あなたを好きになって―――

 

あなたのぬくもりに包まれて―――

 

あなたと笑い、あなたと泣いて―――

 

私はあなたと愛を育んだ―――

 

私はあなたを愛し、あなたは私を愛した―――

 

―――だけど、そんなあなたはもういない。

 

私が愛したあなたは死んでしまったのだから

 

 

 

 

 さよならのかわりに

 by.JGJ

 

 

 

 

その日は軽く雨が降っていた。

外に出るでもなく、かといって家事が残っているわけでもなく。

私は娘の名雪と暇を玩んでいた。

 

「ねぇ、おかーさん。あめがふってるから、おとーさんびしょびしょになるよね……」

 

失念していた。名雪の一言でそれに気付く。

朝は快晴だったから、あの人は傘を忘れていったのだ。

 

「おかーさん、おとーさんをむかえにいこーよ。きっとおとーさんびしょびしょになってエーンエーンってないてるよ?」

 

 

それは良い考えね。ついでにどこかでお食事をしましょうか?

 

 

と私が言うと、名雪は弾けたポップコーンのようにはしゃぎ回った。

それを後目にお出かけの準備を始める。

あの人はあんまり厚い化粧は好きじゃない。

薄くファンデーションを叩き、うっすらと今年の結婚記念日に貰ったリップを塗る。

あの人は気付いてくれるだろうか……?

ううん、きっと気付いてくれる。

だってあの人が私に似合うといって買ってきてくれた物だから……

 

その後、ものの数分で他の作業を終えると鏡に映った自分を見る。

うふふ、あの人は何て言うのかしら?

キレイ? カワイイ?

それとも何も言わずに抱き締めてくれたりして……きゃっ!

 

「おかーさん?」

 

名雪の一言で我に返る。

いけないいけない。自分の世界に浸っていたようだ。

 

「そろそろいこう? おとーさんがエーンエーンってないちゃうまえに」

 

 

そうですね。行きましょうか?

 

 

あの人の愛用の紺色の傘と自分の深い赤の傘を持って、名雪は買ったばかりの赤い長靴に、胸の所にいちごのロゴが付いている河童を着て外に出る。

 

 

―――外は既にどしゃ降りに変化していた。

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、おかーさん」

 

駅までの道を歩いていると不意に名雪が声をかけてきた。

 

「わたしたちがむかえにきたら、おとーさんよろこぶかなぁ……」

 

 

えぇ、喜びますよ。

 

 

そう答えると、名雪は屈託の無い笑顔を向けて

 

「だったら、ほめてくれるかなぁ……」

 

 

えぇ、褒めてくれますよ。

 

 

だってもし私があの人の立場だったら間違いなくそうするだろうから。

 

「それなら、ごほうびににイチゴサンデーをたのんでもいいよね?」

 

ふふっ、名雪ったら可愛いこといいますね。

 

 

勿論ですよ。

 

 

そう答えた。

きっとあの人もそれ位の我が侭なら許してくれるだろうから。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、おかーさん。えきについたよー」

 

それから歩いて10分弱、私達は駅前に到着した。

名雪はイチゴサンデーをご馳走してもらえるのが嬉しいのか終始ご機嫌のようで、水溜りをピチャピチャと水音を鳴らしながら流行のアニメの曲を口ずさんでいた。

 

「あれ? おかーさん、あそこにひとがいっぱいいるよ?」

 

名雪が指を指した方向には確かに黒い人だかりが出来ていた。

 

 

なんでしょう? 行って見ましょうか?

 

 

人だかりに近づくと怒声のような声が聞こえてくる。

 

 

『どいてくれ!! 急患なんだ!!』

 

『患者は腹部をナイフで刺されて意識不明の重体、しかも内臓を傷つけてる恐れがあります!!』

 

 

 

どうしたのですか?

 

 

近くにいたサラリーマン風の男の人に聞いてみる。

 

「どうやら駅構内で引ったくりがあったらしくて、それを追いかけた紺色のスーツを着た男の人が犯人を取り押さえた時にナイフで刺されたらしいんだ」

 

紺色のスーツの人? あの人は今日紺色のスーツを着ていきました。

 

 

まさか……

 

 

刺されたのはあの人?

そんな思案が頭をよぎろうとした時

 

 

『おい、嬢ちゃん! 危ないから少し下がっているんだ!!』

 

「やーだー! だってこのひとはわたしのおとーさんなんだもん!!」

 

『そのお父さんが今、危険な状態にあるんだ!! だからどいてくれないか?』

 

「やーだー!! これからわたしとおとーさんとおかーさんでばんごはんたべにいくんだもん!!

 おとーさん、わたしむかえにきたんだよ? えらい? ほめてくれる?」

 

その声は正しく名雪の声だった。

私は人だかりに入り込むとあっという間に名雪の下へ辿り着き、名雪を引き離した。

 

「おかーさん!! なにするのー!! おとーさんがみつかったんだよ? ねぇ、はやくばんごはんをたべにいこーよー」

 

 

 

……!?

 

 

 

 

見下ろした所に横たわっていた人は正しくあの人の姿だった。

 

 

 

 

 














 

「残念ながら……ご臨終です」

 

医者のその一言を聞いた時、鈍器でガンと殴られたような気分になった。

あの後急いで病院へと運んだのだが、あの人の意識は戻らず、そのまま息を引き取ったのだった。

 

「ねぇ……おかーさん……おとーさんつめたくなっちゃったよ?」

 

あの人の顔を撫でながら名雪が聞いてくる。

 

 

何も答える事が出来なかった。

もう、あの人のぬくもりはを感じる事は出来ないのだから。

 

私はあの人の眠る布団の上で泣いた。

久しぶりの涙の味はとても塩辛くて、晩御飯を食べていなかった口に刺激を与えていた。

 

 























 

 

 

「秋子……」

 

通夜の日。姉さんが手伝いに来た。

私の顔は酷くげっそりしていた事だろう。

あれから数日、私は何も食べず、何も飲まなかったのだから。

 

 

このまま餓死をすれば、あの人に会えるかしら……

 

 

パチーーーン!!

 

 

頬を叩かれた。

 

「あんた、言って良いことと悪いことがあるわ!」

 

 

何が悪いのですか? 私はあの人に会いたいだけなのです。

 

 

パチーーン!!

 

 

また叩かれた。今度はさっきよりも強く。

 

「あんたが死んだら、名雪ちゃんはどうするのよ!!」

 

 

な……ゆき?

 

 

「あんたとあの人の子なんでしょう!!

あんたが死んだら名雪ちゃんはどうなると思うの? あんたがしっかりしなきゃ名雪ちゃんが悲しむでしょう!!」

 

 

なゆき―――名雪―――名雪!

 

 

そうだ。私が死んでしまったら名雪はどうなる?

 

まだ小さい名雪を残して私だけ逃げてしまったらどうなる?

 

私はあの人との日々を失いたく無い為に一番大切なあの人との結晶を放棄しようとしてしまっている。

 

 

私はバカだ……大バカ者だ。

 

 

「それがわかれば十分よ。

あんたの心の中にあの人がいるなんて不確定な事は私は言わない。

だって、それよりも実際に形が有るものをあなたは持っているのだから……

それを大切にしてあげて」

 

 

……姉さん

 

 

「でないと、あなたがあの人にあの世であっても怒られてしまうわよ?」

 

 

……はい! そうですね!!

 

 

「おかーさん」

「ほら、もうあなたのおかーさんは大丈夫よ?

 思い切り甘えなさいな」

「おかーさん……おかーさん……おかぁさぁぁん!!!」

 

名雪が泣きながら抱きついてくる。

空腹のあまりバランスを崩しそうになったが、なんとか持ち直して頭を軽く撫でる。

 

「おかーさん……おかーさぁん……」

 

 

ごめんね、名雪。もう大丈夫だからね。

 

 

 

 

 

 

そして告別式の日。

 

 

 

私は泣いた。

 

 

思いっきり泣いた。

 

 

名雪も泣いた。

 

 

思いっきり泣いた。

 

 

でも、私はもう悲観しない。

 

 

あの人との結晶である宝物がこんなにも近くにあるのだから―――

 

 

だから私は―――いや、私と名雪は―――

 

 

 

 

 

さよならのかわりにあなたにこう言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年5月18日作成