「音夢、眠っている人の頭を広辞苑で殴るのは良くないと思うんだが……」

「こうでもしないと祐兄さんは起きないでしょう？」

「失礼な。　音夢がキスをしてくれたら一発で起きるぞ」

「な、何をいきなり……」



顔を真っ赤にして俯きながら、音夢は何やらぶつぶつ言っている。

怒ってくるかと思ってたんだが、予想が外れたな。

う〜む、まだまだ修行が足りないということだろうか。



「んじゃ、お前はあいつを起こしてきてくれ。　俺はその間に朝飯を作っておくから」

「う、うん」



広辞苑を片手に持ちながら部屋を出る音夢を見て、またアレを使うのかと思う。

純一、骨は拾ってやるから安心して逝って来い。

つーか、何故に音夢の顔はあんなに赤かったんだろう？

……まぁいいや。　とっとと朝飯を作るか。

俺は素早く着替えて台所へと向かう。

ふむ、秋刀魚の塩焼きにほうれん草のおひたし、箸休めにジャガイモの酢の物。

そして、最後は味噌汁とシンプルかつ堅実な物が出来そうだな。



「あぁ〜、頭がグラグラする……」

「兄さんが起きないのがいけないんです」



朝食を作っていると、純一と音夢がやってきた。

やっぱり広辞苑殺法を喰らったのだろう。

あれってかなり痛いからなぁ〜。



「よぅ、今日の目覚めはどうだった？」

「目覚めを通り越して天国に行きそうになった」



未だに痛む頭を抑えながら、純一はテーブルに着く。

少し不機嫌そうに純一を見ながら、音夢を着いた。

うしっ！　最高に良いタイミングで飯が出来たっ！

これもお約束の一つだな。



「二人とも、運ぶのを手伝ってくれ」

「はい」

「かったるいが、仕方ないか」



これくらいのことでかったるいとか言うなよ。

たかが飯を運ぶくらいのことだろう？

今度から飯抜きにしてやろうか。



「では、いただきます」



俺の一言で、箸がテーブルを駆け巡った。















「兄さんっ！　そんなゆっくりしてないで早くっ！！」

「ぬおっ！　み、味噌汁が…俺の味噌汁がぁ……」

「早く行かないと遅刻してしまうでしょう！？　さぁ！」

「せ、せめてこの味噌汁だけでも……！　武士の…武士の情けとぉ……！」



何故か異様に味噌汁に執着している純一を音夢が引っ張っている。

武士の情けって、そんなに味噌汁が大切なのか？

つーか、学校に行くならお椀を置いて行け。



「あいや待たれよ、そこの二人。　特に音夢」

「何故に歌舞伎口調っ！？」

「私？」

「うむ、これを持っていくが良い。　きっとそなたの助けとなるはずだ」



純一のツッコミをスルーしながら、俺が差し出したのは青い布に包まれた箱。

その中には真っ白なご飯と数々のおかずが入っている。

要するに弁当だ。



「お弁当？　これ、祐兄さんが作ったんですか？」

「うむ、味は保証するぞ」

「なぁ、俺には無いのか？」

「何を言う。　お前には愛妻弁当を作ってくれる人が居るだろうが」

「ぶっ！」



俺の言葉に純一は空気を噴き出す。

まったく、お前は恋人が居て羨ましいぜ。

あぁ、どこかに俺みたいな奴を好いてくれる奇特な人は居ないかなぁ……



「お、お前は何を言いやがるっ！！　てか、何で知ってるんだっ！？」

「それじゃ、がんばって勉強してこいよ〜」

「あっ、コラッ！　逃げるなっ！」

「ほら、早く行かないと遅刻しちゃうよっ！」



音夢に引きずられて、純一は学校へと向かっていく。

ふっ、まだまだ甘いな。　俺には杉並という情報源があるのだよ。

あいつは色んなことを知ってるからなぁ。　期末試験の答案とか。



「さて、やることもないし本でも読むかな」



現在、俺はとても時間を持て余している。

本来ならば学校へ行っているはずなのだが、生憎とあいつらから逃亡中なために通うことは許されない。

もしそんなことをすれば、即行で佐祐理さんの情報網に引っかかるだろう。

以前、パソコンを使って色んな所にハッキングしているのを見たからな。　学校のセキュリティなんて簡単に通れる。

あと、俺が住んでいるのは幼馴染である朝倉兄妹の家だ。

初めてことりに会って事情を話した時に『私の家に来ない？』と言われたが、丁重に断った。

何と言うか、女の子が同じ屋根の下に居ると思うと緊張してしまうから。

そんなことを言ったら、名雪とか音夢はどうなんだと言われそうだけど、あいつらは昔から知ってるし慣れてるからな。

慣れ親しんだ奴に緊張はしないので、俺はここに居候しているのだ。

ちなみに、ことりの家にはよく遊びに行ったりする。



プルルルルッ！



家に入った途端、電話が鳴り響く。

まったく、こんな朝から電話をかけるなんて誰だよ？



「はい。　朝倉です」

『もしもし、暦だが祐一君かい？』

「あぁ、暦さんですか。　純一達ならさっき出ましたよ？」



電話の相手は白河暦さんといって、ことりのお姉さんだ。

以前、ことりの家に行った時に会った。

なかなか気さくな人で、この前に結婚したらしい。

その時に暦さんみたいな人と結婚できるなんて羨ましいなぁとか言ったら、ことりにめちゃくちゃ睨まれた。

暦さんは苦笑していたし……何でさ？



『いや、君に用件があるんだ』

「俺にですか？」

『ああ。　実はね、家でことりが風邪を引いて寝込んでいるから、看病を頼めないかな？』

「ことりが…ですか？　わかりました。　すぐに行きます」

『よろしく頼むよ』



ガチャリと電話を置いて、すぐに出かける準備をする。

会って間もない俺にこんなことを頼むのはどうかと思うが、信用されているんだろうと自分を納得させた。

さて、お姫様の下へ向かいますかっ！















＜Ｓｉｄｅ　ことり＞



「ゴホッ…ゴホッ…」



体が熱い。　喉が痛い。

はぁ……まさか、風邪を引くなんて予想もしてなかったよ。

うぅ…辛い……



「ゴホッ…ゴホッ…」



さっきから咳が止まらない。

咳止めの薬を飲もうと思ったけど、立つとふらふらするからとても取りにいける状態じゃない。

こんな時に祐一君が来てくれたらなぁ……って、私は何を考えてるのっ！？

いや、そうなったらすごく嬉しいけど、でもこんな状態を見られるのも恥ずかしいし……



ピンポーン



あれ、誰か来たのかな？

でも、こんな朝早くに誰が来たんだろう？

そんなことを考えている間に、足音が家の中に入ってきて、どんどんこの部屋に近づいてくる。

も、もしかして……泥棒っ！？



ガチャ！



「よっ、大丈夫か？」



ドアの向こうから現れたのは、泥棒ではなく祐一君だった。

な、何で祐一君がここにっ！？



「何でゴホッ、祐一ゴホッ、君が…ゴホッ……」

「コラ。　病人なんだからゆっくり寝ていろ。　今、薬を持ってくるから」

「うん……ゴホッ」



困ったような笑顔をして、祐一君は部屋から出て行った。

よくわからないけど、祐一君が来てくれてすごく嬉しい。

何だか、少し体が楽になった気がする。

う〜ん、こういうことを思うってことは、やっぱり私は彼のことが――



「お〜い、ことり〜？」

「………へっ！？」



気が付くと、目の前には祐一君の顔があった。

ささささ、さっき出て行ったはずなのに何でっ！？



「う〜む、顔が真っ赤ということはかなり熱があるな」

「え、えっと、薬、見付かったの？」

「まあな。　ほら、咳止めの薬と水。　早く飲んだ方が良いと思うぞ？」

「う、うん」



混乱している頭をなんとか抑えて、渡された薬を飲み込む。

すると、嘘のように咳が止まる……訳がない。

そんなすぐに効き目が出たら、自分の体を疑っちゃうよ。



「ところで、何でゴホッ、祐一君がここに？」

「さっき暦さんから電話があって、ことりの看病をしてくれないかと頼まれたからな」

「……そうなんだ」



心の中でお姉ちゃんにサムズアップ。

祐一君に看病してもらえるなんて、風邪を引いたけど今日はラッキーだなぁ〜。

自然と口元が緩んでいくのがよくわかる。

だって、嬉しくて嬉しくて仕方ないのだから。



「少しは楽になったか？」

「うん。　薬が効いてきたみたい」

「それなら良かった。　んじゃ、何かあったら呼んでくれ」

「あっ……」



屈託なく笑って、祐一君は部屋を出ようとする。

それがとても寂しく感じてしまい、思わず声が漏れた。



「ん？　まだ何かあるか？」



顔に疑問の色を浮かべながら、祐一君はこちらを振り向く。

私を心配してくれているのだろうけど、今だけは意地悪な顔に見えた。



「そ、その……もうちょっとだけ、一緒に居てほしいな……」



祐一君に言った後、猛烈に恥ずかしさが込み上げてくる。

自分が何を言ったかを理解した時なんて、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

真っ赤になった顔を隠すために、枕に顔を埋める。

はぅ、私は何てことを言ってしまったんだろう。



「……わかった。　何かあれば、すぐに言ってくれよ？」

「……うん」



祐一君がどんな顔をしているかはわからないけど、傍に居てくれることは約束してくれた。

この不思議な安心感は何だろう？

祐一君が傍に居てくれる。　ただそれだけなのに――



「なぁ、その体制だと寝づらくないか？」

「一応、大丈夫」



――不思議に思うほど、私の心は安らいでいた。















＜Ｓｉｄｅ　祐一＞



ずっと黙っているのも難なので、俺達は色々話し合っていた。

主に俺が話して、ことりが興味を示したものはより詳しく話すといった感じだ。



「む、もう昼か」



話が一段落した時に何気なく時計を見てみると、指針は両方とも１２を指していた。

なるほど。　通りでさっきから腹が鳴っている訳だ。



「よし、昼飯を作るか。　ことりは……お粥だな」

「病人だから、仕方ないっすね」

「んじゃ、ちょっと待ってろ。　すぐに持ってくるから」



ニカッと笑って台所にあるお粥を取りに行く。

実は玄関に書置きがあって、すでに出来上がっているお粥があるらしい。

うむ、さすが人妻。　細かい気配りは完璧だ。

早速、お粥を温めて土鍋を部屋に持っていった。



「持ってきたぞ」

「えっ！？　もうできたのっ！？」

「いや、単に作ってあったのを温めただけだ」

「そ、そうなんだ……」



何故かことりはガックリと肩を落とす。

少し気になったけど、今はお粥を食べさせるのを優先させよう。



「ほれ、あ〜んしろ」

「えっ――」



お粥をレンゲで掬って差し出すと、何故かことりは固まった。

気のせいか顔が赤くなっていっているように見える。

う〜ん、何か変なことしたかな？



「どうかしたか？」

「あの、一人で食べられるから――」

「ダメだ。　病人は大人しくしていなさい」

「は、はい。　それじゃいただきま――熱っ！」

「あっ…悪い。　ちょっと熱かったか」



レンゲを口元に持ってきて冷まし、ほんの少しだけ食べる。

うむ、これくらいなら大丈夫だろう。



「これなら食べられると思うぞ。　ほら、あ〜んして」

「……はぅ……」



再びことりにレンゲを差し出すと、何故か顔を真っ赤にした。

はて、いったいどうしたんだろう？　眼がレンゲを見てるってことは食べたいんだよな？

でも食べないし……ことりの思考回路はイマイチわからん。



「………い、いただきます」



ことりの口がゆっくりと開かれたので、俺はお粥を食べさせた。

もぐもぐとお粥を味わっているのを見て、何となくホッとする。

その後も食べさせたのだが、最後までことりの顔は真っ赤になっていた。

う〜む……やはり熱があったのか。　心配だ……















見えないモノを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ〜



「ん？　誰から……って、音夢か」



携帯電話のディスプレイには『朝倉音夢』と出ている。

何だ？　電話をしてくるようなことがあったのか？



「はい。　こちら、相沢祐一一等兵。　どうかなされましたか？　朝倉音夢中佐」

『祐兄さん。　今、どこに居るんですか？　兄さんが欠食童子のように空腹を訴えていますよ？』



俺のボケは簡単にスルーされた。

うぅ……少しくらい付き合ってくれたって良いじゃないか……

つーか、もうそんな時間になってたのか？

時計を見ると、５時１０分を指している。

あ〜、これは急いで帰らないと拙いな。



『仕方ないから私が料理をしようとしたけど、それだけは止めてくれって言うし……』

「そりゃ当然だと思う」

『……それはどういう意味ですか……？』

「俺を丸一日寝たきりにさせた料理を作ったんだから、純一が止めるのも当然だろ？」



電話の向こうで音夢は『う゛っ！』と呻く。

実は俺が朝倉家に泊まった最初の日に、音夢が作った夕食を食べたら見事に卒倒した。

その時は純一が必死で止めようとしたが、彼女の威圧感に怯んでしまって阻止できなかったらしい。

そんな訳で、俺はその次の日、寝たきりで過ごした。

何と言うか、すんげぇ憂鬱な気分になったからなぁ。

なんでも、久しぶりに会った俺のためにはりきって作ったらしいけど……ごめん、俺には無理だ。



「わかった。　すぐにそっちへ向かう。　それまで、純一が暴れださないように見張っていてくれ」

『わかりました』



ピッと電話を切り、ポケットに仕舞う。

う〜ん、冷蔵庫に何があったかなぁ。



「んじゃ、そろそろ帰るわ。　晩飯を作らないといけないからな」

「あ、あの……祐一君……」

「何だ？」

「その……眼を閉じてくれないかな？」

「ん、わかった」



俺は言われるがままに眼を閉じる。

不意に頬に当たる柔らかな感触。

驚いて眼を開けると――



「てへっ」



――目の前には、顔を赤く染めて舌を出していることりの姿があった。

え、あ、えっと、これって頬に――



「こ、ここここことりさんっ！？」

「看病してくれたお礼だよ」



ことりは満面の笑顔でそう言ってくる。

お礼でその…キスをするのは何と言うか……うぐぅ。

うわっ、意識したら余計に恥ずかしくなってきた。

きっと俺の顔を真っ赤になっていると思う。



「そ、それじゃ、またな」

「うん。　またね」



そそくさとことりの部屋を後にする。

玄関に向かいながら、頬を触ってみた。

まだ、あの感触が残っている……



「……早く帰ろう」



言葉とは違って、さっきのことが頭から離れない。

……こりゃ、確定かな。

おれはことりのことが……



「……問題はことりが俺のことをどう思っているかと、名雪達のことだな」



燃えるように赤い空を見上げながら、俺はポツリと呟いた。















後日、風邪を引いて寝込んでいた俺をことりが看病しに来た。

その時はやけに嬉しそうだったが、何でだろう？















Fin















あとがき



シ「出来たぞ、祐一×ことりＳＳっ！！　こんなベタなもんになってすいませんっ！！（土下座）」

祐「初っ端から土下座かよ。　それにしても、今回は甘めか？」

シ「いや、あくまでも友達以上恋人未満な二人だから、それなりに甘さを抑えた。　それでも甘いかもしれないが」

こ「だから、こんなに微妙なんですね」

シ「居たんですか。　ことりさん」

こ「最初から居ましたよ。　今回は少し辛かったけど良かったっす」

シ「何せ、好きな人に看病してもらえたんだからねぇ〜」

祐「そうさせたのはお前だろうが。　まったく、あ〜んなんて恥ずかしいことさせやがって」

シ「何を言うんだっ！　『病人の看病＝お粥をあ〜んさせる』という等式はすでに成り立っているんだぞっ！？」

こ「そ、そんな等式は無いと思いますよ？」

祐「きっと、このバカの頭にはそんな等式が出来上がっているんだろう。　相手にするだけ無駄だ」

シ「――ほぅ、よく言った。　次回のお前の役割は『北川に恋人を取られる役』に決定だ」

祐「お願いですから、それだけはお止めください」

シ「冗談だ。　まぁ、略奪愛ってのも面白そうだけどな」

こ「絶対に面白くないと思います」

シ「はっはっはっ、それではあとがき終了〜♪　こんなＳＳを読んでくれてありがとうございました」