「着いた」

「ああ、着いた」

「「ビバ、京都ぉ〜!」」

 

 懐かしい木々の香り。

 現代のビルと昔の家々や寺が交える京都。

 この微妙に近代文化が混ざっているのが、また……なんとも言えん。

 

「騒がしいわね」

「なんだ、美坂……冷めてるな。もっと熱くなれないのか」

「あなた達が熱くなり過ぎなのよ」

 

 卒業旅行。

 生徒達の為を思ってか、この秋……山が鮮やかな茜色に染まり絶景を映し出している秋に、この卒業旅行は決行された。

 あぁ、懐かしの京都。さまざまな姿を持つ京都。再び来ることができるとは……おし、準備はOK。

 

「遊びつくすぜ。名所の保存は十分か京都。相沢祐一、いざ参る」

「置いていくなよ、相棒」

「ちょっと! 保護者ならこの寝ているのを連れて行きなさい!」

 

 悪いな香里。俺に寝雪なんて従兄妹はいない。

 そんなものよりも、俺は今すぐに京都を堪能しなくてはならないのだ。

 

「おしゃ! まずは清水の舞台から飛び降りるぞ!」

「いや、それは死ぬから」

「甘い、甘いぞ北川。清水の舞台から飛び降りても生存率は85.4%と、意外と高いんだぞ」

 

 ちっ、ここだけ戻るとはノリの悪い奴め。

 子供の時にここから飛び降りたこともあるし、この数字から今更なにを戸惑う必要がある。

 

「へぇ、やけに詳しいわね。相沢くんって、そんなに京都が好きだったの?」

「甘い、甘すぎるよ美坂くん。寝雪を置いてきた美坂くん。北川と同じで甘すぎる。俺は京都生まれで、京都育ちだぞ」

 

 もっとも、親父の転勤に付き合わされ、住んでいたのはわずか六年。

 あとは、時たまの帰郷だけだ。幼馴染はいないが、実家もあるし、子供の時の土地勘もある。

 

「それじゃ、京都弁が喋れるのかしら?」

 

 ぐふっ、クリーンヒット?!

 

「……親は、普通に喋っていたから…」

「おい、しっかりしろ相棒!!」

「喋れないのが、結構ショックだったのね」

 

 いいんだ、いいんだ。別に喋れなくても……なんだ、なんか悪いかよ。

 親父も母さんも標準語で喋っていたから、子供の時からそれを聞いていて喋れないんだよ。

 一番子供が影響を受けるのは両親なんだよ。その両親が喋ってないんだから仕方ないだろ。

 

「しかたないわね。それじゃ、京都好きの相沢君……案内を頼めるかしら?」

「勿論ですとも! それじゃまずは地主神社へ、香里が婚期を逃さないようにお参りを――?!」

「一言多い」

 

 後頭部への強烈な一撃。

 へい、姉御。不意打ちは卑怯ですぜ。

 いくら通路から外れている場所だからって、倒れるほどのツッコミはあんまりです。

 

――くすっ、面白いのがいるわ……魔力も高いし、美味しい……――

 

 ん? 今誰か…

 

「どうした?」

「いや、今誰かに笑われた気が…」

「おいおい、美坂がそんなへまする訳無いだろ。周りに人がいないのを確認してやってるぞ」

 

 立ち上がり、すぐに周りを見渡すが……順路を進む人が少し先に沢山いるだけで、側には人はいない。

 こっちを見ている人は確かに少しはいるけど……声が聞こえるほどに近い人はいない。

 あれだけはっきりと聞こえたのに、すぐ隣にいる北川が聞こえず俺だけに聞こえた。

 それに……魔力、そう言った。美味しいとも……こりゃ、仕事をする必要があるか。

 

「相沢?」

「いや、気のせいだ。ほれ、行くぞ」

 

 と、遅かったか。

 眠れる駄王が目覚めてしまったのか、すぐ側まで追ってきていた。

 

「祐一〜、置いていくなんて酷いよ〜。立ったまま寝るなんて凄いって、外国の人に写真取られたんだよ!」

「「自業自得」」

「う〜」

 

 

京都へ行こう!

 

 

 キョロキョロと、窓の外へと体を出し様子を窺う。

 下に人もいないし、ちょうど乗り出している窓の下の階はすべて明かりがついていないし、カーテンも閉まっている。

 

「ん? 何してんだ」

「ちょっと脱走」

 

 卒業旅行の一日目の夜。

 夕食も食べ終わり、あとは寝るだけとなった時間。

 俺は旅館からの脱走を試みていた。

 

「そうか。バレても庇わないぞ」

 

 少し酷いな、生徒A。

 同じクラスメイトじゃないか、努力するぐらいは言って欲しいぜ。

 

「うんじゃ、行ってくる」

 

 仕方がなしに、返答に感謝の笑みを浮かべて夜の京都へと飛び出す。

 降りる途中、振り向き飛び出した部屋を見ると、親指を立てている生徒A……斉藤。

 そして、布団を膨らませて、いかにも中に人が寝ていますと偽装している同じ部屋の友らだった。

 

「はっはは、Thank My Classmate。ほんま、ありがとな」

 

 昼とはまた違う風貌を映し出す京都の夜。

 そう、魑魅魍魎がはびこり、霊が街を漂う京の夜。

 魔を祓いし者達が動き出すこの夜へと、俺は飛び出した。

 

 ――旅館から聞こえてくる、漢としての定番となった、女湯の覗きを試みていた北川の声を聞きながら――

 

「京都の夜は冷えるからな……それはさて置き、まずは清水の舞台か。まだいるとは思えないけど」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 俺は、ある所では名の知れた家に生まれた。

 陰陽師――妖魔や悪霊と戦うことを仕事とした者達。俺はそんな家に生まれた。

 実家はこの京都に在り、子供の頃から陰陽師として育てられた。

 この仕事は一般の人には知られてはいけない為、表向きはどこにでもいる普通の高校生として今は生活している。

 だけど一度妖魔や悪霊を感じれば、誰にもばれることなく仕事を遂行しなければならない。

 だから、再びこの場所へとやってきた。それが俺の役割であるから。

 まぁ、俺自身そこまで強いわけではない。まだまだ修行中の身で、実体のない悪霊がやっと。

 悪霊より強い妖魔なんて、相手にできない。今から行くのも、戦いに行くわけじゃない。ただ、調べに行くだけだ。

 

 

 昼の時に来た時に聞いた明らかに人ではない者の声を探し、再びやってきた清水の舞台。

 すでに立ち入り禁止となり、中には人一人いない観光名所へと入っていく。

 夜ともなればライトアップされて綺麗に見えるこの場所も、今は光も点いておらず観光客もいなくなり寂しい風景を――

 

「って、なっ! 明かりが点いたまま?! とっくに閉館時間は過ぎてるのに…」

 

 誰一人いないにもかかわらず、舞台はライトアップされたまま今も……光に照らされていた。

 

「寺には全て結界が張ってあるんだぞ。それに巡回している術師もいる筈」

 

 ここに入る前、一応結界を調べて中に入った者を確認したが、入った者もいないし結界もちゃんと張ってあった。

 そこら辺の低級霊はもちろん、この寺の結界なら上級と呼ばれる奴らでも結界を無視して入ることはできない。

 

「とりあえず、結界の中心を調べに――っ!」

 

 背中に感じた寒気に、倒れこむように前へと跳びこむ。

 跳びこむと同時に、今まで立っていた場所から風の斬る音が聞こえた。

 

「ほう、我が剣をかわすとは」

「意思を持っている……それに妖魔や悪霊じゃない」

 

 黒と赤が混ざり合った厚めの剣を持つ、黒の服を着た騎士と呼ぶに相応しい男。

 ぶつけられるかのように感じられる、圧倒的な力。

 持っている強大な力を放つ剣からは死が感じられ、見ているだけでも命が吸われていく気がする。

 それに、少しでも動けば即座に首を斬られる……いや、すでに斬られている自分が見える。

 力と力の差が大きすぎる……大物すぎるだろ。なんでこんな奴がここにいるんだよ。

 

「それにしても、まだ残っていたなんて……あ、結構可愛い」

 

 再び背筋が凍った。

 それはもう、男としては命の危機。っていうよりも、死とは別の意味で危険だった。

 動かなかった体が全ての力を振り絞り、体を横へと……体を舞台の欄干へと叩きつけるように跳ぶほどに。

 

「白の、騎士」

 

 振り向き見たのは白。新たに現れたのは、先ほどの男とは対照的に白の服を着た男。

 黒の男を戦士とするなら、こいつは魔術師とでも呼ぶのが合っている。

 だけど、白の男も腰に剣を持っている。黒の男の剣とは違い、かなりの細身の剣だが……あれも名のある剣だと思う。

 

「なにをしている、リィゾ、フィナ」

 

 声と共に、寺の奥から現れる死が具現化されたもの。見ているだけで、体全ての器官止まりそうになる。

 ゆっくりと、その全貌が見えてくる。大きな狼……知っている。俺はこいつを知っている。

 俺達、本当の裏の世界で知れ渡っている奴、こいつの名は――

 

「プライミッツ・マーダー。ガイアの怪物」

 

 そして、リィゾにフィナ。

 

「黒騎士シュトラウト。リィゾ=バールシュトラウト。白騎士ストラトバリスの悪魔。フィナ=ヴラドスヴェルテン」

 

 ニアダークと呼ばれる剣を使う時の呪いを受けた不老不死に、固有結界パレードを使うホモショタな奴。

 この三人がいるってことはもちろん――!

 

「くすっ、外国をワインに例えるなら、あなたは日本酒ね。予想以上に美味しい」

 

 欄干にでも座っているのか、後ろから触られた首筋が小さく痛み、今は冷たくしか感じられない声と共に、細い指に撫でられる。

 首を生暖かいものが伝っていくのが感じられるから、爪で刺され血を取られたか…

 

「こんな所になんの御用でしょうか、吸血鬼のお姫様――アルトルージュ=ブリュンスタッド!」

 

 上級妖魔どころではない。噂に名高い吸血鬼の一行。

 吸血鬼の中でも手を出してはならない奴らに挙げられる、死徒二十七祖に入っている者だけの組み合わせ。

 

「あら、意外と余裕があるのね。私達を相手に気が持つなんて、驚いた」

 

 ふざけるな、と叫びたい。

 だけど、さっきから体はピクリとも動かず、振り向くことができない。

 ふふっと笑う声が聞こえることから、楽しげに余裕のある笑みを浮かべているのだろう。

 今の状況は最悪の一言。この四人に囲まれ、肺と心臓と脳が動いているだけマシと言える。

 

「マーダー。少し解いてあげなさい」

 

 アルトルージュの言葉に、ガイアの怪物からの死が解かれた。

 力が抜け、倒れようとする体を地面に手を付く事で留め、すぐさま息を吸う。

 同時、両騎士からの死も解かれ、ようやく生きている感覚が戻ってきた。

 両騎士はともかく、ガイアの怪物と呼ばれ人類に対する絶対的な殺害権利を持つプライミッツ・マーダーに睨まれているのは、命が保ちそうに無い。

 

「それで、可哀相な羊はどうしてここにいるのかしら」

「昼間、ここであんたの声を聞いたからな。不吉な言葉を言ってたから妖魔だと思ってね」

「それで退治しようと着たのね」

 

 こんな大物が相手だなんて、全くではないが……考えていなかった。

 本当に、なんでこんな場所にいるんだよ。

 

「勇敢だこと。でも残念……あなたの命はここで尽きた。これほどの血を前に、見逃すことなんて出来ないわ」

 

 それはそうだよな。ここで逃がしてくれるほど、お人よしじゃ……ないよな。

 覚悟決めるか……ただ、死ぬ覚悟じゃない。

 

「抗う覚悟だ」

 

 そう言った瞬間、両騎士の剣に手が置かれ、マーダーが伏せていた体を起き上げた。

 

「抵抗してくれるのかしら」

「もちろん。ただで死ぬなんてゴメンなもので」

 

 考えろ。そして、イメージしろ――今出来る事を。

 

「こっちにはとっておきの切り札があるもんで」

 

 呼び出せ。切り札を……むしろ、出来なければなにもできない。

 それに、呼び出せれば応援もくる……筈。

 と、とにかく!

 

「来たれ――夜切り!」

「「「「っ! …………………?」」」」

 

 空へと手を上げ、相棒の刀の名を呼ぶ。

 そんな俺に警戒して、気を張り詰めるが……なにも起きない。

 

「あなた、何がしたいの?」

「…………まぁ、そうですね」

 

 未だに手を上げたままの状態の俺を、可哀相な者を見る眼で睨むアルトルージュ一行。

 張り詰めた気などとっくに消え、戦う気さえなくなっている。

 だけど、それも……計算の内。

 

「――時間稼ぎ」

 

 ニヤリと笑い、振り向きざまに体に当たっていて分かっていたアルトルージュの服……スカートを一気に捲り上げる。

 聞いた噂からドレスかとも思ったが、場所が場所の為に着ていたのがただの真っ白なワンピースだった。

 捲られた事は理解出来たのか、頬を紅く染めて呆然としているアルトルージュ。

 その姿が無茶苦茶可愛くて見入りそうになるのが、命を天秤に賭けて堪える。

 

「お、白か」

 

 スカートめくりをした者として。しっかりと確認してからアルトルージュの座っていた欄干を飛び越す。

 すぐに重力に引かれ、清水の舞台から飛び降りていく――途中、遅れて翔んでやってきた相棒の刀を足場に勢いを落とし着地。

 清水寺の横に広がる森へと走り出す――うぉ! ニアダーク?!

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ちっ! 外した!」

 

 気が戻った瞬間、リィゾの腰からニアダークを抜き本気で投げる。

 音速を超えて速度で投げたから、刺さった場所が陥没しているけど……関係ないわ。

 今は、あの餓鬼を捕まえるのが先決。

 

「マーダー、リィゾ、フィナ……あのクソガキを追いなさい。捕まえちゃ駄目よ、狩りは私がするのだから」

 

 ただじゃ済まさない。生きたまま捕まえて、思いつく限りの残虐非道な行為を楽しませてあげる。

 

「はーい。ねぇ、あの子逃げ切れるかな?」

「分からん。が、我はあいつが最後の最後まで逃げようと、抗うと思っている」

「ほう、リィゾ。あの小僧のことを、気にいったようだな」

「え? リィゾにもそんな趣味がぁっ?! 痛―!!」

 

 こいつ等は……いいから早く…

 

「追いかけなさい!!」

「はいはい。マーダー、におい追える?」

「においで追わんでも、あの刀を感じればよかろう。かなりの物だ、離れていてもハッキリと感じられる」

「あ、そっか」

「すまんが、我は剣を取ってから追いかける。掘り出すのに、少々時間がかかりそうだ」

「早くしないと、良い所が終わっちゃうかも知れないよ」

 

 ……先に、こいつ等を殺そうかしら。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 走る。走る。ひたすら走る。

 森の中を走り、山の中へと逃げていく。

 

「あははははははっはははははっ!! この森は子供の頃遊んだ庭だ。どこをどう行けば良いかなんて、頭に入っているわ!!」

 

 大型の妖魔や悪霊を退治する為に作られた結界、そこまで逃げ切ってみせる。

 低級では消滅。上級でも封印。昔、名高い鬼をも弱体化させた超強力な結界。

 

「いくら有名なアルトルージュ一行とはいえども、結界の中で吸血鬼の苦手な朝日を浴びれば、かなり弱まるだろ」

 

 街へと出ないように、木と木の間を縫うように走る。

 このままならスピードなら、間違いなく結界まで辿り着ける。

 しかし、後ろから感じられる俺を追っている気配は二つ……いや、今三つに増えた。一人足りない。

 念の為にとかなりの距離を取っていたのが仇になった。どの気配が誰なのかがまったく分からない。

 

「まぁ、結界まで追いついてこないならどうでもいいか」

 

 今のスピードを保ちつつ、結界まで走る。

 山の麓に入り、一応舗装された地面が現れる。

 後はこの道を辿って行けば、結界へと辿り着ける……おいおい。

 

「いらっしゃい、ボーヤ」

「数が足りないのは先回りか……圧倒的な力を持ってる割には、策を練るじゃないか」

「ずる賢いボウヤにはそれ相当の礼で扱わないといけませんから」

 

 結界の入り口の鳥居を背に佇む圧倒的な存在を見せ付けるアルトルージュ。

 結界への道は、術者である俺があの鳥居を通らなければ発動しない。

 こうなったら、隙をついて通り抜けるしかない。

 

「今度は、戦う気になったようね」

 

 ベルトに鞘を差し、夜切りを抜く。

 夜切りを抜いたことで、昔からやってきた自己暗示が始まる。

 自身を陰陽師としての自身へと移し変え、感じられる存在感を一気に振り払う。

 

「食らい尽くせ、夜切り」

「踊りなさい」

 

 最短で心臓へと突き出す、突き。

 それをアルトルージュは自らの爪で弾き、お返しにと反対の手で俺の首目掛けて引っ掻いてくる。

 いや、引っ掻くどころではない。

 

「空間ごと切り裂いていやがる!」

 

 爪の先の空間が揺らぎ、空気が裂ける音と共に地面が抉られた。

 驚いている暇もなく、次々と爪は襲い掛かってくる。

 

「ちっ、ちっ、ちぃっ!」

 

 腕に大きな負担が掛かるのにも構わずに、腕全体を鞭のようにしならせ夜切りを動かす。

 空間ごと切り裂く攻撃力に、自身の爪というもっとも扱いやすい武器。

 離れれば、空間ごと一気に薙ぎ払われ、近づいても同じ……打つ手が無い。

 どの間合いでも俺が不利なら同じなら、せめて相手も不利な間合いに……あっ、そうか。

 

「腕を振らせなければ良いのか」

 

 夜切りを盾に、一気に近づく。相手の腕よりもさらに近い、ゼロ距離へと。

 

「腕を押さえてしまえば、爪を気にする必要も無いからな」

 

 地面に夜切りを刺し、開いた腕でアルトルージュの手首を掴む。

 手首を掴んでしまえば、爪が振られることがない。

 空間を裂く脅威が無くなる訳だ。

 

「……確かにそうね。でも、その状態でどうやって攻撃するのかしら」

 

 ……考えてなかった。いや、考えられなかったってのが正しいか。

 必死で、止めると言うことだけしか考えられなかった。その後のことなんて…

 俺の夜切りは、特異な能力を持っているわけじゃない。

 ただ頑丈で、持ち主である俺が呼べば、どこにいようが物理的障害さえなければ翔んでくるぐらい。

 自由に跳んで回り、相手を切ることもないし。封印されている力がある訳でもない。

 

「それに、吸血鬼と力比べをするつもり?」

 

 アルトルージュが微笑み、押さえていた腕がゆっくりと動き出す。

 吸血鬼はもちろん、鬼の名がつく者達は全員が人並みはずれた力を持っている。

 アルトルージュも、その細い腕ながら繰り出される力は人と比べられるものではない。

 

「……あははは」

 

 勝つ方法どころか、次の行動さえ出来ん。

 

「あなた、本当に戦う気があるのかしら」

 

 少しだけ、場の空気が平凡なものへと変わる。

 変わっている間も、遊んでいるのかギリギリのところで押さえていられるぐらいに、アルトルージュの腕は力が籠められている。

 遊ぶのに飽きた瞬間、確実に押し切られるな――――?

 

「うわぁ…」

 

 先ほどまで張り詰めていた空気が解けた為、周りにまでも意識が広がるようになった。

 自分の命を奪う敵として見ていたアルトルージュに対しても、その意識は広がり今の状況を把握できた。

 手を握り押さえている為、すぐ眼の間にアルトルージュの顔がある。

 月の光に照らされた長い黒髪に、美しいとしか言いようがない顔。そしてなにより、飲み込まれそうな紅い眼。

 その紅い眼を覗き込んだ一瞬で意識が奪われた。魅了の魔眼を持つ眼。

 今は使っていない筈なのに……ただただ、その眼に引き込まれていく。

 

「……? どうかしたかしら、ボーヤ」

「綺麗だ」

「え?」

 

 俺の言葉に緩んだ力。その隙にアルトルージュの腰に手を当て、一気に引き寄せ――

 

「ん?!――」

 

 唇を奪う。

 体が操られているのか、何の抵抗も無く俺の体は動いていた。

 

「ん?! ん〜! んっんん!!」

 

 ポスポスと、か弱い女の子が叩いていると錯覚するほどに、アルトルージュから可愛らしい抵抗がある……だけど、止まらない。

 あの瞳に引き込まれた時から、なにも考えることができない。

 本能が体を動かし、アルトルージュという名の欲求を充たしてくれる者に貪り付く。

 息の続く限り、体は動き続ける……ただ己の欲を充たす為に。

 

「んんっ?!! ん〜〜っ! っ!!」

 

 抵抗が弱くなり、受け入れているかのように叩くのが止まった。

 

「――――ん、あっ…」

 

 無呼吸の限界に、唇が離れる。

 離れる瞬間、体は名残惜しいのか……アルトルージュの唇を舐めてから離れていく。

 その行為に、アルトルージュは声を上げるが、離れても俺の体は動かず、今も紅い瞳に奪われている。

 紅い眼の持ち主であるアルトルージュは、その瞳に涙を溜めてこっちを見ているだけ。

 力が抜け、体ごと俺に預ける形で倒れこみ抱き合っているままで、一向に動く気配を見せない。

 

「…………ぁ――帰る」

 

 ポンッっと体を押し離れていくアルトルージュ。

 俺の手とアルトルージュの手が、離れたくないと言わんばかりに絡み合う。

 名残惜しいと、体は言葉を拒否する。

 だけど、アルトルージュは……闇へと、森の闇へと消えてしまった。

 

「……俺も、戻ろう」

 

 すぐに帰ることも出来た。

 でも俺は、ゆっくりと夜の京都を歩いて周り、子供の時の知り合いに顔を出して旅館へと戻った。

 今すぐに帰ると、友のあいつ等にからかわれてしまうから。

 たった一言でもアルトルージュとのことを思い出す言葉を言われたら、赤面してしまいそうだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「――さて、お前ら……反省の言葉はあるか? とくに、覗きと脱走の先導者」

「我が一生に、悔いはない!!」

「右に同じく、子供の時に帰れて満足だ!」

「おし、他も同じだな。お前ら帰ったら今回の感想文書いて提出しろ。行ってよし」

『イエス・ユア・ハイネス!!』

 

 朝、俺を含む男子の全員と一部の女子が旅館の廊下に正座していた。

 どうやら男子の半数が北川の鼓舞に舞い上がって覗きに行っていたらしい。

 残りは俺と同じく脱走、または女子とデートに出かけたそうだ。

 本来ならいろいろと問題があるが……そこは卒業前でいろいろとあるからと、壮大な心で許してくれた。

 

「まぁ、感想文……本でも書くか」

「やめなさい。読むほうが大変よ」

「残念。この京都の美味しい店なども書いて、俺直筆の京都マップを作ってやろうと思ったのに」

「あ、それ見て見たいかも」

 

 行ってよし許可が出た瞬間、颯爽と消えていく生徒達。

 最終日の今日、自由時間を満喫しようと我先にと旅館から消えて行った。

 まぁ、すでに自由時間に入っていて、本来なら出発している時間だしな。

 

「ほら、私達も行くわよ」

「そうだよ、誰かさん達のせいで時間が減ってるだよ」

「そうそう、とっとと行こうぜ」

「半分はお前のせいでもあるんだか」

 

 すでに準備の整っている香里と、また半分瞼の下がっている寝雪。

 俺と一緒に正座していた筈なのに、すでに準備が終わっている北川が俺の荷物を持ってやってくる。

 北川の頭の中は、もう忘れているのだろう……後ろで睨んでいるいろいろな指導担当教師のこと。

 

「おーい相沢君」

「あ、はい?」

「ご実家からの使いの人が着てるぞ」

「使い?」

 

 玄関からやってきた北川の後ろで睨んでいたのとは違う教師が戻るのに続き、外へと出る。

 そこには行った筈の生徒達が群がっており、人垣が出来ていた。

 その人垣を掻き分けていく北川の後を歩き、突如固まった北川を抜けた所には…

 

「あ、お迎えにあがりました。祐一様」

 

 紅い着物を着た……100人中100人が認める美女が立っていた。

 いや、100人中120人以上だな。聞いていない周りの人達も賛同してくれる、絶対に。

 

「……? どうかなさいましたか祐一様」

「へ、あ……いや。えーと…」

 

 見惚れていた。

 長い黒髪に黒い瞳、整った顔立ち。やまとなでしこが現実に眼の前にいた。

 周りの奴らも、それに見惚れているから集っていたようだ。

 それにしても、なんだ……どこかで会ったような気がする。でも、子供の時の記憶にこんな美女はいない。

 

「相沢!! このお方は誰様だ!!」

 

 あっちの世界から戻ってきた北川に詰め寄られる。

 と言われても、そんなこと俺自身知りたい。ってか北川、言葉が変になってるぞ。

 

「あ、申し遅れました。祐一様付きの侍女、そして許婚の紅<くれない>と申します」

『許婚!?』

 

 ……はい?

 

「相沢……殴っていいか、拳が赤くなるまで」

「むしろ一発くれ。現実か確かめたい」

「……なんだ、知らないのか」

 

 握った拳を開く北川。俺も知らないことを理解してくれたか。

 家が家だから許婚ぐらいいても可笑しくないとは思っていたが……この人が許婚。

 

「感無量」

「やっぱ殴る!」

「祐一様に手を出すなら容赦はいたしません」

 

 俺を庇い、北川との間に立つ紅。

 侍女としてなのか、許婚としてなのか……どっちにしても最高っ!

 

「まぁ、それじゃ行こうか」

「はい……では、失礼致します」

「って、ちょっと待つんだよ! 許婚ってどういうこと?! 恋人の私がいながら置いていくって!」

「恋人じゃない。並びに、付き合ってと言われたらどっちを選ぶか一目瞭然。以上。」

「だお?!」

 

 紅の腰を引き寄せ、抱きとめる。

 ん? ……なんか、前にもした覚えがある。子供の時じゃなくて、つい最近に。

 

「くすっ。モテルのね、ボーヤ」

 

 耳元で囁かれたその言葉に、一瞬で記憶が噛みあった。

 昨日俺をボウヤと呼んだ……黒髪に紅い瞳の美女アルトルージュのことを。

 確かに記憶が噛みあうと、瞳が紅くないだけで姿はそっくり。

 暗示をかけられているのか、記憶が噛み合うまで人としてしか認識出来なかった。

 

「お前?!」

「参りましょう」

 

 人垣が分かれ、そこに人力車が走ってくる。

 引いているのは、あの黒騎士のリィゾ。

 駄目だ……展開についていけない。

 

「では、改めて失礼致します」

 

 俺とアルトルージュを乗せた人力車は、本来ではありえないスピードで立ち去っていった。

 予め暗示をかけていたのか、周りは不思議に思っておらず、ただの名物としてしか見られていない。

 後ろから叫んでいるのがいるけど、その声もあまりの速さで風に消えていった。

 

「おい、いったいこれはなんだ? てか、紅って」

「理由は言葉の通りよ。本当に、ボーヤの家の当主様に頼まれて迎えに来たのよ」

「我らのように力を持つ者がこの京に入るには、無駄な争いを避ける為に協力者を必要とする」

「そこが、ボーヤのご実家だったのよ……相沢祐一。紅は適当に付けた名。紅……血の色よ」

 

 驚いている俺を見てか、くすっと笑うアルトルージュ。

 いつの間にか黒だった瞳も紅に戻っており、狭い人力車の中……隣に座ったアルトルージュの瞳がすぐ側に見える。

 

「――ボーヤ、ここでするのは止めて」

「……綺麗だ」

「は、放しなさい! ここじゃいや、せめて人の見てないところで!」

 

 気づかない内に、アルトルージュの腕を掴み拘束していた。

 紅い瞳から眼を放す事が出来ず、ゆっくりと顔と顔が近づいていく。

 まただ。また、体が動かず……本能に支配されている。

 吸血鬼のアルトルージュなら力任せに抜け出せる筈なのに、掴んでいる手からは……抵抗どころか力さえ篭っていない。

 嫌がっているのか嫌がっていないのか、分からないな。

 

「……到着しました」

「はっ! そ、そう。ほら、行きますわよ」

 

 リィゾの声に、接触寸前だった唇が止まり、真っ赤な顔で離れていくアルトルージュ。

 離れたことで、俺の体も自由を取り戻す。

 

「……おう」

 

 アルトルージュを横に門を抜けると、玄関まで並んだ巫女姿の人達のお出迎え。

 一応、次期当主の子供という事で特別待遇だ。俺が当主に気にいられているってのも、あると思う。

 

「また、後で会いましょ」

 

 玄関でアルトルージュと別れ、俺は当主のいる部屋へと向かう。

 部屋の中には話が広がっていたのか当主だけではなく他の人達もいたが、今までの事とこれからの事を話しあった。

 久しぶりに会った人達との話は、いつの間にか集合時間を過ぎているのに気づかないぐらいに楽しめた。遅刻だ。

 時間が近づいてきているのに気がついた召使の人達が学校側へと知らせていた為なんとかなったが、既に皆は帰っている。

 その為、当主達の言葉もありしばらくの間滞在することが決まった。

 

 その時には、俺は忘れていた。

 俺を迎えに来たアルトルージュがなんて言ったのかを。

 そう、あの時アルトルージュは……許婚と言ったのを。

 気づくべきだったんだよ。当主達揃って、温かい眼で見ているのに…

 

 

 

「――ふぅ。露天風呂って……やっぱり良いな〜」

 

 夕食後、風呂にも入って部屋へと戻ってきた。

 子供の頃に使っていた同じ部屋は、懐かしく……少し狭く感じることから、どこか成長を感じさせる部屋だった。

 

「さーて、あとは布団でぐっすりと――」

「きゃっ!」

「――寝れねぇのか」

 

 既に敷いてあった布団に倒れこむ……と、聞こえる悲鳴。

 心の中で泣きながら、膨らんでいる布団を捲る。

 やっぱり中にいたのは……浴衣を寝間着にして着ているアルトルージュさんでした。

 

「え、えと?」

「あら。つ、妻が一緒に寝るのは変かしら」

 

 あなたが妻だと言う時点で変です。

 言いたくても言えない言葉を胸に、俺は強制的にフリーズした。

 妻と言う言葉と、自分も恥ずかしいのか布団から顔だけを出しているアルトルージュを見て。

 ……ごめん、一般男子として言わしてもらいたい。

 

「襲っていいですか」

「っ?!」

 

 見えていた部分全てが赤く染まり、布団の中へと潜っていく。

 心の中で言ったつもりだったが、あまりの強い思いに口に出していたようだ。

 ってか、本当にやばい……することなすこと全てが、アルトルージュを直撃している。

 カウンターは、具体的に俺への萌えポイントへ。

 

「で、話を戻します。なぜここに?」

「だって、私はボーヤの許婚よ。一緒に寝るぐらい…」

 

 布団から聞こえてくる声。

 顔を合わせるのは恥ずかしすぎて出来ないのか、頭だけが出ている状態のままだが……返答は返ってきた。

 

「なら、ボーヤっての止めないか。許婚で、妻なんだろ」

「……私も、アルトって呼んで欲しい」

「ぐふっ、これは…」

 

 からかい気味に布団の中のアルトルージュへと囁くように話しかける。

 すると、ゆっくりと様子を窺うように顔を半分出し、コクっと小さく頷き返答を返してくれた。

 かなり凶悪な威力を持った姿で……眼を潤めて頬を染めて、しかも潤めているのは嬉しくてだ。

 

「ね、ねぇ……祐一? それで……い、いっしょに寝ても……い、いいのかしら?」

 

 もう、絶対に耐えれなかった。

 

「ああ、もちろん」

 

 俺の名前を呼ぶのに戸惑いがあるのか、少しどもりながらも名前を呼び、とんでもないことを言ってくれるアルト。

 なんか、どんどんと年齢が下がっている気もするが、可愛いからおーけー。

 

「その……眼は見ちゃ駄目よ。また、ああなっちゃうから」

「やっぱり、魔眼とか?」

 

 布団の中へと入ると、アルトはすぐに下を向いてしまう。

 また瞳を見て、ああなるのが嫌らしく……眼を合わせない。

 

「そうね。あなたの血に反応して、勝手に発動しているみたいなの」

 

 清水の舞台で俺の血を舐めた為、吸血鬼としての本能が血を欲するそうだ。

 本来、自我で抑えれるらしいが……極上物になると、少し洩れ出る形で発動しているらしい。

 

「本当なら見た一瞬で意識のない奴隷になるのだけど、祐一は意志の抵抗力が強いから……あ、あのその…」

 

 俺の胸におでこをつけて、顔を見えないようにしながら小さく、

 

「私を求めるの……本能が私の魔眼に抵抗して、理性が私の魔眼で操られて」

 

 本能と理性が反発して、ちょうどあの状態になると教えてくれる。

 あの状態になると、感情など関係無しにアルトを求めてしまうと…

 

「悪かったな。無理矢理…」

「……少し、傷ついたわ。でも、今は……許してあげる」

「ありがと」

 

 口にしようとも思ったが、アルトが顔を上げてくれないからおでこにキス。

 

「初めてだったんだから……忘れちゃ、嫌よ」

「……そうか。それは忘れられないな」

 

 甘えてくるアルトの姿は、それはもう……可愛かった。

 

 

 

 

 

  おまけ

 

「なぁ、我らはいつまでここにいるのだ」

「う〜ん……アルト様が嫁いだ状態だし一生かな?」

「別にここにいなくても好きにすればよかろう」

 

 あの日以降、アルトはあの家に住むことになった。お供の三人も。

 それが決定した瞬間、当主が次期当主を俺にすると宣言し、吸血鬼を嫁に取った家と話題になる。

 いろんな所から真実かと聞かれ騒然になったが、話を聞いた協力者が意外に増えてなんとかなった。

 これで正式に、俺とアルトは婚約することになる。

 後日行なわれた祝いの席に、他の二十七祖の何人かと埋葬機関からも何人かが来たのは誰も驚いたが。

 そりゃもう、その二十七祖と埋葬機関の人達も……結婚式の場だったから、戦いは起こらなかったが。

 

 

 

 

 

 あとがき

rk「作中の内容を実行しても、当局は一切関わりを否定し、責任は負いません」

祐一「てか、京都関係ないし。舞台なだけで」

rk「覗きが定番? 脱走が定番? それやってあれだけのお咎め? ――知りません」

祐一「ハッキリと言ってやろう。これはフィクションです。真似するなよ」

rk「おし。それじゃ内容について語っていこう」

祐一「この話自体は、京都へ遊びに行って気分が乗っていたから書いたSSだ」

rk「途中、アルトとのあれのシーンだが……もろ、みっしーSSの影響です。気にするな」

祐一「アルトの性格は、こいつの願望だ。これも気にするな」

rk「萌えるだろ。俺は萌えたぜ」

祐一「一応、一番のお気に入りになったからな」

rk「悔しい、非情に悔しい。もっと俺の文才があれば、最高のアルトルージュを皆様に見せれたのに」

祐一「こいつの頭の中では、事細かにストーリーが作られ動いています。それはもう、鮮明に」

rk「ああ! 見ないで! 俺を上目遣いに見ないで!!」

祐一「それぞれ細かい部分は、読者の皆様の頭の中で自由に補いましょう」

rk「――――げふっ。萌え尽きたぜ……真っ赤にな」

祐一「おっ、血の海に沈んだ」