屋上の柵の向こうに見える夕日を見た。
沈んでいく太陽。それは、終わりの象徴。だけど、今から私は始まりを告げようとしてる。
……いきなり終わる可能性もあるかもしれないけど。
でも、終わらないための努力はした。出来る限りのことは。これで応えてくれなければ、私はそこまでの女だったということである。
「祐一さん……まだかな」
私が来るのが早すぎたのだが、それでも早く来て欲しいと思うのは私の身勝手だろうか。
しかし、そうは呟いてみたものの早く来て欲しいと思うのと同時にまだ来て欲しくないという感情も同時にあった。
覚悟を決めたと思ったのに。思った以上に私の心は弱かった。
もう一度だけ心を決める。
そのためにすぅ、と大きく深呼吸をする。自分の心を落ち着けるために。
それが終わったとき、ぎぃとドアが開く音がして、その向こうから祐一さんが顔を出した。
ドキン、と心臓が大きな音を上げて激しく鼓動する。
握った手が汗で冷たく感じる、よく感じれば手が震えているのが分かった。
「ごめん。もしかして遅かった」
「いえ、私が早かっただけですから」
祐一さんの声に私の心が歓喜する。
思えば声を聞くのも久しぶりのような気がする。あの事件が終わってから祐一さんは今までは受験だったし、私は海鳴町にいたから。
「それで、用って何かな?」
祐一さんは相変わらずドキッとさせる笑顔を浮かべてくれる。目は前髪に隠れていてわからないけど、それでもきっと優しい目をしてくれているんだと思う。
「祐一さん!」
これから先の言葉を誤魔化そうとする自分の心を叱咤して先の言葉を何度も繰り返す。祐一さんの写真の前で何度も練習したあの言葉を。
「大好きですっ! 私と付き合ってください!!」
高町なのはの一世一代の大告白、始ります。
魔法青年相沢A.S.If 〜なのは√外伝〜
「えっと……」
時刻は夕方。季節は春先。
俺が大学の合格発表で合格を掴み取ったその日、俺はなのはちゃんに北の街にある俺の校舎の屋上に呼び出された。
屋上についた頃にはすでに日も暮れかけ、沈もうとしている太陽がかろうじてその周辺を橙色に染めていた。
屋上に既にいたなのはちゃんは年不相応な表情で立っていた。真剣に何かを思いつめた表情で。俺はそれを軽くしか考えていなかった。きっと、家族で心配事があるのだと、それを受験が終わったことを機会に打ち明けてくれるのだと、俺はそれに出来るだけ答えてやろうとしていた、そう勝手に思い込んでいた。
だが、その期待はあっさりと打ち砕かれ、そして、予想外を遥かにすっとばした言葉が出てきたのだった。
「……祐一……さん?」
なのはちゃんの力ない呼びかけで俺はようやく気を取り戻した。
「あ、……ごめん」
それで俺もなのはちゃんも無言になってしまう。
何を言うべきか分からない。なのはちゃんは言っているのだから分からないのは俺か。
告白。こういうのは初めてだった。名雪たちからは、追いかけられてばかりでこういった風に告白をきちんと受けたことはない。ただ、あいつらが俺に好意をもってくれていることは知っているが。
しかし、最初に告白される相手がなのはちゃんとは思わなかった。
なのはちゃんは、受験で疲れた俺をメールで励ましてくれた。あの事件の後からずっと。それを俺は兄を慕う妹のような感情だと勝手に勘違いしていた。
いや、勘違いかどうかは分からない。なのはちゃんはまだ小学生だ。俺の考えている『好き』という感情と兄を慕う『好き』という感情と同等に扱っているのかもしれない。
「なのはちゃん。君はお兄さんが好きかい?」
混乱した頭をなんとかまわして俺は出来るだけ優しい声で言う。
その質問に何の意味があるか考えるような仕草をして、なのはちゃんは頷いた。どうやら、答えは分かっていないような感じだったが。
「それじゃ、お父さんは好き?」
肯定。
「お姉さんは好き?」
肯定。
「アリサちゃんとすずかちゃんは好き?」
肯定。
「それじゃ、俺は好き?」
肯定。
しかも、俺のときは首を三回も縦に振るぐらいだった。
「あの――」
なのはちゃんがこの質問の真意を尋ねようと口を開こうとしたのを俺は、自分の言葉で無理矢理にさえぎった。
「ねえ、なのはちゃん」
「はい」
「そのお父さん、お兄さん、お姉さん、お友達が好き感じと俺を好きって感じは比べてみてどうかな? 同じじゃないか?」
我ながらずるいと思う。俺がとった手段は『家族』に対する好きと『異性』に対する好きをごっちゃに差せて誤魔化そうといているだけだった。
なのはちゃんは、少しだけ頭の上にハテナマークを浮かべていたが、やがて目を瞑って胸に手を当てて考え始めた。
何分という時間が経っただろうか。あるいは何秒か? 分からない。今の俺には時間という感覚がなかった。俺の中にある感覚は心臓の音だけ。あとの感覚は全て麻痺している。そんな中でよくあんな事が考えられたものだ。
そして、なのはちゃんが目を開ける。
「祐一さん」
「ん?」
「……やっぱり全然違います。お父さんやお姉ちゃん、お兄ちゃんは好きだけど……祐一さんの好きは違うんです。祐一さんの事を考えただけで胸が苦しくて、でも、それは、嫌いとかじゃなくてもっと一緒に痛くて、いつでも隣にいて欲しいと思っていて……えへへ、何を言っているんでしょうね」
「―――なのはちゃん」
俺は真剣な目で俺を見てくるなのはちゃんをただ驚きの表情で見るしかなかった。
どうやらなのはちゃんは真剣に俺の事を好きといってくれているらしい。小学三年生のなのはちゃんが。
俺は改めてなのはちゃんを見た。
ツインテールにした髪形、整った顔立ち。おそらく高校生ともなれば美少女になるだろう。おまけに性格もあの事件でよく分かってる。彼女は強い心の持ち主だ。だからこそ、レイジングハートも彼女を真の主と認めたのだろうから。
今、彼女は小学生だ。そして、俺は高校生。
いや、今はそれが問題じゃない。問題は―――
いろいろなことがグルグル頭の中を廻る。何が問題で何がどうなっているのか分からない。混乱している。受験の合格をもぎ取って安心しきっていた脳はまだフル稼働までの時間を必要としている。初めての告白という体験に熱暴走を起こしかけている。
ここで自分の心が見極められるか。答えは否。ここで出した答えは違うかもしれない。それは、真剣に告白しているなのはちゃんに失礼なのではないだろうか。
「……なのはちゃん」
「は、はい!」
緊張したような上ずった声を上げる。身体がピンと伸びる。
俺は思わずそれを見て笑ってしまった。
それを見てなのはちゃんは少し怒ったような表情をするが、俺としては少しだけ緊張が解けたので、なのはちゃんの行動には感謝である。
「なのはちゃん。ごめん。今の俺には答えが出せそうになんだ。明日、この時間に答えを持ってくる。それでいいかな?」
「――はい、分かりました」
なのはちゃんは納得したような納得していないような曖昧な笑みを浮かべてそう頷いてくれた。
こうして俺には一晩の猶予が与えられた。
水瀬家に帰ってから俺はずっとなのはちゃんのことを考えていた。
食事中もお風呂に入っているときも。お陰で、名雪の話を聞き流し、あゆにちょっかいを出すこともなく、真琴の悪戯に付き合うこともなかった。
「はぁ〜」
俺はお子様三人組が眠った夜のリビングでコーヒーを飲みながらため息をついた。
考えれば考えるほど分からない。なのはちゃんの告白をどうするかについて。
俺は高校生で、なのはちゃんは小学生。なのはちゃんの想いが子供じみた憧れから来る好きではないということは今日のことでよく確認できた。なら、どうするか? まったく分からない。俺はどうするべきなのだろうか。普通に考えれば、俺がなのはちゃんの告白を受けることはおかしいだろう。相手は小学生なのだから。だけど――
「どうしたんですか。祐一さん」
「秋子さん……」
そこへマグカップを持ってやってきたのは秋子さん。湯気の具合からおそらく同じコーヒーを入れてきたのだろう。そのまま、秋子さんは俺の隣に座った。
「悩み事なら相談に乗りますよ」
秋子さんはいつもの微笑を浮かべて言う。
俺は一瞬悩んだ。このまま相談していいものかと。
この問題は俺となのはちゃんの問題だ。だが、このまま俺が悩んだところで答えが出るか。一晩、徹夜で考えたとしても答えが出るとは到底思えなかった。俺の処理能力はいまや限界を超えているからだ。これ以上の問題は処理できない。
でも、秋子さんなら何かアドバイスをくれるかも知れない。秋子さんは大人の女性だ。こういう問題を相談するのは少し恥ずかしいが、俺は約束したのだ。明日までに答えを持ってくるのだと。小さな身体で震えながら小さな勇気を振り絞って告白してくれたなのはちゃんに応えるには、きちんとした俺の答えを持っていくしかない。
「実は――」
俺は秋子さんに今日の事を話した。
屋上でなのはちゃんから告白されたこと―――
その想いが真剣そのものだったこと―――
俺が答えを出せなかったこと―――
今まで俺が考えてきたこと―――
全部を話した。秋子さんはその間、口を挟まずただコーヒーを飲みながら聴いてくれた。
全部を話し終えたとき、既に三十分という時間が経過していた。
「……これで全部です」
「……そうですか」
すっ、と秋子さんはコーヒーを一口、飲んだ。そして、カップを置くと俺をまっすぐ見据える。
その眼光は、大人の目。俺のような子供が出来るような目じゃない。刀で斬られるような鋭い視線だった。
「祐一さん。あなたは一体なにを考えているんですか?」
「なにをって……」
なのはちゃんの告白をどうするかに決まってる。それ以外になにを考えるというのだろうか。
「祐一さんが先ほどから考えているのはなのはちゃんの気持ちと状況だけです。祐一さんは考えていることが違うんです。主体は、なのはちゃんの気持ちが、状況が、ではありません。ただ一つでしょう?」
俺はゴクリと緊張してつばを飲む。
「祐一さん。あなたがなのはちゃんをどう想っているか、ただそれだけです」
秋子さんは当然の事を当然のように告げるようにきっぱりと言い切った。
「俺が、なのはちゃんをどう想っているか」
俺は秋子さんに言われた事を確かめるように繰り返す。
確かに、そういわれればそうである。
なのはちゃんの想いに対する答えというのは俺の想いを返すということである。考えなくても分かることである。俺は一体何を考えていたというのだろうか。
ああ、俺はきっと見失っていたんだ。このはじめての状況という異様さに。
突然の状況は俺に冷静さというものを失わせ、まともな思考回路の形成をぶち壊しにしてくれる。
さらに、相手がなのはちゃんということも起因しているだろう。
なのはちゃん。あの事件で仲良くなった妹のような女の子。今日の今日までまさかそんな想いを俺に抱いてくれていたなんて考えもしなかったあの子。だからこそ、俺は自分を見失っていたんだ。
「秋子さん、ありがとうございます」
「いえいえ、私が助言できるのはここまでですから」
そういって秋子さんはマグカップを持って席を立った。
「後は、祐一さん次第です」
去り際にポツリと呟くように言う。俺はそれに力強く頷いた。
そう、後は俺、次第なのだ。秋子さんも誰も入って来れない領域。それがまさしくこの状況。俺の想いだけが、すべてを決める。
「祐一さん。後悔のないように」
そうか。俺は決断しなくちゃいけない。俺が悔いが残らないように。少なくても、明日、この時間に笑えるように。
「ふぅ、祐一さんも若いですね」
秋子はバタンと、自分の部屋の扉を閉めて呟いた。
先ほどまで相談にのっていた祐一の悩みはなんとも若いと思う。自分が祐一と同じ年のときはあんなふうに悩んだものだろうか、とも考えた。
考えたが、答えは浮かんでこなかった。
「祐一さんも悩んでいる、と言ってる割には答えが出ているようですしね」
秋子は祐一の相談を受けているうちに一つの事実に気づいた。それは、祐一がこの問題に対して答えを出しているということだった。
祐一は、贔屓目で見なくても聡い。それだけは確かだろう。でなければ、あの冬の季節にあれだけの奇跡を起こせたとは到底思えない。
だから、祐一が問題の本質に気づいていないとは思えなかった。
秋子が立てた仮説は一つだ。それは『気づいていない』のではなく、『気づいていないつもり』という事実だ。
なぜそうなったかは分からない。おそらく自分の中の倫理観やらなにやらが働いたのだろう。なのはは小学生なのだから。高校生の自分が受けるのはおかしいと。
だが、そんなものは馬鹿げたものだと秋子は思う。今は、何かしら問題があるかもしれないが――
「数年後、笑っているのは祐一さんなんでしょうね」
くすくす、と秋子は一人、小さく笑った。
夕日が屋上を照らす。昨日、なのはちゃんがその小さな胸に秘めた思いを俺に告白した場所を。まるで何もなかったように、昨日と同じように照らしていた。
屋上に吹く少し強くてまだ春の足音が聞こえ始めたばかりの風を身に受けながら、告白された俺はその答えを胸にはのはちゃんを待っていた。
既に答えは出ていた。昨晩、秋子さんに相談した後、すぐにその答えは出た。どうしてあの場で答えられなかったのだろうか、と不思議に思うほどあっさりと出てしまった。
不意にぎぃと扉が開く音がした。それは、俺以外の来訪者が来た事を示す音に他ならない。そして、この時間、放課後という時間にこの屋上に来るのは、昨日約束した彼女に他ならない。
「やあ、なのはちゃん。今日は俺の方が早かったね」
振り返りながら俺は、出来るだけさっぱりした笑顔を浮かべようと努力した。
なのはちゃんの様子は一見、昨日と変わっていないように思える。だが、よく見れば目が少し赤い。おそらく、答えが気になって眠れなかったのだろう。
俺があの時答えをすぐに出さなかったばかりに。
少しだけ俺はあのときの事を後悔した。だが、これでもよかったのではないか、とも思っている。相でなければあそこまで真剣に考えることはなかっただろう。
「あの―――祐一さん」
なのはちゃんがおずおずといった様子で話しかけてきた。
まあ、告白するだけでもかなり勇気がいる行動だっただろうに、その答えまで聞くのだ。臆病にもなる。
しかし、相沢祐一。お前はバカか? なのはちゃんに告白させておいて、その答えまで自分で切り出さずになのはちゃんに促させる気か? どこまでヘタレなんだ。ふざけるな。なのはちゃんは告白でその勇気を示した。なら、今度は俺の番だろう――
「なのはちゃん。それ以上は言わなくていいよ」
ビクン、となのはちゃんは肩を揺らした。
それに気づかない振りをして俺は言葉を続ける。
「なのはちゃん。昨日の告白の答えだ」
最初は、ただの妹のような感覚だった。俺は一人っ子だったから。妹がいたらこんな感じなのかなと思って接していた。
あの事件のときも頼りになる相棒という感覚が強かったと思う。
「俺は――」
強かったというよりもそうだと自分に言い聞かせていたのかもしれない。そうでなければならないと言い聞かせていたんだろう。自分に。世間体、倫理観。考えれば原因はいくらでもある。でも、一番の原因は俺の弱さだ。俺が自分の想いを認めたくなくて、目を逸らして。情けない。
だから、せめてこの想いだけは伝えよう。まっすぐに。
俺が――なのはちゃんを好きだという想いを。
「俺もなのはちゃんのことが大好きだよ。仲間としてでも、可愛い妹としてでも無くて、一人の女性としてな」
考えてみれば簡単なことだった。
俺は、名雪が好きだ。あゆが好きだ。秋子さんが好きだ。真琴が好きだ。天野が好きだ。舞が好きだ。佐祐理さんが好きだ。フィアが好きだ。みんなが好きだ。それだけは間違いない。
でも、それは仲間として、友達としてであって決して女性としてではない。
だが、なのはちゃんだけは違った。みんなとは異なる好きなのだ。異性として。一人の女性として。
ああ、なんでもっと早く気づけなかったんだろう。もっと早く気づけばこんなに情けない姿を見せなくてよかったのに。
俺の答えを聞いて、なのはちゃんは固まったままだった。俺の答えを処理するのに時間がかかっているのだろうか。
そんな事を考えていたら、不意になのはちゃんの双眸から夕日の光を反映した赤い雫が流れた。それは、真珠が坂道を転がるようになのはちゃんの頬を流れる。
「あ、え……なのはちゃん?」
それに動揺したのは俺だ。てっきり、なのはちゃんは笑顔を浮かべてくれると思っていたのに。どうして急に泣き始めたんだろう。
「あ、あれ……おかしいですね」
そういって、なのはちゃんは袖で涙を拭う。
「嬉しいんです。私、祐一さんに『大好き』って言ってもらえて。映画とかドラマでよく言うんですけど本当だったんですね。嬉しいときでも涙は出るって」
笑顔で泣くという器用な事をしながらなのはちゃんはそういってくれた。
そして、それが俺の限界だった。
「なのはちゃん」
愛おしさのあまり俺はゆっくりと近づいてなのはちゃんの肩を抱いて、自分の方に引き寄せた。軽いなのはちゃんはポスンという軽い音を立てて俺の胸よりもちょっと下に収まった。
「俺も嬉しいよ。喜んでもらえて」
好きな人から泣いて喜ばれるなんてこれほど誇りになるものはない。
俺は、なのはちゃんを今まで以上に強く抱きしめた。なのはちゃんも特に抵抗することなく、腰に手を回してぎゅっと抱きついてくれた。
手は自然となのはちゃんの頭を撫でていた。
風が少し肌寒いような気がしたが、それはしょせん気のせい。だって、俺となのはちゃんの間はとても暖かいから。なのはちゃんが暖かいのか、俺が暖かいのか分からないけど……
「祐一さん」
「ん?」
何分そうしていただろう。不意になのはちゃんが俺の名前を呼んで顔を上げた。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
俺はなのはちゃんのお礼を言うときの笑顔を見て思う。
俺は本当になのはちゃんのことが好きなんだと。出来ることなら、この先、ずっとこの笑顔を守りたい。一緒にいたいと。心の底からそう思った。
FIN
どうも! てる です!
なんというか、外伝を読んでいたらふいにこういうネタが浮かんだので書いてみました。
まさか、その場で答えが出せるほど祐一だって悩まないはずがない! という思いからでした。
う〜ん。ちょっとした補完なんでしょうか?
これからも魔法青年がんばってください!
それでは! BY てる