」


 ったく、無駄に律儀な所があるなコイツは。

 それなのに、俺はコイツを…………


「なぁ……」

「どうした?」


 ふと、屋上での出来事を思い出した。

 正直、この言葉を言うのは気が引ける。

 もし答えがその通りだったら、きっといつまでも引き摺ってしまう。

 出来れば知りたくない問い。


「俺って、保身の為に家族を大切にしてるのか?」

「んな訳なかろう」

「はぁ!?」


 高杉っ!?

 お前、自分で言ってたじゃねぇかよ。

 なのに、即行で否定しやがった。

 だったら、あの時の言葉は何だってんだよ?

 困惑している俺を余所に、高杉の言葉は続く。


「瑞代が純粋に家族を大切にしている事位、俺は理解している」

「だったら、何でさっきは……」

「お前が逃げている、それだけは事実だからな。それを真に理解させる為だ」


 つまり、俺自身にそれを理解させる為に、あんな事を言ったのか。

 逃げている――――それを分からせる為に。

 あんな悪役を演じてまで……。


「でも、何で今更そんな事を」


 もしそうだと言うのなら、今までにだって出来た筈だ。

 それを今更、こんな時に言う理由は何だ?

 だが高杉は答えようとせず、踵を返してこちらに背を向ける。


「お、おい」

「それ位、自分で考えろ」


 まるで捨て台詞のように、それだけを口にして去っていく。

 残された俺は、アイツが出て行った出入り口を見詰めている事しか出来なかった。

 静寂の中、唯1人で……。










「考えろって言われてもな」


 行き交う人々を横目に、夕陽を浴びながら俺は道を歩く。

 あれから保健室での事を考え続けているが、結局答えを見出せず。

 時間が過ぎていくだけで、何一つ得られない。

 なのに、何かが胸に痞える感覚があって、煩わしい。


「分からねぇよ」


 アイツの思考が特殊だからとか、そんな事じゃない。

 他人の心、他人の考え、そんなものを理解するなんて不可能なのだ。

 どんなに努力しても、見えないものを知る事は出来ない。

 人間とは見て知って、そこで初めて確定した理解を持つ生き物なのだから。

 人付き合いとは、不理解故の追及だと思う。

 相手の感情を、想いを知りたいと思うからこその行動。

 もし互いを完全に理解しているのなら、それはきっと完全な不干渉の世界になってしまう。

 人と人が互いを理解しているが故の、不干渉。

 そんな世界、正直言って気持ち悪いだけだ。



「あれ?」


 ふと、風に流されたかのように、小さく声が聞こえた。

 深く考え込んでいたせいもあるだろう。

 俺はその声に反応するのが、少しだけ遅かった。


「もしかして、せー君?」

「えっ?」


 不意に気付く。

 俺をそんな呼び方で呼ぶのは、知る限りでは1人しか居ない。

 俺の『聖』を『ひじり』ではなく『せー』と呼ぶのは、この世でたった2人だけ。

 良い意味でも、悪い意味でも、俺の心に残り続ける双子の姉妹。

 そして、今俺に声を掛けた少女は――


「あっ、やっぱりせー君だ」

「柊……雪見」


 鴉羽色のセミロング、ハーフリムの眼鏡を掛けた少女は、知的なイメージを醸し出す。

 実際に目の前の少女は、瀬田と並ぶ天才であるが……。

 名前は、柊雪見。

 小学校からの知り合いで、クラスで2大ヒロインの立場にあった少女。

 さっき言ったように彼女は双子で、妹の方だ。

 クラスも同じ事が多かったので、俺も顔見知り程度ではある。

 そんな彼女が、何故か目の前に居る。


「憶えててくれたんだ。久し振りだね、せー君」

「あ……あぁ」


 小学校を卒業した日以来、3ヶ月と少し位だろうか。

 何故今になって、と考えたが別段おかしい事ではない。

 同じ市に住んでいるのだから、寧ろ今まで会わなかった事の方がおかしい。

 しかし、対する俺の反応はぎこちなさが滲み出ている。

 まるで俺の精神状態が現れているようだ。

 ――出来れば、会いたくなかったと……。


「今帰り?」

「あぁ……」

「聖祥だっけ?」

「あぁ……」

「確か、高杉君も一緒だったよね。まだ彼のストッパー役やってるの?」

「あぁ……」


 瀬田に引けを取らない天才でありながら、人付き合いが上手な彼女。

 当たり障りの無い事から、最近の近況等を懐っこい笑みで交わしていく。

 それでも俺の対応は素っ気無く、相手に不快感を与えるだけ。


「大変そうだけど、楽しそうだよね」

「あぁ……」

「あ〜ぁ、私も聖祥にすれば良かったなぁ」

「あぁ……」

「あぅ…………」


 そして遂には、彼女の口も閉ざされてしまった。

 控えめな喧騒が響く空間で、俺達は互いに無言。

 彼女は俺に視線を向けながらも、気落ちしたような表情を見せている。

 その原因が俺でありながらも、今の俺にはどうしようもない。


「「…………」」


 無性に気まずくなり、視線を逸らしてしまう。

 そんな逃げるような事をしている自分を情けなく思い、どうする事も出来ない自分に腹が立つ。

 だが不意に、静寂を破るように目の前の少女が口を開く。


「やっぱり、『つき』の事……」

「っ!?」

「……だよね」


 『つき』――――彼女の双子の姉である少女、柊月見。

 忘れたくても忘れられない記憶の一端に残る姿。

 彼女と同じ鴉羽色のポニーテール、いつも元気でハキハキ、妹とは対称的でスポーティなイメージを持つ少女。

 しかし人付き合いが上手な所は、双子である事を思い知らされる。

 だが何よりも記憶に残るのは、背が高い彼女の姿だった。


「せー君が今、どんな思いをしてるかは分からない」

「……」

「でもね、つきもあの時の事、ずっと気に掛けているんだよ」

「……っ」


 目の前の少女が、つきの話をする度に胸が痛くなる。

 蓋をしている筈の嫌な記憶を、引き摺り出される感覚。

 歯を食いしばって、拳を深く握りこんでそれに耐える。


「だから、つきの事……」

「悪い」


 ゆきの話を、無理矢理遮って止める。

 ――駄目だ、もう我慢出来ない。

 ――これ以上は、本当に耐えられない。


「せー君……」

「じゃあな」


 彼女の横をすり抜けるように避けて、その場を後にする。

 振り返る余裕は無い。

 今は唯、早く帰って全てを忘れたい。

 それだけだった。

 俺を呼び止めるような声、それすらも無視して。

 振り切るように、俺は走り出した。










「ご馳走様です」


 皆で囲む夕食の席。

 俺の心も平静を取り戻しつつあり、明日になれば綺麗サッパリ元通りだろう。

 まだ食べている皆に視線を向け、俺は自室へと戻っていく事にした。

 弟や妹の相手なら大丈夫だが、師父やシスターが相手だとボロが出てしまう可能性が大。

 一足早く退散する事にしよう。

 居間の階段を上り、2階の自室へと歩いていく。

 さてこの後は、今日の復習とか明日の準備とかやっておくか。

 終わったら鍛錬をして、風呂に入って……。


「聖、ちょっと良いか?」

「師父……」


 いつの間にか、師父が俺を追うように此方に歩いてきた。

 神妙な顔付きが、俺の体を自然と緊張させる。


「何かあったのか?」

「…………はい」


 案の定、バレてましたとさ。

 どうせ気付かれてるのだから、誤魔化しても無駄だ。

 俺は素直にそう答えた。


「敢えて言及はしない、そう身構えるな」

「すみません……」


 師父にそう言われて、フッと体の力が抜けていく。

 ……本当に、この人に隠し事は出来ないなぁ。

 流石、10人以上の子供達を育てているだけはある。


「だったら、他に何かあるんですか?」

「あぁ、そうだった。明日は6月16日だろう?」

「まぁ、今日が15日ですからね。それが………あぁ、そう言う事ですか」


 『6月16日』という日にちを強調する言葉に、少し考えて理解する。

 恐らく、この家に於いてはシスターと俺のみが知っている事だ。

 6月16日、それは――


「出掛けるんですよね?」

「年に一度の行事みたいなものだからな」


 師父が私用で出かける日だ。

 俺が物心付いた時から続けている、師父だけの用事。

 まぁ、それが毎年同じ日だと気付いたのはもっと後なのだが……。

 取り敢えず、明日は師父の帰りが遅くなる。


「あの子達の面倒、頼んだぞ」

「今までもそうだったんですから、今更言う事でもないでしょう?」

「それもそうだな」


 フッ、と一つ笑みを浮かべると、そのままUターンして居間に戻っていく。

 その背中を見詰めながら、俺の中に疑問が浮かび上がった。


「そういえば……」


 師父は毎年、6月16日に何をしてるのだろうか?

 その日に何かをしている、というのは知っていたが……。

 実際に何をしてるのか、それは考えた事も無い。

 知りたくないと言う訳ではないが、それは師父のプライベートに関わる事だし。

 いつか師父から話す時が来た場合、それまでこの疑問は取って置こうと決めた。


「まぁ、俺には関係無い事だろうな」


 窓に視線を向けると、下弦の月が美しく映えていた。

 その周りには、小さな星々がキラキラと輝く。

 ――明日も晴れるだろうか。

 そんな事を考えていた時だった。



例えば〜 全て〜が〜 幻でも〜 き〜っと信じるよ〜 小さ〜な〜愛を〜♪



 ポケットから鳴る着信音は、メールの存在を俺に知らせる。

 取り出した携帯のサブディスプレイを見やる。


「げっ……」


 なんて、常人がするとは思えない反応をしてしまった。

 コイツが相手なら、誰だってこんな反応かもしれないが……。


『高杉』


 そこには、俺のトラブル&悩みの根源の名が記されていた。










 で……


「何で俺はこんなとこに居るんだ?」


 唐突だが呟いてみた。

 視界に映るのは、暗闇と月光の境界。

 場所自体が暗いせいか、右から入り込む光が妙に眩しい。

 携帯で時刻を確認すると、既に夜8時を過ぎている。


「ったく、さっさと帰りたいが……」


 俺の現在位置、――――聖祥大学附属中学校。

 普通ならこの時間帯に絶対に行かないであろう場所に、俺は今立っている。

 俺は普通だけどな……。


「引き受けた以上、中途半端も駄目だよなぁ」


 発端は、高杉からの一通のメール。


『聖祥に伝えられる七不思議の一つ、「6月15日の怪異」について調べて欲しい』


 なんてものが来やがった。

 その為に今から学校に潜入して来いとの事。

 正直、俺としては絶対に断るつもりだった。

 夕食終わったばかりで、いきなり学校行けってのは酷じゃなかろうか?

 それ以上に、高杉の頼みに関わると碌な事が無い。

 しかし、昼休みにあんな事があった手前、無碍に断る事も出来ない。

 仕方なく俺は、今回だけコイツの頼みを聞くことにした。

 今回だけだぞ、今回だけ。


「しっかし、『6月15日の怪異』ってもなぁ」


 アイツから聞いた詳細を簡潔に言うならば、幽霊が出るとの事だ。

 それが何年も何年も……。

 如何にも、学園の七不思議にカテゴライズされるメジャーなものである。

 でも、怪談にしては時期が早いしなぁ。


「それより、何で6月15日なんだろうか?」


 コツン、コツン、コツン、コツン……。

 リノリウムの床を叩く俺の歩みが、廊下一帯に響き渡る。

 誰も居ないが故の静けさが、その音色を余計に増長させている。

 そう言えば、音色を増長させるで一つ思い出した。

 師父からの指摘だが、ピアノの音を大きく聞かせるには、手首の旋回運動が一番重要らしい。

 今まで悪戯に鍵盤を強く叩いていたが、これからは注意しなければいけないな。


「うぅむ、俺の腕もまだまだ未熟だな……」


 腕を組み、思考に耽る。

 だが――


「っ!?」


 タァン、タァン、タァン、タァン――。

 硬い床を叩く音が響く。

 俺のそれよりも間の長い、弱々しい音色。

 今まで全く、音と言う音が無かった筈なのに。

 音を聞いた瞬間、体が警戒態勢に移行していた。

 その間にもゆっくりと、音は少しずつ離れていく。


「って、追わないと拙いだろ」


 一応アイツからは調査を依頼されている身だ。

 このまま逃しては意味が無い。

 相手に気付かれないように足音を最大限消して、対象の進行方向を追っていく。


「…………」


 長い廊下を走り抜き、階段を颯爽と駆け上がる。

 徐々に大きくなる音を聞き取りながら、対象の存在を確かめる。

 そんな中、俺の心中であるものが芽生え始めていた。

 それは、――――好奇心。

 正直最初は、唯の噂話だと思っていた。

 幽霊の存在を否定するつもりは無いけど、自分から見ようとする気は無い。

 今回の事だって、恐怖心に煽られて早とちりした可能性だってあるんだ。

 でもその噂が、現実に今起こっている。

 この学校で1年に1度だけ起こる現象。

 それは一体、何が原因とするのか。

 俺には似合わないが、少しだがワクワクしてきた。

 頭の中に、これは高杉の依頼だと言う事など、すっかり忘れ去っていた。


「見せて貰うぜ。七不思議の正体をな!!」


 なんて柄にも無い台詞も、自然と出てきてしまう。

 あぁ、俺もまだまだガキだって事か。

 くだらない思考を他所に、俺は進む。

 この聖祥で何年も続く、この怪異の根源を突き止める為に。










―――――――――――――――
あとがき


どうも、明けましておめでとうございます。

ここ最近は『召喚少女』やPSP版『空の軌跡FC』をやっていた為に、かなり執筆が滞っていました。

…………スミマセン、僕のせいですね。

今後は一層忙しくなるというのに、これでは駄目ですよね。

少ない時間となりますが、これからも頑張る所存であります。

さて、此処で少しばかり本編に触れましょう。

今回も今回で、無駄に長くなってしまいました。

書きたい部分を書いてる内に止まらなくなってしまい、いつの間にかこんな量に……。

本当はもっと書きたい部分はあったんですが、自重して抑えました。

そして前回のあとがきでも言ったように、今回と次回はオリキャラが多くなります。

分かるとは思いますが、今回は今まで引っ張りに引っ張ってきた過去を明かしたいと思います。

実際、3話からあるネタですからね。

皆様が納得出来る内容に、出来うる限り近付けられるよう頑張ります。

しかし読み返して思ったんですけど、今回の話は微妙に読みにくい文章ですね。

聖の一人称がメインとなるので、キャラの癖がついてしまうのは仕方ありませんが、もうちょっと変えられる余地はあるかもしれません。

まぁ、弄って文章を壊してしまったら拙いので、僕はやりませんが……。

ではでは、今回は此処まで。

次回は後編、聖に一つの区切りを付けさせたいと思います。

それでは〜。





それと、前回書き忘れたので↓に書いておきます。

聖の歌ったバースデーソング


ハピハピバースデー/岡本真夜


皆様も1回は聞いたことがあるであろう曲です。

僕も大好きな曲の1つなので、使わせて貰いました。

以上です。