暑い、あぁ暑い、意味もなく叫びたくなるほど暑い。

 汗が出過ぎて鬱陶しい。 窓を開けても風が生温くてイライラする。 表現するなら『ストレスメーターフルチャージッ!』みたいな感じです。

 次から次へと沸いてくる苛立ちに耐え切れず、ノートの上にペンを置く。

 隣に座る友人が眉根をしかめるが気にしない。 こんな暑いのに夏休みの宿題なんてやってられるか。

 そういう訳で休憩…………いや、冗談ですから人を射殺せる眼を向けないでくれ。

 でも、問題を解くのが面倒臭いんです。 分からない数式がたくさんあるんです。 だから――



 「茜、答えを写させてくれ」

 「嫌です」



 俺こと相沢祐一の懇願は一刀両断されました。 とほほ。














ある夏の相沢家















 あの冬の奇跡から数ヵ月経ち、季節は夏。 熱気と汗で狂い死にしそうな時期である。

 色々あって元の街に戻った俺は、ただ今地獄を垣間見ております。



   ――何故なら、夏休みの課題が眼前にてんこ盛りだから。



 面倒臭がってやらなかったツケが、正に己の身に降りかかって来ているのだ。

 こうやって説明している間にも、シャーペンを動かし続けている。 ホント、精神病に掛かりそうなくらい忙しい。

 そんな時に、我が家で『宿題をやって海へ行こうぜ莫迦野郎どもっ!』なる良く分からない会が発生。 原因は無論、幼馴染の折原浩平である。

 話に聞けば、あいつも同じように宿題が溜まっているんだとか。 浩平と同レベルということが、俺の自尊心を傷付けたのは言うまでもない。

 おっと、今はそんなことを考えている暇はなかったんだ。 がんばって一日で終わらせないと。



 「祐、ここが間違ってます」

 「ぅえっ? マジッすか?」

 「マジです。 ここはXの三乗ですよ」

 「げっ。 何か前も同じ間違いをしたような気がする」

 「進歩がありませんね」

 「げふっ」



 俺の臨時講師をしてくれる里村茜様はとてもキツイです。 それこそ、傷口に塩をすり込んでナイフで抉るくらいに。

 でも、優しい時は聖書に出てくる聖母と勘違いを起こすほど優しい。 こういう二面性がギャップを作って萌えるんだろうな、きっと。

 甘い物を食ってる時の顔なんかが特に可愛いと思う。 あれはもう神の領域だ。



 「折原君、また間違えてるわよ」

 「なぬっ!? そんな莫迦なっ!?」

 「いちいち驚いてないで早く直そうよ、浩平」



 隣のテーブルで美女二人に囲まれながら呻く男が一人。 言わずもがな、浩平である。

 現在、長森瑞佳嬢と深山雪見部長閣下がヤツの指導に当たっている。 流石のあいつも、宿題を終えたいので素直に従っているようだ。

 きっと抑えた分、海で爆発するんだろうな。 最悪、砂山をどれくらい高く作れるかとか阿呆なことをほざき出すかもしれない。

 少し肩を落としたら、空のコップに新しい麦茶が注がれる。 反射的に右を向くと、いつもと変わらぬ笑顔がそこにあった。



 「ありがとう、佐祐理さん」

 「あはは〜、お礼なんていいですよ〜」



 照れ臭そうに頭を掻くその様はとても可愛らしい。 やはり犬ちっくなお姉さん風味の雰囲気がそう思わせているのだろうか。

 そんな阿呆なことを考えつつ、右斜め前に目を向ける。 そこで、見た目は大型でも中身は子犬的な女性が大学の課題に頭を悩ませていた。



 「……佐祐理、分からない」

 「えっと、そこは『"助けが……必要か?" 白き翼を持った少女が、月を背に呟いた』だよ」

 「……ん」



 舞は納得したように頷いて、再びノートの上でペンを滑らせる。

 そこはかとなく別のキャラが混じっている気がするけどスルーの方向で。



 この二人が何故居るのか、とお思いだろう。 理由は至極簡単、彼女達はここの近くにある大学を受験し、見事合格したからだ。

 尤も、あの街からここまで通うには遠すぎるので、アパートを借りて二人暮らしをしてるんだとか。

 前にお邪魔したことがあるが、それなりに広くて家賃も安いという在り得ねぇ物件でした。 こんな所を見つけるなんて流石です、佐祐理さん。



 もう一度、心の中で佐祐理さんを拝みつつ、順調に課題を減らす舞&佐祐理さんを眺める。

 今日は二人とも肌の露出が高いなぁ。 佐祐理さんは薄手のブラウスに青のミニスカート、舞なんか黒のタンクトップにショートパンツですよ?

 大変ふくよかな胸とか白くて肉付きが良い太ももが堪らんです。 嫌でも本能を刺激されます。



 「目がエロいです」

 「直球な表現をありがとう。 出来れば、次回からはオブラートに包んだ言い方をしてほしい」

 「嫌です」



 茹だるような暑さが原因なのか、いつにも増して不機嫌なご様子の茜様。 眉間にしわを寄せていて、とても怖いです。

 仕方ないので当社比五割増しの速度でペンを動かす。 感心したような声が左隣から聞こえて、ちょっと嬉しい。

 何と言うか、茜は飴と鞭の使い方がすごく上手な気がする。 将来はきっといい教師になれるだろう。



 「ぬぁぁあああああああああっ! 何だこの課題地獄はぁっ!?

  おのれ教師共ぉ、学校が始まったらバリアジャケットを強制着衣させて『リリカルマジカルがんばりますっ!』とか言わせてやるぅぅうううううっ!」

 「こ、浩平が暴走し始めたんだよっ!」

 「落ち着きなさい折原君っ! そんなことしても、見た人の精神が汚染されるだけだからっ!」

 「ふぇ? 剣なんか持ち出して何をするの、舞?」

 「私は変態を討つ者だから……!」

 「へぶろっ!?」



 何処からか取り出した剣を強く握り、舞は力強く薙ぎ払う。 剣は腹部へ吸い込まれるように当たり、浩平は壁まで吹き飛んだ。

 舞のヤツ、魔物と闘っていた時より大分強くなってるな。 速過ぎて剣が見えなかったぞオイ。

 そして壁に叩きつけられた男はというと、漫画みたいに目が渦巻きにしながら立っていた。 気絶してるのかしてないのかどっちなんだ?



 「は、その程度で終わりか? せめてもの情けだ……オレの手で屠ってやるっ!」

 「……あなたには負けない。 誰かに負けるのはいい。 けど、変態莫迦には負けられない――!」



 顔が劇画チックになった浩平と、投影魔術を使い始めそうな勢いの舞が激突する。

 舞は西洋風の剣を、浩平は首領パッチソードと言う名の葱をぶつけ合い、何故か宙に火花が飛び散る。

 ちょっと人間の限界を超えた闘いを瑞佳と深山さん、それと佐祐理さんが慌てて止めようとしているが、治まる気配は一向にない。

 そんな光景を眺めながら、俺と茜はコップを傾けた。



 「……平和だなぁ」

 「……そうですね」

 「そこぉっ! のほほんとしてないで手伝いなさいっ!」



 我、別任務を受け持っているので援護不可能であります。








◇ ◆ ◇









 十分後、ようやく浩平と舞の暴走が終わり、そのまま休憩タイムに突入。

 俺と茜以外の面々は、停止させるのが余程大変だったのか相当疲れている。 手伝わなくてごめんなさい。



 「佐祐理は新しいお茶を取ってきますね」

 「あっ、わたしも手伝うよ」



 皆のコップが空っぽなことに気付いた佐祐理さんは、瑞佳と一緒に居間を出て行った。

 相変わらず気が利く人だ。 思わず嫁に欲しくなる。



 彼らの暴走は暑さ故におかしくなったと結論付けた。 断じて、平静な判断の上で人の家で家具などを吹き飛ばした訳ではない……筈だ。

 尤も、この二人は暴れた罰として散らばった物の片付けを命じた。 笑顔で頼んだら、顔を青くさせてすぐに行動し始めたのは何故なんだろう?



 「オレンジ色のジャムを食わされるオレンジ色のジャムを食わされるオレンジ色のジャムを食わされるオレンジ色のジャムを食わされる……」

 「祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い祐一が怖い……」



 何か向こうでぶつぶつ呟いてるけど、放っておこう。 別段、害がある訳じゃないし……ちょっと不気味だが。

 ネガティブなオーラを発する二名から目を逸らし、テーブルに置いてある戦果を眺める。

 午前中に課題の五割を終わらせるとは…………自分の知られざる能力を実感した気分だ。

 今ならきっとトランプタワーを作ることが出来る。 あの、指先を震えさせながらする作業を、俺は成し遂げられるかもしれないっ!



 「祐の休憩時間は終わりです。 さぁ、宿題の処理を再開しますよ」

 「もう終わりっ!? まだ麦茶を一口も飲んでないぞっ!?」

 「休憩時間に入ってジャスト一分。 ユメは見れましたか?」

 「どこかで聞いたことがある台詞なんですけどっ!?」



 気温が三十度を超える所為か、心のオアシスである茜さえぶっ壊れ気味。 オゥノゥ、すでに神は死にたもうた。

 胸の前で十字を切って似非クリスチャンを演じてみる。 これ以上ないほど似合いませんと茜お嬢様よりお叱りを頂きました。

 今日の彼女は本当に容赦がない、極悪非道な女子高生です。



 「何か失礼なことを考えましたね」

 「言い切ったっ!? 俺ってそんな風に思われてたのかっ!?」

 「日頃の行いが悪いんだろ」

 「テメェだけには言われたくねぇっ!」



 ふざけたことをほざく浩平に消しゴムを投擲するが、ヤツは大きく上体を逸らして回避しやがりました。 すげぇムカつく。

 ったく、行動に問題があるのは間違いなくお前だろうが。 俺はとっても誠実な生活を送ってるっつーの。

 ……ごめん、嘘。 本当は結構暗躍してます。 この間、浩平が校庭に大量の落とし穴を作った時、こっそり手助けしてたし。



 「しっかし暑いな。 外に出たら干からびるんじゃないのか?」

 「そうですね。 今は何も食べたくないです」

 「へぇ、じゃあこれも欲しくないのか?」

 「――頂きます」



 浩平が何処からか取り出したのは、対里村茜用決戦兵器『蜂蜜練乳ワッフル』

 あれを使えば、どんなことがあっても彼女の気を逸らすことが出来る。 その甘さは正に究極の一。 食えば砂糖漬けの夢を見てしまうほどの一品だ。

 茜は一瞬の間にフリッカーを放ち、浩平の手から蜂蜜練乳ワッフルを強奪する。 一体何処でそのパンチを憶えたのか非常に気になる。



 「……美味しいです」



 もふもふとワッフルを食べる茜の表情は、正に至福という言葉を体言している。 尤も、親しい者でないと分からないだろうが。

 それにしても、よくワッフルの皮を被った甘さという甘さを凝縮した代物を食えるものだ。 甘さを感じる器官がぶっ壊れているのでは、とさえ思ってしまう。

 そんなことを考えていたら、茜と目が合った。 何故だか、彼女の目が光ったような気がする。



 「食べますか?」

 「止めとく。 俺にとっては甘過ぎるからな」

 「……そうですか」



 心持ち残念そうに肩を落とし、ワッフルを口に運ぶ。 うぅ、そんな犬耳を幻視してしまうほどしょんぼりしないでくれ。 意味もなく頭を撫でたくなるじゃないか。

 無意識の内に動いていた右手を押さえる。 危ない危ない、萌えに身体を支配される所だった。

 安堵の息を漏らしたら両肩に誰かの手が置かれた。 振り向いて見たモノは、力強く親指を立てるムカつく笑顔の浩平と無表情の舞の姿。



 「萌えに耐えてよくがんばったっ! 感動したっ!」

 「祐一の精神力は世界一ッ……!」

 「アホだっ! お前らは間違いなくアホだっ!」



 浩平はともかく、舞まで壊れるなんて……悲しいけどこれ、現実なのよね。

 辛い現実に打ちのめされて俺の心はもうボロボロ。 とても茜のスパルタ指導に耐え切れるとは思えない。



 「くっ、志半ばで倒れることになろうとは」

 「相沢君もボケなくていいから。 ホント、貴方達と居たら退屈しないわね」

 『いやぁ、それほどでも』

 「褒めてないっ!」



 浩平と揃って頭を掻く。 深山さんが深々とため息を吐いているけど気にしない。

 次はどうボケようかと考えていたら、お茶が入ったポットが乗っているお盆を持って佐祐理さんと瑞佳が戻ってきた。

 瑞佳はチーズケーキが乗った皿を持っていて、それを見て茜の目が輝いたのは言うまでもない。



 「祐、ケーキを食べたら再開しましょう」

 「うぃっす。 瑞佳、さっきからうずうずしてる茜に早くケーキをあげてくれ」

 「祐っ!」

 「あははっ。 はい、どうぞ」



 憮然としたままケーキを口に運ぶ茜を眺めながら、俺は口を綻ばせるのであった。








◇ ◆ ◇









 『宿題をやって海へ行こうぜ莫迦野郎どもっ!』の会は、日が傾いてきた辺りでお開きとなった。

 各自手早くノートなどを鞄に収め、ご丁寧に食器の片付けまでしてくれた。 マジで有り難い。



 「じゃあな。 海は来週だから忘れんなよ」

 「了解した。 お前が送り狼にならないことを祈ってる」

 「無駄な祈りだな」

 「こ、こここ浩平っ!? それどういう意味なんだよっ!?」

 「ちょ、折原君っ!?」



 さり気無く投下された爆弾に、約二名ほど火がついたようにうろたえ始める。 誰なのかは告げなくとも分かるだろう。

 擬声語で表すなら『ニヤリ』がぴったりな表情を浮かべて、浩平は顔から火が出ている彼女達を引っ張っていった。

 今夜は三人でくんずほぐれつするのか。 うむ、実に羨ましいぞ。



 「佐祐理達も帰りますね」

 「あっ、送っていこうか?」

 「大丈夫。 いざとなったらこれがある」



 得意げに、舞が背中に背負った一メートルほどの長細い包みを掴む。 中身はもちろん愛用の剣。

 舞の強さなら問題ないけど、一応注意するよう伝えておく。 夕陽を背景に手を振ってくる二人を、同じように手を振って見送った。



 「それじゃ、茜も帰るか? 送っていくぞ」



 未だ俺と玄関先に立っている茜の帰宅を促す。 暗くならない内に帰らないと危ないしな。

 しかし、当の本人は口を真一文字に閉じたまま動かない。 何でだろう?



 「どうしたよ? ひょっとして、今日はウチに泊まりたいのか?」

 「…………はい」

 「そうかそうか。 それなら仕方ない…………えっ?」



 冗談のつもりで言ったら、返ってきた言葉は予想外のモノだった。

 嬉しさよりも先に戸惑いが生じる。 これも茜なりのジョークかと考えたが、即座に否定した。



 ――だって、彼女の頬が夕陽とは違う赤色に染まっていたから。



 「――――ダメ……ですか?」



 期待と不安が入り混じっている瞳が、真っ直ぐに俺を貫く。

 世界から音が消え、心臓の鼓動のみが煩く鳴り続ける。

 ……答えなんて一つしかない。



 問い掛けに答えぬまま、玄関に向けて数歩ほど進む。 振り向くと、さっきより不安が強くなった表情が目に映った。

 そんな彼女に、俺は無言で右手を差し出す。 大きな戸惑いと小さな驚きがその顔から見て取れる。



 「ほら、今日は泊まっていくんだろ?」

 「あっ――――」



 ようやく意味が分かったのか、茜は驚いて目を見張る。

 不安はもうない。 彼女の眼がそれをはっきりと伝えていた。



 ――――これから、よろしくお願いします。



 俺の手を取って……この日、初めて茜は微笑んだ。













 Fin













 あとがき



 キャラがおかしいのは仕様です、と開き直ってみます(ぇ

 や、指が勝手に動いたんです。 そして気が付けば瑞佳の影が薄くなっていました(ぉ

 まぁ祐一と茜がメインだから、逆に濃くても問題ありなのですがね。



 と言う訳で、何度も書いたことがある『Kanon×ONE』のSSです。 そして、私の中では『祐一×茜』はデフォなんです(ぇ

 何せ、数あるカップリングの中で一番好きですから。 ちなみに、次点は『祐一×舞』だったりします。 まぁどうでもいいことですが。



 最後に、本文中で浩平が使っていたのは『首領パッチソードと言う名の葱』であって『首領パッチソード』ではありません。

 そこをお間違えなきようお願いします……別に間違えても構いませんが(ぇ