「シャッハ、シャッハー?」

 

聖王教会の一室。

そこで金髪の女性が自らの部下の名を呼びつける。

間を置かずに部屋の扉が開き、紫髪を短く切った白と黒の修道服姿の女性が顔を出した。

 

「何か用ですか? 騎士カリム」

「ええ、これをあなたに預けようと思って」

 

カリムは褐色の小瓶を一つ取り出すと、シャッハに渡す。

シャッハが小瓶をすかしてみると、中に入っているのはどうやら液体で、蓋から漏れ出るほどの甘い匂いがした。

 

「これは一体?」

「さっき、はやてから譲り受けたの。シャマル特製なんですって」

 

シャマルといえば、はやてを守る騎士の一人で、風の癒し手とも呼ばれる程の医療に精通している専門家だ。

勿論、薬剤の調合もできるだろうし、はやて経由でここに来ることも想像できる。

シャッハは危険物という可能性を切り捨て、これが薬品の一種かと小瓶の中身を判断した。

 

「では、救急箱の中にでも入れておきますね」

「あ、違うの。それは給湯室に保管しておいてもらえる?」

 

はて、と首を傾げたのはシャッハだ。

小瓶の中身を医薬品と考えていたシャッハは、医薬品とは関連性が薄そうな場所を指定した上司に疑問を抱く。火傷薬、それとも切り傷に効く薬なのだろうか?

 

「それは調味料なの。コーヒーや紅茶に入れて甘みを出す……砂糖みたいなものね」

「はぁ……?」

 

カリムの説明にシャッハはなんとなく違和感を持ちつつも、納得することでそれを黙殺することにする。

カリムがここで自分に嘘をつく理由はない。ならばカリムが言っていることは本当なのだろう。

それにシャマル特製と聞き、医薬品と勝手に勘違いしてしまったのは自分自身だ。

シャマルだって料理はするし、コーヒーや紅茶も飲むだろう。

 

「では次回から砂糖やミルクと一緒にこれを付ければ?」

「ええ、ちょうど今日はこれから来客もあるし、そうしてもらえないかしら?」

「……わかりました。ではいらっしゃいましたらご連絡を」

 

一礼をして、小瓶を持ったシャッハが退室する。

ぱたんと扉が閉まり、一人になった部屋。

 

「……これでようやく」

 

人が消え、カリムは静かに笑う。

それは普段の慈愛に満ちた笑みには程遠く、狩猟者が罠にかかった獲物を見る時のような笑み。

罠は仕掛けた。

恋の狩猟者は、ただ静かに、罠にかかる獲物を待ち伏せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(計算的に)うっかりシスターと(天然的に)妄想騎士のお話

by.JGJ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくいらっしゃいました。祐一さん」

「ああ、いらっしゃったぞ。それにしても久しぶりだな」

 

シャッハの案内で部屋にやってきた祐一にカリムは舌なめずりしたい衝動を抑えて、席を立って迎える。

そう、彼が部屋に来た獲物、もとい客人である。

シャッハに口頭で飲み物を持ってくるよう伝え、祐一にソファーを勧める。

祐一が座ると、カリムはその対面になるようにもう一つのソファーに座った。

 

「本当ですね。もっと遊びに来てもらって全然構いませんよ?」

「いやいや、それは互いに仕事にならん。

サボったらいつも監視しているティアナにどやされる」

「うふふ、そうなのですか。

……あのソフトツンデレ、全力でオレンジ畑でも耕させようかしら?」

「失礼します」

 

他愛のない会話をかわしていると、盆に飲み物を載せてシャッハが戻ってきた。

シャッハは澱みのない動きで二人の前にお茶請けの菓子とティーセットを置いて中に注ぎ終わると、カリムの後ろへとつく。

 

「シャッハも一緒に飲んだらいいのに」

「ご一緒するなんてとんでもない。私は一部下ですから」

「あら、いつも私とお茶をするような人の言う台詞とは思えないわね?」

「そ、それは、いつも騎士カリムが誘ってくるからでしょう!」

「まあ、それは抜きにあなたも少し休んだらどう?

 祐一さんも目の前に人を立たせていては、気になってお茶を楽しむこともできないでしょう?」

 

普段の彼女ならばシャッハを下がらせ、二人でティータイムを洒落込んでいたであろう。

しかし、この時のカリムは目の前の獲物にもう少しで手がかかるということで機嫌が良かった。

 

「はあ、わかりました。ご一緒させていただきます……予定とは違いますが、結果オーライです」

「おう、歓迎も歓迎、俺は大歓迎だ」

 

シャッハはカリムの後ろから離れ、自分のカップを取りに一旦退室する。

数分もかからず、彼女は一人分のティーセットを持ってきて、ポットの中に入った紅茶をカップに並々と注いだ。

 

「そういえば祐一さん、今日は紅茶に合ういい調味料を手に入れたんです」

「ん、そうなのか?」

 

紅茶に手をつけようとカップを持った祐一にカリムが声をかける。

祐一は飲む動作を中断させ、カップを置く。

 

「はい、何でも、数滴垂らすことで紅茶に甘みを出すとか」

「甘みか、あまり甘いものが得意ってわけじゃないからなぁ……

 でも他ならないカリムの勧めだし、一度だけ試してみるか」

 

祐一の言葉にカリムは心の中で柄にもなくガッツポーズを取る。

一度だけ、ではない一度あれば十分だ。

早速、その調味料を勧めようとテーブルを見回すが、その調味料が入った小瓶が見当たらない。

 

「シャッハ、あの小瓶は持ってこなかったのかしら?」

「来客が祐一さんでしたので、甘いものは好きじゃないかと思って敢えて付けなかったのですが……勝手な行動、申し訳ありません」

「……気遣いはありがたいけど、こういうこともあるから次回からはちゃんと付けた方が良いわ」

「はい、すぐに取ってまいります」

 

カリムは聞こえないように小さく舌打ちをする。

シャッハの気遣いが仇となってしまった。だがこれくらいはまだ計算の範囲内である。

過程はどうであれ、結果的に祐一にあの小瓶の中身を飲ませて、最初にカリムを見てもらえればそれでいいのだ。それだけであの『惚れ薬』は機能する。

シャッハは急いで部屋から出ると、先程よりも早く、小瓶を持って戻ってきた。

さすが有能な部下、行動が早い。とカリムがシャッハを再評価した時、事件は起こった。

 

「あ、足がもつれました」

「あがっ?!」

 

妙に説明口調でシャッハの足がもつれ、バランスを崩す。

手にしっかと握られていた小瓶が手から離れ、宙に舞う。

小瓶は低軌道でまっすぐ、こちらを向いていた祐一の額に強打し、上空に舞い上がる。

その衝撃で塞がっていた栓が開き、液体が重力に従って祐一の顔へ滴り落ちる。

当然、それは痛みで間抜けのようにぽかんと開けていた口に数滴入った。

顎が上がりきっていた祐一の顔が戻り、視線も元に戻る。

その視線の先には――

 

「あ、そんなところ、でも祐一さんなら――ふぇ?」

 

シャッハへの評価はいつの間にか祐一への妄想に変わっており、一人で悶えるカリム。

そんなカリムが現実に戻ってまず目に入ったのは、ひたすら謝り倒しているシャッハとそれを無言で見つめる祐一の姿であった。

 

「あ、う、祐一さん、申し訳ありません! 申し訳ありません!

 客人相手にとんだ粗相を――」

「……」

「ゆ、ゆういちさん?」

「……シャッハ」

「は、はいいい?!」

 

静かな声だった。

声色から怒りは取れないが、嵐の前の静けさと言うべきか、それが逆に不気味だとシャッハは感じた。

祐一がシャッハの方へ動く。

一体何をされるのかと身構えるシャッハに、祐一はふわりと柔らかく抱きついた。

 

「?!?!」

「なっ!」

「柔らかいなぁ……シャッハ」

 

急に抱きつかれたシャッハは思わず祐一の方を見る。

抱きついている祐一はまるでぬいぐるみを抱いているかのようにシャッハを抱きしめており、時々悦に浸っている。心なしか目は焦点が合っておらず、頬も紅く染まっていた。

 

「こ、これは一体……?」

「うう〜、シャッハ可愛いぞ、シャッハ」

「なっ、ちょ、ゆういちさん、離れて、はーなーれーてーくーだーさーいー!」

 

懸命に押し返すシャッハだが、祐一はそれ以上の力で抱きついて離れない。

それでも諦めずに抵抗を続けると、祐一は急に拘束を緩めた。

 

「うう、シャッハは俺のことが嫌いなのか?」

「はう、え、いえ、そんなことは!」

 

落ち込んだ様子でシャッハの耳元で話しかけてきた祐一に、シャッハは耳元の感触に多少変な気持ちになりながらも、慌てて否定をする。

確かに少し変わった人物という印象はあるが、シャッハは祐一のことは嫌っていない。

寧ろ、何かとこちらにも気を遣ってくれる祐一に好意を持っているくらいだった。

 

「だって、抱きついたら嫌そうな顔するし」

「あ、う、耳を噛まないでください……それはただ恥ずかしかっただけで、寧ろ、私も祐一さんのこと――」

 

 

「私も祐一さんのこと……なにかしらね? シャッハ」

 

 

周囲に漂う甘々ムードを一瞬で氷点下にまで落とす一言。

シャッハはその場にひきっと固まり、祐一はそれを好機とばかりに抱きつきを再会する。

その構図が更に発言の主を苛立たせ、シャッハに氷の如く冷たく鋭い視線をぶつけてくる。

 

「カリム、これはですね。えっと、ですね」

「このどじっこシスター、よりにもよって最悪のくじを引くなんて、滅殺かしら。

 本当ならその惚れ薬は私を惚れさせるためにあったっていうのに、ねぇ?」

 

殺気の主、カリムの言葉にシャッハは冷や汗が止まらない。

シャッハだからこそ冷や汗程度で収まっているが、一般人がこれを食らえば確実に失神ものである。

それにしてもこれは惚れ薬の力だったのか、じゃあこれは祐一さんの本当の気持ちじゃないのか残念、と思っても今のカリムの前では口には出せない。絶対に。

本当の気持ちじゃなくても実際に抱きつかれているのがシャッハで、指をくわえてそれをみているのがカリム。その事実だけで彼女には十分なのだ、これ以上火に油を注ぐつもりはない。

 

「ほ、ほら、祐一さん! カリムともお話してください!」

「んー? や、シャッハに抱きついている方が楽しいし」

「祐一さあああああああん?!」

 

救いを求めて祐一に会話を振るも、あっさりと拒否されて抱きつく力を強められる。

そしてそれを見た上司の頭に青筋が増える。

 

「さあて、どうしましょうか? シャッハ」

「ひぃっ?!」

 

優雅に席を立ち、怖いくらいに朗らかな笑顔に青筋を浮かべたカリムが近づいてくる。

慌てて離れようとするも、祐一に抱きつかれている状態では逃げられない。

 

「ゆ、祐一さん、後でいくらでも抱きつかせてあげますから、今は今だけはカリムとお話をしてもらえませんかお願いします!」

「む、わかった。それで手を打つ」

 

渋々といった感じで祐一の拘束が緩み、ようやく抜け出せたシャッハ。

ちょっと惜しいかなという考えが頭をよぎったが、首を振って黙殺する。

祐一にお茶でも飲んでいてくださいと頼み、シャッハ自身はカリムの下へと向かう。

 

「シャッハ、一体、どうなってこうなったのか、いいえ、そんなことどうでもいいわ。

 そんなことより、一つだけお願いを聞いてもらえないかしら?」

「は、はい! それはもうなんなりと!」

 

未だに機嫌も直らないカリムに、完全に恐縮してしまったシャッハ。

威圧だけで人を殺せたら、シャッハという強者でも2、3度は死んでいるだろう。

絶対的な主従関係がそこにはあった。

カリムはシャッハの返事にきらりと瞳を輝かせると、唐突に――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャッハ様! お願いします! 私も混ぜてください!」

 

 

 

 

 

 

地面に手をついて土下座の姿勢になった。

 

「……へ?」

 

主からの一番聞きなれない敬称に完全に放心状態になってしまったシャッハ。

え、なんで、私の主人は、カリムは、私の膝元で、土下座なんてしているんですか?

だからシャッハはその光景を見て――

 

「き、騎士のプライドとかないんですか! あなたはあああああああああ!!」

 

――初めて、カリムに、強烈なツッコミを入れていた。

 

「覚えておきなさい! プライドで人は愛せないわ!」

「いやいや、言っていることはカッコいいですが、やっていることはとてもカッコ悪いと思いますよ?! あなた、惚れ薬使っていますから!」

 

シャッハのツッコミにもしれっと答えるカリム。

もう祐一に抱きついてもらえるなら、何でも捨てる覚悟らしい。

 

「いいから、はいか、イエスと言いなさい!」

「カリム、どっちも同じ意味ですよ?! それ、どっちも同じ意味ですよ?!」

「それなら騎士命令です! 全力で祐一さんを私に抱きつかせなさい!」

「……わ、わかりました。わかりましたから、もう土下座はやめてください!

 ほら、紅茶でも飲んで気分を落ち着かせてください」

「そうね。そうさせてもらおうかしら」

 

騎士命令以前に恥も外聞もかなぐり捨てた上司を見たくないというのもあり、仕方なく首肯するシャッハを見て、余程嬉しかったのか、カリムはプラトーンの如く思いっきり両腕を高々と突き上げた。

高揚とした気分を落ち着かせようと、シャッハのアドバイスに従って紅茶を一口含みに机の方――先程シャッハが祐一を移動させた方を振り向く。

 

「……zzz」

「「……」」

 

振り向いたカリムの視線に入ったのは爆睡している祐一の姿。

ソファーにもたれ、顔を俯かせてゆっくりと肩を揺らしているその姿はちっとやそっとでは起きそうにないくらい深い眠り。

 

「……寝ているわね」

「……寝ていますね」

「なんでかしらね?」

「な、なんででしょうね?」

 

カリムの声がぐっすり眠っている祐一を見て、急激に冷めたものに変わる。

どうやら紅茶を含まずとも気分が落ち着いたようだ。もっとも、落ち着きすぎて若干凍結気味なのは言わずもがなだが。

それとは対照的に慌て始めたのはシャッハで、カリムの声に冷や汗をかいている。

 

「言い方が正しくなかったのかしら?

なんで『私のティーカップの紅茶』を飲んだ祐一さんが気持ちよさそうに寝てるのかしら?

 ……つまりあのドジも計算のうちだったわけね」

 

祐一の前に置かれているカップは客人のそれではなく、カリムが長年愛用してきたカップである。

祐一もひとまず一息入れようと紅茶を飲んだに違いない。

そして客人用のカップと間違えて、カリムのカップに口をつけたとするならば、現状と合致する事実は一つしかない。

カリムのカップの口を付けるところには睡眠薬が塗られており、誰かがカリムを眠らせようと考えていた。

そしてそのカップを運んできたのは紛れもなくシャッハである。

それだけで十分だった。

 

「……か、カリム、私たち、仲間ですよね?」

「他に言うことはあるかしら?」

「……悪気はないんです。寝ている内にカリムから祐一を奪ってあれこれ――なんてことこれっぽっちも考えていませんから!」

「シャッハ」

「は、はい!」

 

一縷の希望に縋り付いて、カリムの呼びかけに答える。

カリムだから、まさか部下に、そこまで酷いことはしないだろう。

シャッハはその可能性に賭けた……が。

 

「部下としてせめてもの情け。一瞬で意識を飛ばしてあげる」

「ひ、ひ……」

 

 

 

 

 

 

――ひぃやあああああああああああっ!!

 

 

 

 

 

 

その日、聖王教会で一人のシスターの断末魔があがったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

この後、寝ている祐一はカリムが美味しくいただきました(ぇ

あと自分の嫁(シャッハ)は絶対に策士。異論はまあそれなりに認める。

申し訳ない、かなり遅れてしまいましたorz

無茶振り祭り第4弾。今回は教会ネタで惚れ薬のお話でした。

オチはなのはさんに任せようかと考えていましたが、結果的にカリムが一人で制裁してます。シャッハさんを制裁とかすげぇ(笑)

とりあえず無茶振りは5弾までにしようと思っていますので、あと1作品期待しないで待っててください。

 

 

 

 

2008年6月26日作成