気が付くと、俺は闇の中にいた。
 光の一筋すら存在しない、見渡す限りの暗い闇の空間、自分の指先さえ確認できない。
 物音ひとつ聞こえないからか、どうしようもなく不安な気持ちと、世界に自分だけしか存在しないのではないかという孤独感が同時に湧き上がってくる。
 ここは、どこだろうか……俺はどうしてこんな場所にいるのか。
 記憶を探るが、ついさっき気がつくまで何をしていたのかまるでわからない。
 寝起きの時のようなあやふやで、不確かな情報が絶えず飛び交う……思考が纏まらない、俺は一体どうしたのだろうか。
 断片的に思い出せたのは、白い服を着た女の子の戸惑った表情、道に迷った時のような不安感、鋭い剣幕でどなりつけてくる金髪少女、車椅子に座っていた笑顔が可愛い女の子、そしてその頬を伝う一筋の涙。
 それらが浮かんでは消え、時間も繋がりも無視して無秩序にフラッシュバクする。
 中には久しく見ない舞の笑顔、戸惑った表情、照れ隠しに膨れる様があった。
 佐祐理さんや名雪、栞や真琴もいたあの頃が鮮明に蘇り、急速に不明確な情報へと変わっていく。
 その中に、忘れてはならない、彼女の姿があった。
 年相応には程遠い体つきと幼い表情、頭に赤いカチューシェをつけコートに身を包んだ、あゆの商店街を走る姿。
 楽しそうに笑い、悲しそうにうつむき、寂しそうに見上げてくるあゆが、いくら邪見に扱おうが最後には笑顔で許してくれた彼女の姿が……何度も、何度もよみがえる。
 俺は、そこで理解した。
 これは……夢なんだろう。
 都合のよい過去だけを、自分が傷つかない綺麗な思い出だけを繰り返す夢。
 もう彼女が笑ってくれることはないのに、怒ってくれることも、泣くことも叫ぶことも喜ぶことも許してくれることも、ないというのに。
 女々しい奴、吐き気がする。
 他の誰でもない、俺自身があゆではなく、舞を選んだ事で招いた結果じゃないか。
 彼女はもう戻らない。
 あゆはもういない。
 もう、どこにも……いないんだ。
 沈んでゆく意識、どんどん落ちていくような感覚は、この暗闇から覚める前兆だろうか。
 そう思った矢先に、役に立たないはずの視界に一筋の光が見えたような気がした。
 弱弱しくて、微かな光源。
 また、見えた。
 気のせいじゃない、あれは確かに光だ。
 ここが暗闇だからだろうか、普段なら絶対に気付かぬ程度の淡い光が、とても輝いて見える。
 それはどんどん強さを増していき、今まで気づかなかったのが不思議なくらい明るい存在へと変わっていた。
 いや……違う、これは強くなってきたわけじゃない。
 俺が、俺の意識のようなものが、どんどん光の方へと近づいているんだ。
 漂うように、引き寄せられるように……やがて視界には、闇よりも光が溢れていた。
 それでもまだ光へと近づいていくと、静寂の世界に一瞬だけざわめきのような音が聞こえ、強く激しい光が俺の視界を埋め尽くす。 思わず手をかざそうとして、自分にはかざすべき手も、腕も、そんな存在がないことに、この時初めて気付いた。
 ますます現実味ならぬ、夢味を増してきているな……そんな思考を、強烈な光が収まる少しの間だけ行い、再び視界は何かを捉えはじめる。
 さぞ光に満ちた輝かしい何かが見えると思っていた俺は、その光景に一瞬言葉を失った。
 そこは、さっきまでいた空間となんら変わらぬ暗闇が広がっていたからだ。
 果てが見えない闇、音の喪失に伴う孤独感、上も下もわからない虚無の世界。
 唯一つ違うとすれば、そこには何かの存在が感じられることだろうか。
 何かがいる、方向の概念が存在しないようなこの空間でも、その存在こそがこの世界の中心なんだろうと思った。
 気がつけば俺は微かに感じるその存在のほうへと、ゆっくりと進んでいた。
 漂うような速度で、けど確実に近づいてると感じながら、ひたすらそれへ向かって。
 ここが俺の夢の中なら、この先に待つのは何なんだろうか?
 過去の罪が具現した醜悪な存在か、手に入れた幸福を象徴する壮麗な存在か、それとも別なものがいるのかもしれない。
 僅かな楽しみと、幾分の恐怖を携えて、自分の意思とは関係なく進んでいく意識に全てを任せていた。
 どれくらいたったのだろう、一時間か、それとも一分か、もしかしたら一年かもしれないし一秒かもしれない。
 どうやらここは時の流れもあやふやらしい……この無秩序さはますます夢のようだ。
 ああ、でも……それもどうやら終わりらしい。
 さっき感じた存在の、すぐ近くまで俺は来ていた。
 唐突に現れたかのようで、でもずっと近くにいたのかもしれない。
 驚く気配が伝わる。
 どうやら、向こうも俺に気付いたようだ。

「貴様は――! どうやってこの階層まで浸入してきた!?」

 だが言葉も態度も、友好的とは程遠い存在だった。
 夢の癖に、随分とはっきりとしたものだ、言葉だけでなく……その赤い瞳も、白く長い髪も、女性らしい起伏に富んだ体つきも。
 向けられる敵意らしきものは過去の罪だろうか、美しいその姿は手に入れた幸福だろうか。
 本当に、何なのだろう。
 だが、例え何にしても睨まれ続けるというのはよくない、とてもよろしくない。
 だから俺は自分に出来うる限りの落着きと器量の良さを体現するように微笑みながら、話しかけた。

「う、うぐぅ! ご、ごごごめんなさい!? 迷ってたらここに来ちゃっただけなんですー!」

 話し、かけたつもりだったんだが。
 俺の口から……いや俺の意識から放たれた言葉は落着きも器量の良さもまるで存在せず、尚且つ俺のものではない。
 それどころか、これは……まるで。

「待て! お前は何者だ、なぜ主すら到達できぬこの領域に入り込めた!!」
「ま、待てと言われて待つと酷いことされるんだよー! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ、ただの通りすがりの怪しくない女の子だからボクの事は忘れてくださーーい!!」

 その存在から逃げるように、俺の意識は急速にその場所を離れていく。
 背後から聞こえる敵意の籠った叫び声に、脅えるような慌ただしさで辿ってきた道のりを戻っていき、その存在がわからなくなるまで逃げ続けた。
 変わらない……本当に、いつでもどこでも変わらないな。
 どうして俺の夢にあんな美人が現れたのか、なんで俺の意識とも呼ぶべきものが彼女のような声で、彼女のような仕草で逃げているのか、理解できるのは何一つないけど……そんな事よりも俺は。

「うぐぅ……祐一君の馬鹿。いきなり警戒されちゃったじゃないかー……」

 なによりも、懐かしい声で、不貞腐れる彼女を感じられたことが、


 ――――とても、幸せだった。









 第六幕 ――選択――








「ええか、ヴィータ? 祐一さんが起きたらちゃんと謝るんよ? 勘違してごめんなさい、殴って悪かったですって」
「だけどはやてー、あいつ絶対変質者だって。家の前でギャーギャー騒いでたんだぜ!」
「そうはゆうても暴力はあかん。ゲートボールのスティックで殴るなんて論外や、下手したらヴィータはこわーい警察の人にお世話になってしまうよ? それでもええんか?」
「そ、それは嫌だけど……でもよー」
「なら謝らんと。誠心誠意謝ったら祐一さん許してくれるから、な?」

 話し声が聞こえる。
 幼い子供のような透き通った高い声色で、少し訛りが入った独特な口調の子と、不貞腐れたような子供との会話のようだ。
 どちらも聞き覚えがない……わけではないが、はて、俺は声の持ち主たちを知っていただろうか。
 妙に気だるい頭を壊れた発条仕掛けのように回転させながら、声からして少女であろう彼女たちの口論に耳をすませた。

「はやてがそう言うなら謝ってもいいけど……むー、納得いかねー」

 若干不満の声だが、決着はついたようだ。
 口論にもならなかったな。
 どうやら、上下関係がはっきりしている姉妹なのかもしれん。

「それで、シャマルもちゃんと反省しとる?」
「はい……心の底から反省してます、もう二度と買ったばかりのフライパンを駄目にしたりしません」

 今度は落ち着いた感じの女性の声、さっきの子たちよりも年は上だろう。
 だが、こちらも力関係ははっきりしている、今のところは訛り口調の子が最強だ。
 しかし、買ったばかりのフライパンをダメにしたって、一体何をやらかしたのか。
 料理をしていたら爆発やらRPGクラスの火炎魔法が顕現しちゃうような腕前なのだろうか……何故だか頭が痛み出した、いきなりどうしたのだろう。
 そもそも、俺は今何をやっている?
 何で彼女たちの会話を盗み聞くような真似をして、さらには記憶が混濁としているのは何故だ。

「わかったええ。あたしを心配してくれんのは嬉しいけど、見ず知らずの人に危害加えちゃ駄目やよ?」
「はーい……」
「肝に銘じます……くすん」

 それに先ほど痛み出した頭、正確にいえば後頭部と頭頂部が、なんだかとてもやばい感じがする。
 何やら軽く陥没してそうな痛みが絶えず襲ってくるのだが……本当に何があった、俺。

「ん、気付いたか?」

 そろそろ痛みが激痛へとランクアップしようとしたとき、俺のすぐ近くから声がかけられた。
 この声は、また女の人か。
 どこか凛とした気品と、さりげなく相手を気遣う優しさが込められていそうな声の持ち主は、気配からしてすぐ近く、むしろ声は真上から聞こえる気がする。
 そこで俺はようやく目を開いた。
 差し込む強い光に手をかざそうとして、一瞬、何かが脳裏をかすめていった。
 それが何なのか理解するよりも先に、視界に飛び込んできた凄いものに俺は目を奪われた。

「主、どうやら気付かれたようです。出血も収まったようですし、峠は越えたかと」
「ホントか! ゆ、祐一さん大丈夫やった!? 頭はおかしなってない!?」

 女性を象徴させる豊かな双壁が、形も大きさもこれ以上ないくらい標準値を飛び越えて整った二つのふくらみが、俺の視界の真ん前に至高の存在たる母性の現われが、惜しみもなく展開されたいた。
 ああ、これは夢か、夢なのか。
 なんと惜しい夢だろうか……先ほども何か変な夢を見ていた気がするが、夢の中で夢を見るとは俺は意外と器用なんだな。

「あれ? 祐一さん、聞こえとる? おーい、祐一さーん!」
「まだ意識が混濁しているのでしょう。頭を強く打ったためかもしれません」
「ヴィータ、シャマル、後でもっかい話しよな?」
「は、はやて……なんか怖い」
「落ち着いて! お願いだから落ち着いてはやてちゃん!」

 しかもこの視点は、もしかしなくてもこの女性の膝に頭を載せて横になっているという、所謂膝枕だろう。
 これぞ男の桃源郷、下から見るこの景色こそ、たどり着くべき最果ての境地。
 舞も、こんな夢のようなことをやってくれると嬉しいのに、妙なところで恥ずかしがってやってくれない。
 そこがまた可愛いというか、虐めたくなるわけなんだが……うん? なんだろう、膝枕をしてくれている俺の夢女神さま(今命名)と視線がぶつかったのだが、探るような感じがするのは。
 まるで俺が目が覚めているのも関わらず、何時まで寝てやがるこの野郎と思わせる厳しめの視線だ。
 その切れ目がちな美しい瞳と、凛々しく整った美麗な顔つきをした夢女神さまから放たれる鋭気は、俺の意識をはっきりさせるには十分だった。

「起きているのだろう? なら主の質問に答えてもらえるか。私もこの姿勢は些か疲れるのでな」
「あー、すまない、今起きるよ」

 うん、これは夢ではないみたいだ。
 そう認識すると加速度的に思考は冴えわたり、俺が今置かれる現状を正しく理解し始めた。
 未だピントが合わない視界を広げれば、

「祐一さん、大丈夫やった? あたしのことわかる?」

 俺のすぐ横には心配そうな顔をした幼い少女がいて、

「ちっ、生きてやがったか」

 その後には何やら舌打ちしやがる生意気そうなガキがいて、

「はぁ……よかったです」

 心底安心したような溜息をつく柔らかな印象をもつ女性が並び、

「まずは話を聞かせてもらおう。当事者が意識不明では纏まる話も纏まらんからな」

 まだ変わらず膝枕をしてくれる綺麗なお姉さんが見下ろし、

「……」

 そしてちょっと遠くには大きな体と鋭い瞳をもつ恐ろしい犬がいる。
 つまりは、

「えっと、ここはどこでなにがどうなって?」

 訳がわからないということだ。










「ということで……ヴィータとシャマルが酷いことしてほんっっま御免なさい!!」

 小さな体をさらに小さくして精一杯謝るのは、この家の主らしい八神はやて。
 八歳という年齢にも関わらずしっかりとした性格をしていて、俺の知り合いたちに爪の垢を煎じてリットル単位で飲ませてあげたいくらい大人びた少女である。
 肩にかかる程度に伸ばしたボブカットで、幼い少女らしい丸みのある可愛らしい顔をしていながら、真剣に謝るその表情にはとても子供とは思えぬ誠実さも感じられ、数年もすれば心身ともに誰もが放っておけない美人さんになるのは間違いなしだ。

「ほらっ、ヴィータもシャマルも謝らんと!!」

 そう言ってはやてが促したのち、俺の前へ来たのは小さいガキと金髪お姉さん。

「殴ってスンマセン、はんせーしてますのでゆるしてください」

 全く反省してないこの糞ガキがヴィータと言い、勝気な性格をそのまま体現したかのような目つきの悪さと真っ赤な髪をしている。
 体格ははやてと同等か、少し小さいくらいだからおそらく同じ年ごろ、つまりは八歳ぐらいなのだが、この姉妹の差はいったいどこで生まれたのだろうか。
 こいつが加害者その一。

「ごめんなさい! 私ったら思いっきりフライパンで殴ってしまって、大事に至らなかったとは言っても本当にすみませんでした!」
 対し、誠心誠意謝ってくれるのはシャマルさん。
 過剰とも思えるくらい体を何度も折り曲げ、高速に上下する頭に合わせて金髪が躍る様子は少し怖い。
 この人が加害者その二。

「なるほどねぇ。俺はこの糞ガキに金属ステッキでドツかれて、シャマルさんにフライパンで追い打ちされた、と」
「おい手前ぇっ、誰が糞ガキだ!」
「五月蠅せぇお前如きチビガキでも十分だこのバイオレンスチルドレン」
「なんだどコラァ!」
「ヴィータちゃん駄目ー!!」

 今にも掴みかからんとする糞ガキを必死で押さえつけるシャマルさん。
 その行為は実に称賛したいものだ……いつの間にか糞ガキの手にはゲートボールステッキが握られているわけだし。
 ふむ、なるほど、俺はあれで殴られたのか。
 …………。
 んー……。
 今の俺が幽体じゃないことに疑問を持っていいのだろうか? だめ? だめだよね?

「こらヴィータ! ちゃんと謝る言うたでしょ、さっきの言い方もあんまりやし、本当に反省してるん!?」
「だ、だってはや――」
「だってもなんもあらへん!! ちゃんと謝らんようなら今日からヴィータのご飯全部シャマルが作ったものにするよ!」
「そ……そ、んな――――ご、ごめんはやて!! あたしが悪かったからそれだけはやめて、お願いだから!!」
「謝るんはあたしじゃない、祐一さんにや!」
「御免さない祐一さん!!」
「あ、ああ……」

 すごく真摯な態度で謝られた。
 祐ちゃんいろんな意味でびっくりだよ。

「……いいもん、いいもん。皆そうやって私の事いじめるんだもん……いじいじ」

 少し離れた場所でシャマルさんがいじけていた。
 小さく体育座りで床をいじいじしている姿は正直とても可愛い、なんだか抱きしめて慰めてなでなでしてあげたい気持ちになる。
 ほぼ初対面の俺がやったら間違いなく変態確定。

「しかし、どうしたもんかねぇ……」
「なんだよその目、ちゃんと謝っただ……謝ったじゃないですか」
「わざわざ敬語で言い直さなくていいんだが、別に俺は言葉遣いにはこだわらんし」

 大事なのはそれにこめられた思いだからな、うん。

「謝っただろこの変態」
「敬語じゃなくなったうえに余計なものがついた!?」

 なんて酷いガキなんだこいつは、さっきの殊勝な謝り方がまるで嘘のようじゃないか。
 しかも言うに事欠いて変態だとぬかしやがったぞ。

「俺のどこをどう見たら変態に見えるのかじっくり聞かせてもらおうか!!」

 と俺が叫ぶと、糞ガキ改めヴィータはその言葉を待っていたとでもいうような表情をした。
 簡単に言うと鼻で笑う感じで、めっちゃ見下されてる気分になれるあれだ。
 元が整っている造形で、なおかつ釣り目がちなヴィータがそんな表情をすると、幼いながらもその雰囲気は北川を罵倒する香里によく似ているなと思った。
 突っ込みの厳しさからも香里の後を継げるかもしれん逸材だ……引き継いでほしいとは心から思えないわけだが。
 なにせ突っ込みで人が死にかけそうなくらいだからな。

「いいぜ、聞かせてやるよ。さっきも全然その事をはやてに話せなかったし、お前がどんだけ危険な奴かわかればあたしの意見に賛同してくれるに決まってる」

 お前の意見ってなんだよ、と聞きたくなったがなんとなく予想できてしまうのでやめておいた。
 どうせこの家から今すぐ追い出せとか金輪際うちに関わらないようにするとか、そんなものだろう。

「でもヴィータちゃん、さすがに沈めるのは可哀そうだと思うわ。証拠だって多分のこっちゃうし」
「大丈夫だって、ちゃんと誰にも見つからない世界で捨ててくるから」
「沈めるってなに!? 誰にも見つからない世界ってなんだー!?」

 どうやら俺の想像を遥かに超えた意見だったようだ。
 末恐ろしすぎるぞこのガキ。

「もうヴィータもシャマルも、変なことばかり言ってないで祐一さんを不安がらせちゃあかんでしょ。唯でさえ迷子になって不安になってるのに、いらん心配事まで増やさないで」
「なんだ相沢、お前は迷子だったのか。その年になって恥ずかしい奴だな」
「見ないで、そんな目で俺を見ないで―!!」

 なんなんだこの家族はっ!
 ナチュナルに俺を貶しにかかっているのか、そうだとしたらこの家での癒しはあのふさふさな毛でちょっとこわめな犬っころしかいないではないか。
 俺は傷心のままよりどころを求めてふらふらと犬のもとへ。
 抱きつくと獣特有の高い体温が伝わり、俺の心をゆっくりと癒していく。

「俺の味方はお前だけだよザッフィー」
「グルル……」
「……」

 唸られた。
 怖っ。

「ふざけるのは構わんが、せめて少しでも話を進める気をもってもらえるか。お前が起きてから何も進展してない気がする」
「そうだな、うん。ふざけるのは程ほどにしよう」
「立ち直りはやっ! ってそもそも落ち込んでもいなかったんか……うーん、ようわからへん」
「はやてちゃん、わかる必要って多分ないから大丈夫よ」

 さて、と気合を入れなおし、俺は再びリビングの中央に戻る。
 謝罪に対する対応ってのを決めるには、まずどうしてヴィータがあんな凶行にはしったのかを理解する必要があるからな、話を聞くとしよう。
 おなじ加害者であるシャマルさんについては、大凡予想がつく。
 彼女自身の考えからくる行動ではなく、ヴィータに付き合わされ、やむなく追撃したといったところだろうか。
 やむなくの追撃でフライパン振り下ろしは正直言ってやりすぎではないかと思うが、まぁそれも追々決めるとしよう。

「まずは糞ガキ、お前の言い分から聞こうか」
「はっ、その強気な態度がいつまでも続くと思うなよ。話が終わったら床に這いつくばらしてやるかんな」
「やれるものならやってみやがれ!」
「後悔すんなよてめー!」

 そうしてまた起きたひと悶着の後、ヴィータの話は始まった。













 ――数時間前。


 大きめなベットの上で、小さな手足を投げ出すようにヴィータは寝転がっていた。
 いつもは三つ編みにしている髪はほどかれ、今は白いシーツの上に赤い花のように広がっている。
 大した意味もなく、ただ時間が過ぎるのを待つように、ヴィータは中空を見つめていた。
 理由はない、動機もなにもない、はやてが昼食を作るということで少しあいた時間があったから、ただ何となく二階にあがりベットへ転がっただけの事。
 たまに、こういった無気力な瞬間がある。
 楽しすぎる毎日の反動か、幸せを感じてしまっているが故の衝動か、ヴィータ自身もわからない。
 過去の自分が何かを訴えたかったのかもしれないし、過去の自分を思い浮かべ現状との差異に困惑しているだけかもしれない、もしくは本当になにも考えていないだけかもしれない。
 ヴィータは空白の思考に少しだけ、そんな事を考え、すぐにやめた。
 意味のない行動に、意味を求めることこそが無意味だから。

「なにやってんだろ、あたしは」

 呟き、苦笑した。
 幼い少女がする表情ではなく、何年も何年もそうやって繰り返し生きてきたものがする表情。

「さってと、変なことやってないではやての手伝いでもしてよっかな」

 しかしそれはすぐに消え去っていた。
 後に残るのは軽快で活発な雰囲気を纏う、いつものヴィータだ。
 そして本当の姿。
 無為のような存在ではなく、誰からも虐げられる存在でもない、彼女はすでに一人の人間として迎えられたのだから。
 優しい主に。
 優しすぎる主に。
 だから、絶対に不幸なんかではないのだと。
 ほどいた髪を再び三つ編みへと直しながら、ヴィータはベットを降り、窓の近くまで歩いて行く。
 薄いカーテンの向こうには、青い空が広がっている。
 感慨は、特になかった、ないと思いこんだ。
 今は、ただ胸に秘めた決意だけを頼りに、進んでいくしかない。

「頑張るしか、ねーもんな……。おし、んじゃさっさとはやてんとこ、に……あん?」

 それは偶々だった。
 空へ向けていた視線を、偶々家の前の道に向け、偶々そこに一人の青年がいて、偶々ヴィータの意識にそれが引っかかっただけ。
 これも、意味はない、ないはずのものだった。
 ヴィータが気にも留めずはやてのもとへ行けばそれだけで済む、記憶の片隅にも残らないはずの出来事。
 しかしヴィータは何故かその青年を、窓とカーテンを隔てながら眺め続けていた。
 理由があるとすれば、きっとほんの僅かな警戒心、家の前をうろつくものに対する些細な感情だ。
 そんな特別なことでもなんでもない、日常に埋もれるはずの光景。
 家の前に一人の青年がいて、それを部屋から見つめるヴィータがいるだけの、他愛もないはずの情景だった。

「何やってんだあいつ……? なんか妙に疲れてねーか?」

 青年は何やら息絶え絶えの様子で、家の反対側にある塀に手を付きながら息を整えているように見える。
 白いコートに、若干色素が薄く感じられる茶色の髪は少し長め、背には大きめのリュックを背負っていた。
 ヴィータから見える情報はそれだけ、彼に一体なにがあったかなどわかるはずもなく、家の前でぜえぜえ言ってるだけの不審者のような人物にしか見えないだろう。
 それでも、ヴィータは思う。
 もしかしたら何か大変な目にあって、いや今もなお大変な目にあっているかもしれない、そんな可能性もあるのではないか。
 はやてに言われたことがある。
 困っている人がいたら助けてあげること、見て見ぬふりは絶対にしてはいけない、自分が困っている時を思えば自然に体は動くはず、といった人助けの精神が何よりも大切なのだと。
 偽善かもしれない、偽善でしかないかもしれない、だけどヴィータは返事をした。
 ――分かったよ、誰か困ってたらあたしが助ければいいんだろ。
 笑顔と共に、己が主へと。
 だから、ヴィータはもう少しその青年を観察することにした。
 直に駆け付けないのは未だ戸惑う心と、まだほんの少しだけ警戒心が残っていたからだろう。
 顔半分だけカーテンをずらし、少し明確になった視界で青年を捉える。
 既に息は整っているのか、壁に手をつくことなく立っていたため、ようやくその顔が見えた。
 平凡そうな、どこにでもいそうな素朴な顔、とでも言えばいいのか。
 押して褒めるところがなければ、強いて欠点をあげる必要もない、標準よりは多少上であることが唯一の特徴のように思える。
 一つだけ印象に残るというのなら、それはきっと瞳だろう。
 優しい印象というわけではなく、きつい印象を与えるような剣呑とした目つきでもない、魅了されるほど深い色合いをしているわけでもない。
 しかし印象には残る、離れてみているにも関わらずそう思えてしまうのが不思議な感じであった。

「――っ! 何やってんだか、あたしは……ばっかじゃねーの」

 そこでヴィータは青年の顔を凝視していたことに気づき、頬を少し紅く染める。
 今まで異性と呼べる人間を顔を見る際は、ヴィータは凄まじい殺意と共に睨みつけてきた。
 造形など気にせず、ただ打倒するためだけに視線の向きを追い、表情から心理を読み、そして叩き潰してきたのだ。
 そんな血なまぐさい行為ではなく、ただ男をひたすら見つめていたという事実が、ヴィータの思考を僅かに停止させる。
 一瞬、ほんの一瞬だったろう、ヴィータが青年から意識を外していたのは。
 しかしその一瞬で、事態は急変していた。

「――ふ―ふっ、――今―で―俺と―――の―よ」

 それは、窓越しから聞こえるわずかな声。
 ほとんど聞き取れないような微かなものだったが、

「なんだ、あいつ……?」

 ヴィータのようやく下がった警戒度を上げるには十分なものだった。
 よく見れば青年の表情は普通とは言い難く、怪しげに口を吊り上げ、怪しげに目が笑っている。
 この時、ヴィータの中では不審者のようなものから不審者そのものだと認識が変わった。
 だが、まだ留まらない。

「今の俺には……GPS機能付き携帯電話がある!!」

 今度ははっきりと聞こえるほどの叫び声。
 見れば青年は先ほどよりも一層怪しげな表情で、己の懐に手を入れ何かを探っている。
 ヴィータは驚き、半歩だけ後ろに下がり窓の外にいる青年を、先ほどとは別の意味で凝視した。
 ちょっとした関心から、明らかな警戒心で。
 青年に対する評価は不審者そのものから、異常者っぽい奴に。
 いきなり人気のいない道路で叫ぶような怪しい奴なのだから、それはしょうがないとも言える。
 こういうときはどうすればいいのか、ヴィータは考えた。
 一番てっとり早いのが自分が行って叩きのめすことだが、そんな事をしてはいくら相手が危ない奴だとしても騒ぎになってしまうだろう。
 そうなるとはやて達に迷惑がかかる、それだけは避けたい。
 なら警察とやらに連絡を、と思っても到着するまでにあやしい奴がここに留まっている可能性は低い、もし入れ違いで警察がやってきたら事情説明やら捜査協力とやらで根掘り葉掘り聞かれるだろう。
 以前見ていたテレビ番組で放送していたものに、そんなシーンがあった。
 しつこいくらいに容疑者らしき人や目撃者に接触し、言葉巧みに相手を逆上させ失言をさそう探偵みたいな刑事が、使えない部下と一緒に事件を解決していくものだ。
 あんなやり方をされてはたまったものではないとヴィータは思う。
 故に警察に連絡もダメ、そうなると一体なにがあるか……そう考えているうち、

「………………いやいやいや、違う。今度こそはこっちにあるんだよっ!」

 事態はさらに、悪化の一途を辿っていた。

「なんだ、あいつ……!?」

 同じような言葉をこぼすヴィータだが、込められた意味は少々違う。
 警戒心どころか敵対心がありありと。
 評価はすでに危険人物ゾーンへ突入中。
 青年はなにやら身につけているものを片っ端から調べるためか、背負ったリュックを穿り返して、コートを脱ぎ、シャツをはだけ、靴を脱いで中を確認するなどの行動に取っていた。
 何かを探しているのだろう。
 しかし怪しすぎるのは言うまでもない。
 ヴィータはほんの少し前、困ってそうだからちょっと助けてやろうかなと思ったことを全力をもって後悔し、声をかける前に気付けてよかったと心の底から安堵した。

「だけどこのまま放っておくとやばいよな……うっかりはやてと出会っちまうなんて事になったら最悪だし、ってああ!?」

 ヴィータが少し目を離した間に、青年はすでに身嗜みを整えて歩き出していた。
 疲れたり叫んだり脱いだり戻ったりと、行動の一つ一つが早い。
 向う先はわからないが、このまま逃がすわけにはいかない、そう思ってヴィータは階段を駆け下り、玄関を突き破らんばかりの勢いで開け放って道路へと飛び出した。
 その際はやての声が聞こえた気がするが、今はそれよりも優先することがある。
 謝るのはあとだってできる、しかしあの怪しすぎる男を捕まえたり尋問するような機会はおそらく今だけだろう。
 だからヴィータは一先ず心の中で謝り、自宅の前、先ほど青年がいた場所であたりを見回す。

「ちっ、どこ行きやがった!!」

 しかし、そこにはもう誰もいなかった。
 ヴィータはすぐさま先ほど青年が歩いて行った方角へと走り、T字路となっている場所で一度立ち止まる。
 左右の道を確認するが、誰もいない。
 だがこちらへ向かったのは確かなはず、そう思い左右どちらの道を選択するか一瞬だけ迷い、己の勘を信じて左を選んだ。
 息を弾ませながら走っていると、電柱を三つほど過ぎたあたりで今度は十字路があった。
 先ほどと同じように来た道を基準に左右を確認するが、人影すら見当たらない。
 見失った。
 距離はそれほど離れていないはずなのに、もうどこへ行けばいいのか見当がつかない。
 ここから適当に探したとしても、おそらくは見つかることはないだろう。
 なんとなく、ヴィータはそう思った。

「はぁ、はぁ……ちくしょう、もう片方の道だったか? ああ、もう何で逃がしてんだよあたしはー!!」

 今度はヴィータが道中で叫ぶ。
 幸いあたりに人影はなく、民家から見えたとしても身体的に子供であるヴィータが怪しまれることは、まずない。
 よくて元気な子として見られるか、悪くてもうるさいガキだなと思われるくらいだ。
 だが例えそうだとしても、ヴィータにはなんの意味もなく、怪しい奴を逃した悔しさだけが胸に残った。

「って別にムキになる必要あんのか? そりゃ怪しい奴だったけど……」

 しかしふと我に帰れば、こんな場所まで追いかけてきたことに疑問が浮かぶ。
 確かに怪しい奴だった。
 主であるはやてには絶対合せてはならない人種だろう。
 自分たちにかかわりがなくとも、いずれどこかで、もしくは既に何かしらの事件を起こしていそうな人間かもしれないが、正義の味方でもないヴィータが張り切る必要は、ないと言える。
 はやてに言われたのは、困っている人を助けてあげなさいという勧善の心で、人を困らせそうな奴を叩きのめすような懲悪の意思ではない。
 むしろはやては危ない事に関わってはいけないと言っていた気がする。
 なら、この行動は無意味だったのか、そう思った直後にヴィータはその考えを否定した。
 放っておけば、はやてと鉢合わせになる可能性があるから、だからそうなる前に不審者を捕まえたかっただけ。
 それが一番の理由で、最適な回答だろう。
 結果は取り逃がすことになったが、顔と服装は覚えている。
 もし、万が一にでも、この付近で見かけようものなら、今度こそとっ捕まえてやろう、そうヴィータは考えた。
 勿論手荒な真似は極力さけるつもりだ。
 だが、相手が本当に危ないやつだった場合や、事もあろうに自分の主に手を出そうものなら、

「そん時は……頭かち割ってやる」

 そう呟く彼女の姿は、偶々通りすがった子供たちの心にトラウマとなって植えつけられた。












「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「何かしゃべろうよ! 黙ってちゃ誰が誰だかわからんよ!!」

 罵倒されたりするならまだましも沈黙するだけなのはきついよ!

「いや、とは言ってもな……正直、私はそこまで怪しい奴だとは思っていなかった」
「怪しくない! 客観的に見て怪しくても俺は別に怪しいことはしていないんだー!!」
「変な日本語になってますよ、変質者さん」
「俺の代名詞が大変な事に!?」
「だから言っただろ、こいつは危ない奴だって」
「ええい黙れ黙らんか黙ってください!!」

 怒鳴ると同時に土下座で弁解の機会を俺にくれないだろうか。
 しかし俺を見る三人の目は穏やかではない、ヴィータとかはもとからだから別になんともないが、あの厳しくとも優しそうだったシグナムさんのマジ睨みは心底怖い、気を抜けば切り捨て御免とか言われそうだ。
 シャマルさんはシャマルさんで、露骨に嫌そうな顔をしている……じわじわと心にダメージが浸透してくる。
 なんたる、不覚!
 まさかあの失態を誰かに見られているなんて……周りを見て誰もいないから安心するなよ俺! ここは住宅街なんだから家の中に人居てもおかしくないじゃないか!
 あの冬の時のように時間を巻き戻したいと本気で願ってしまいそうだよ!

「だ、大丈夫やってみんな。祐一さんだってきっと訳が、訳があったはずなんや!?」

 フォローありがとうはやてちゃん、だけどそんな必死だと逆に俺を信用してないってことなのかな?
 泣いていいかな?

「……バウ」
「なんか犬にまで溜息つかれた気がする!」
「それはさすがに被害妄想だろう。ザフィーラがそんな事を……するはずもなくもないぞ」
「曖昧な表現は肯定と受け取るぞ!!」
「まぁ冗談は置いておいてだ」

 冗談なのかよ!
 すっごいわかりにくいよこの冗談。
 見ればシグナムさんの目つきは剣呑としたものではなく、はやてちゃんも先ほどの慌てっぷりと必死さが抜け落ちている。
 ヴィータは変わりないが。
 なんだ……本当に冗談だったのか、安心したよ全く。

「え、冗談……だったの?」
「シャマルさん、俺ちょっと貴方とお話したいことができたので、少しだけツラ貸してもらって宜しいですか?」
「冗談だったのよ! 勿論場を和ますためのっ、ね! そうよね!」

 必死に弁解するシャマルさんは、とりあえず置いておく。
 慌てふためく姿は正直、ものすごくいじりたくなるのだが、ここは我慢だ。

「それではまず、お前の言い分を聞こう。何故我が……私たちの家の前で不審な行動をとっていた?」

 何かを言いなおしたようだが、まぁ気にすることではないだろう。
 今は与えられた弁解のチャンスを不意にしないように気をつけることが最重要課題だ。
 最近だけならず、俺はこういった場面で何かと不幸なことが起きている気がするからな、慎重に行かないと。
 まずは、そうだな……この付近で迷う事になった原因からか。

「実はわけありで小学生と話していたらいきなり蹴られて痴漢呼ばわりされたんだ。んで必死に警察から逃げ回ってようやくこのあたりで追手を撒いたわけだが……あれ? なんか視線が冷たいよ?」

 特にシグナムさん、先ほどの恐ろしい目つきに戻ってます。
 なんで手には刀袋っぽいのが握られているのでしょうか、ていうかいつの間に持っていた!
 さらに言えばそれは俺のじゃないか!!

「貴様は今の自分の言葉から何も思わんのか?」
「祐一さん、もう一度よーく考えて、自分のゆうたこと」

 はやてちゃんまで真剣な目つきで俺を見てそういった。
 なんだ、さっきの俺の説明に一体何があったというのだ。
 わけあって街を散策、正確には舞を探して歩き回っていたのは事実だし、そこでぶつかりそうになった子と話していたら金髪暴力少女に蹴りを入れられたもの間違いないし、冤罪以外の何物でもない罪で警察に追われてたところを撒いたのはこの付近であることも正しい。
 一体何がいけなかったというのだ。

「な、あたしが言ったとおりの奴だろ。こんな危険な野郎はとっとと沈めちまえばいいんだよ」
「んだとこのチビガキ! 何がどうなって俺が危険な野郎だと言いやがるんだこの口はぁ!!」
「いひゃいいひゃいーー!! ふぁにすんふぁあふぉー!!」
「何を言ってるのかさっぱりわからんなぁ、ふはははははは!! ――――はっ!?」

 殺気!

「貴様は話をする気があるのか!!」
「なんとぉ!!」

 振り向きざまに確認したのは、刀袋から木刀を取り出し俺へと踏み込むシグナムさんの姿。
 踏み込みからの一刀、上から降り下ろされた木刀を俺は間一髪のところで避けた。
 しかし振り下ろされるはずだった太刀筋はその軌道を曲げ、逃げた俺の方へと迫る。
 鋭い一撃、しかしこちらとて舞に扱かれている身の上だ。
 避けられないことは――ない!

「甘い!」
「げふぅっ!!」

 避けられなかった!!

「ちょっ、祐一さん! シグナムもいきなりなにしてんのや!!」
「安心してください、主。峰うちです。それに彼も男です。これくらいでしたら特に問題はないでしょう」
「問題、……大あり、です……姐さん」

 頭部に続いて腹部に発生した強烈な痛みに涙しながら俺は意義を唱えた。
 そもそも峰うちになにも、その木刀は鉄製だ、どこで打たれても結果としては変わりない。
 そうか、今まであれで殴ってきたやつもこんな痛みだったのか……身をもってしってしまったよ。

「やからって、なんでいきなり木刀でなぐりかかるん! 皆おかしいよっ、なんで……なんで皆して祐一さんをいじめるんや!!」

 そこではやては、今までにないくらいの大声で、そして若干の涙ぐんだ声で叫んだ。
 思えば、小学生の子供の前でこの光景は相当やばいのではないだろうか。
 いきなり怪しいやつ呼ばわりされた奴が叫んで、おそらく危険を感じたシグナムさんが木刀(鉄製)で殴り倒す、普通なら泣き叫んでもしょうがないだろう。
 しかし、それは本来恐怖からくる叫びであって、今のはやてのような何かを強く訴えるようなものではないはずだ。

「はやて……だって、こいつは」
「だからだっても何もあらへん! 祐一さんは確かに怪しいかもしれんけど、スティックで殴られたり木刀でどつかれたりするほどおかしいことしてないっ、ヴィータだってちゃんと謝るって――」
「主、落ち着いてください。何も私たちはこの者を憎いからといって痛めつけているわけではありません」
「やったらなんでこんなこと!!」

 どうやら場の流れが少々よくない方向に行っているようだ。
 少し、ふざけ過ぎたかもしれん。
 俺は蹲るのをやめ、痛みが抜け始めている腹をさすりながら興奮気味のはやてちゃんのそばへ歩み寄る。
 その際ヴィータが何か言いたそうにこちらを睨んだのでちょっと反応しそうになったが、ここは既にふざけたり騒いだりするような場面ではない、黙っていろと視線で訴えた。
 いい加減、シリアスになろう、この子がこんなにも不安そうにしているのだから。

「あー、はやてちゃん、落ち着いて落ち着いて。俺の事だったら大丈夫だから」
「祐一さん……でも木刀で殴られてるし」
「殴られるのは慣れてる。別に痛くないわけじゃないが、そんなものは我慢できる程度さ。とりあえずは、乱れまくった話をまとめよう。一から十まで説明すりゃ俺が無実ではやてちゃんが正しいって事、ちゃんと皆わかってくれるよ」
「でも、うちは……」

 はやてちゃんは何かを言おうと思っているが、言葉にできないようだ。
 多分、今までの気持の流れで素直にうなずくことができないんだと思うのだが、心理学の専門家でもカウンセラーでも相手の心を読めるエスパーでもない俺だから、もしかしたら違う理由かもしれないけどここは話を強引にでも進ませてもらおう。

「とりあえず、ヴィータ。お前は俺が怪しいからってことで殴った。これに間違いはないか?」

 まずは問題の一つ、ヴィータが俺を殴ったことの理由。
 昼間に目撃された俺の醜態が、ヴィータの心に警戒心を植え付け、結果として俺を殴ったわけなのだが。

「それだけじゃねーよ。お前が……その、はやてを泣かしているかと思ったから、ついカッとなって……」

 ここで新たな証言だ。
 さらにちょっとした問題発言、俺がはやてちゃんを泣かしたというのだが、そんな覚えは全くないぞ。
 少し前なら俺を陥れる発言だと叫んでいるところだけど、こいつだって今の場の雰囲気を読めないほど馬鹿じゃないだろう、現に俺を小馬鹿にするような態度ではなく、どこか悪いことをしたように絞り出すような小声での供述だ。
 多分、ヴィータにとってあまりよくない結果であったのか、そう象像するのだが、

「やからあれは泣いてないって、祐一さんと話してたら可笑しくて涙がでただけや」

 どうやら間違いないようだ。
 そうか、あの時笑い過ぎて涙ぐんだ時のことか。
 普段あまり使いもしない脳で考えるに、問題となったのは当時の俺とはやての立ち位置、そして後ろにいただろうヴィータから見えた光景だろう。
 ヴィータからははやての顔が見れて、俺は後姿しか見えない、そんな状態ではやてが涙を流しているように見えれば、カッとなるのもしょうがないといえるが、短絡的すぎるのは否定しない。
 まぁさっきの話からすると、既に俺に対する不信感があったからの行動で、あのときの醜態を見られていなければ普通に声をかけるか、怒鳴って威嚇する程度で収まっていたかもしれん。
 推測でしかないが、こいつが根っからの暴力主義者でないことを信じての考えだ。

「つまりは俺がはやてちゃんに善からぬことをしているように見えて、そのせいではやてちゃんが泣いていると勘違いた結果、殴ったわけか」
「……そうだよ」

 ふむ、なるほどね。
 行き着くところは、結局家族の身を案じての行動だったと。
 悪気がなかったのは確かだろう、こいつはこいつなりにはやてちゃんを守ろうとしたわけだ。
 手段としては、最悪の部類に入ってしまうが。
 そもそもなんでゲートボールのスティックなんて持っていたんだ? 近頃の子供はゲートボールの楽しさに目覚めてしまったのだろうか?
 その事を疑問に思い、質問したところ、

「近所のじーちゃん達とゲートボールしてきた帰りだったんだよ。最近の子供? 知るかよそんなもん」

 という答えが返ってきた。
 相も変わらず憮然とした態度、最初のように噛みついてくるようなものではなかったし、一瞬だけなった従順な態度ほど素直に答えてくれるわけでもないが、答えるべきことにはちゃんと答えてくれる所をみると、俺に弁解のチャンスをくれたと解釈していいのだろうか。
 ただ単にはやてちゃんの勢いにのまれただけかもしれんが、気にすることでもない。

「んじゃこの問題について、当事者で被害者であり容疑者扱いの俺から結論を出すが、それについて異議のあるものは?」

 未だ不安そうなはやてちゃんの頭をなでながら、周囲のみんなに確認を取る。
 ヴィータが不満そうなのは変わらないが、こちらと目があわないように視線をずらしているので、とりあえずは問題ないと判断しよう。
 シグナムさんは真剣な表情でこちらを伺い、小さく頷いた。
 これで変な結論でも出した日には、あの木刀で酷いことされそうだな。
 そしてシャマルさんは先ほどのおどおどした態度とは打って変わっての凛とした雰囲気、これは何か言われるかと思ったが、俺と目が合うと微笑みを返してくれた。
 どうやら反対があるわけではないようだ。
 一応犬のザフィーラの方も見てみるが、こちらをずっと見つめたまま微動だにしていない、たぶん大丈夫。
 最後は目の前にいるはやてちゃんだ。
 姿勢を低くして、目線を合わせると、幼いながらも力強い瞳で見つめ返された。
 うわ、やっぱ可愛いなこの子……この年でこの雰囲気、将来はきっと大物になるかもしれん。

「異議あるものは特になし……それじゃ結論をだそう」

 ともあれ、全員の承諾は得られた。
 まだ結論を出していないのでこれにて一件落着とはいっていないが、それもたいして変わらん。
 なぜなら、

「この事はぜーんぶ水に流そう。誤解も主張もなんもなし、そういうわけでこれについては終わりだ。俺が怪しい行動をしたことは謝るし、ヴィータがやったことも許すって形で」

 こう言ってしまえば、もう誰も反論できるはずが――ない。

「ちょっと待てよ! なんだよそれ、お前が全部悪いってことで終わらすつもりか!!」

 ヴィータは俺の近くまでよって来ると、睨みつけるように言った。
 ……さっそく出たよ反論。
 いや、予想はしてたけどね、うん。
 あんな結論で納得できそうなのは、当事者たちではない傍観者ぐらいだろうし。

「別に俺が悪いってことで終わらすつもりじゃねーよ。お前はちゃんと謝ったし、はやてちゃんから既にお叱りを受けてるだろ? ならこれ以上俺が言うことはないさ」
「だからそれじゃお前の気が済んだだけじゃねーか! あたしらの気持ちはどうすんだよ!」
「お前らの気持ちって言われてもな……そもそもこの件を水に流そうって言ってんのに何が不満なん――――ま、まさかお前まだ俺の事をどこかに沈めようとっ!?」

 未だに絶体絶命のピンチ!?

「ちげーよバカッ! 沈めるとそういうんじゃなくて、だから……その、お前はいきなり殴られたんだぞ! 理不尽な理由で、いきなりだ! なんでそれを笑って許せるんだよ、バカじゃねーのか!」
「笑って許してるつもりはないんだが?」
「笑ってんだよ!」

 そうもきっぱり言われると俺自身も笑っているように思えてしまう。
 しかし俺はだって弁えるところは弁えているし、はっはっはー許してやるぞ貴様ー的なのりで言ったわけじゃないんだが、そもそもそんなノリでやったらシグナムさんに叩き斬られるよ。

「ヴィータは何も直接的に笑っていると指摘しているわけではない、お前が怒りもせず許そうとしているからそう言っているだけだ」
「いや、怒っていないわけでもないけど?」

 未だに頭の痛みはあるからな、正直言えば怒りもある。

「大体さ、大袈裟に捉えてるけど俺はこうして何もなかったわけだし、その俺がもういいって言ってんだから」
「大袈裟もなにも、相沢さんは少しだけ生死の間を行ったり来たりしてたんですよ?」
「気付かぬうちに奇跡の生還を!?」

 そんな危険な状態なんて聞いてない!
 いや、確かによく考えればあんなかたいゲートボールのスティックで思いっきり殴られたあと、フライパンで叩きつけられたのだ、普通だったら致命傷ではなかろうか?

「だ、だけどほら? 俺はこうして無事なわけだし? 一線は超えなかったわけだし?」
「祐一さん動揺しとるよ、そんな語尾あげるんは昔の女子高生だけや」

 うん、少々取り乱したようだ。
 大丈夫、俺はこうして生きている……うろ覚えだが真っ暗なイメージの夢は多分疑似的な臨死体験だっただけで、今は一つの生命として息づいている。
 しかし、このままいくとまた話が拗れてしまいそうだ。
 いい加減次の問題にも進みたいし、こうしている間だって舞を探しに行きたいので無理やりにでも結論を急ぐ。

「ともかくだ、俺はお前を許す。お前も俺の怪しかった行動に関しては忘れて、やりきれない怒りとかも静めてほしいんだが」
「だからそんなの納得できるわけがないだろ!!」
「ならお前は何が不満なんだ? 俺を沈めたいわけでもなし、許したいわけでもなし。それとも何か? 俺に殴ってもらってお相子にしたいとかそんなこと考えてるのか?」
「そんなわけねーだろ!! お前はこれでいいのかって言ってんだよ!」
「いいんだよ。だからこれでこの話はおしまい。俺はこれ以上お前を責める気はないし、お前だって意味もなく騒ぎ立てたくないだろう? そりゃ確かにあやしい奴をほおっておけないのはわかるが、それはこれからちゃんと説明して、俺が怪しくないってことを証明してやるよ」
「……なんなんだよ、それ」

 ヴィータは心底理解できないといった様子で、俺を睨んでいる。
 わからないかなぁ、俺が言わんとしていること。
 ならしょうがないか、直接言うほかない。

「だからこれで和解しようってこと。俺はもう少しばかりこっちの街にいるつもりだし、その途中偶然出会ってまたドツかれたりしたらたまったもんじゃないからな。それ以前に俺はお前と仲良くなりたいって思っているんだよ」

 少しバイオレンスなところはあるが、こうも元気な子供は嫌いではない。
 特段子供好きというわけではないのだが、こういった手合いとは仲良くなってみたいと思うのだ。
 からかったりするのがとても面白そうだしな。
 勿論そんな本音は黙っているが。

「なっ――――! な、なに言ってんだてめぇ!?」
「うわっとぉ!?」

 いきなり繰り出された鉄拳をすんでのところで避ける。
 崩れかけた体勢を直すと、ヴィータはすでに俺から離れ、その髪同様に真っ赤な顔で睨みつけていた。
 なんだ、なんとなく上手くいきそうだったのに、なぜいきなり殴られそうになったんだ。

「うわー、至近距離でいきなりあの笑顔での仲良くしたい発言。なかなかの女殺しね、彼」
「そんな事を言われても私にはわからん」
「またまたー、シグナムったら惚けちゃってー」

 少し離れたところではシグナムさんとシャマルさんが何かを話しているが、ここからでは小声で何を言っているかわからない。
 ともかく、ヴィータだ。
 まるで人を警戒するような猫のような雰囲気で俺をにらんでいる。
 近づいたらなんか引っ掻かれそうだ。
 もし本当に猫だったら、名雪の場合こういう時でも無我夢中で突っ込んでいくのだろうが、俺は少し戸惑ってしまう。

「……ったく、わかったよ! 今回の事は全部水に流す、それでいいんだな!!」
「あ、ああ。お前がそれでいいなら全く問題ない」

 どうやって話しかけようと思っていたら、以外にもヴィータの方から俺の結論に同意すると言ってきた。
 少々拍子抜け、というのだろうか、どうしたら説得できるだろうと考えていたところに説得する必要がないといわれると、戸惑ってしまう。
 だが、いいだろう。
 向こうからもういいと言ってきてくれたのだ、どうしてと聞いてまた話を拗らせるわけにはいかない。

「だけど……その前に一つだけ言っとく」
「うん、なんだ? まだ何かあったのか?」

 ヴィータは離れていた分だけ俺に近づき、未だ赤みの残る顔を上げた。
 そして上目遣いともいえる形から、何度か言いよどむと、決意したのか一度深呼吸してから、その言葉を口にした。

「その……殴って、ごめんなさい。勘違いして、すみませんでした」

 それは小さな声だったが、俺の耳にはほかのどんな音よりも確かに聞こえた。
 恥ずかしさからか、それとも悔しさからなのか、ヴィータは言い終わると同時にすぐ顔を俯け、体を小刻みに震えさせていた。
 正直、言ってしまおう。
 俺はヴィータがとても可愛い奴だと、心底思ってしまった。
 こんな小さな子にその気はないと信じているが、なんかこう、心に来るものがね、あったわけですよ?
 表情には多分出ていない、出ていないと思いこんで、俺は辛うじて返事をした。

「……ああ。俺も誤解させるような事してすまなかったよ」
「――っ、これで貸し借りなしだ! 誤解すんなよっ、お前がまたはやてに何かしやがったら容赦なくぶったたくからな!!」
「こらヴィータっ、どこいくん!」
「部屋!!」

 ちょっと物騒な発言をしながら、ヴィータは俺から離れ家の奥へと走っていった。
 はやてちゃんの声にも勢いはなくならず、そのまま奥へと向かっていく。
 だが貸し借りってなんだ?

「俺をぶっ叩くのはいいが、知らない人をいきなりぶったりすんじゃねーぞー」
「するかバーカ!!」

 走り去る背中に向けて冗談混じりの忠告をして、帰ってきた罵倒に俺は溜息をついた。
 まぁ大丈夫か、あいつだって見境のないバカじゃないだろうし、素直なところはきっと素直のはずだ。

「さーて、ヴィータがいなくなったが、話を続けるか」

 とりあえず決着がついたのは一つだけだ。
 あいつに俺の身の潔白を話していないが、あの様子ならいつでも大丈夫だろう。
 それよりも今はもう一つの問題について話し合わなくてはならない。
 もう一つ、といってもこちらはそんなにかからないだろうが、先ほど俺に切りかかってきたシグナムさんの事だ。
 こちらについては、なんとなく予想がつく。

「では私の話か」
「大体予想つくけど、一応聞いとくよ。木刀で殴りかかった理由は?」

 俺の問いにシグナムさんは少しの間だけ瞳を閉じた後、答えた。

「第一の理由として、弁解の場だというのにふざけ過ぎていたお前に対する叱責のつもりだ」
「あー、やっぱりそうなります?」

 冗談で場を和まされたから、同じく冗談で場を盛り上げようと思ったんだが、ちょっとふざけ過ぎたようだ。

「それにあの供述では誰だって不審に思うにきまっているだろう。まともな答えとは思えん」
「え? あれは普通に答えただけだけど」
「……それは、本当か?」
「ああ、本当だ」
「…………そうか」

 あ、なんか物凄く呆れられた感じがする。

「その件についてはいいだろう。もう一つの理由についてだが、その事について質問がある」
「何なりと聞いてくれよ」
「では聞くが、お前は何故このような木刀……いやこの場合は模造刀といった方がいいか。この模造刀を持ち歩いていた? 単に稽古帰りなら別にかまわない。このような刀を使うような道場を私は知らんが、そういう理由なら納得できるが」
「あー、それね。なんと言っていいやら」

 少々答えずらい内容だからな。
 目的としては護身用であるが、あれは十二分に人を壊せるものだ。
 そんなものを常日頃持ち歩くような奴は、先ほどシグナムさんが言ったような特殊極まりない環境の道場での稽古か、あるいは単なる危険人物か。
 普通に考えるならそうなるだろう……前者はちょっと普通かどうかわからんが。
 とはいえ俺は稽古に通う道場生ではなく、ましても獲物を求めてさ迷う異常者でもない。
 しかしどういえばいいのかも、ちょっとわからないからな。

「話せば長くなるから、ちょっと省略するけど」
「お前の省略した話はアテにならなそうに思えるが?」
「……大丈夫、今度はちゃんと考えて話すから」

 どうやら先ほど説明した内容がえらく気に入らないらしい。
 あれは確かに言葉を端折りすぎたかもしれん。

「えーと、俺はこの街に住んでるわけじゃなくて、こっからかなーり離れた所に住んでるんだ。そこで知り合いがちょっとしたトラブルに巻き込まれて、いきなり家出しやがったんだ」

 本来はもう少し違って、切った張ったのトラブルに、家出というよりは失踪に近い。
 しかし本当のことを全部話してしまうと普通の人はかなり引くだろう。
 だからこの手の話をするときは少しオブラートに包んで話をしている。

「家出……ですか」
「ああ、一通の書置きだけのこして。そいつはちょっと危なっかしい奴で、放っておけないんだよ。それに、詳しくはわからんが……原因の一部に俺が含まれてるらしいんだ。何故だかしらんが俺から離れるためってことで、どっかにいっちまったわけ。俺はそいつを追ってここまで来たんだ。あいつがこの街にいるって情報を聞いたからな」
「それとこの模造刀を持ち歩く理由があるのか?」
「あるっちゃあるんだが、そいつは護身用だよ。探してる奴の関わっているトラブルってのは、ちょっと危ないって話だからな。有事なんてないに越したことはないけど、万が一ってことで持ってきた」

 話の観点は木刀を所有する理由の有無だから、こっちが抱えるトラブルの詳細は省いて話したが、逆に分かりづらくなったかもしれない。
 これなら最初から舞に関わる事を話したほうがよかったか? しかしそうすると、話の内容がまたそれてしまう可能性があるからな、まずはこのまま進めてしまおう。

「……まさか、な」
「ん? どうした、何かまたおかしなところでもあったか?」
「いや、なんでもない。こちらの気のせいだろう。お前の理由はわかった、決して善からぬ行いをするために持っていたわけではないのだな」
「そりゃそうさ。俺は通り魔なんてしたくもない」

 それに通り魔という存在には、心底嫌気がさしているしな。
 あの夏の出来事は、決して許されることじゃない。

「そうか。ならば私は謝らなければならないな。ヴィータと同様、下手に勘ぐってしまってな、こんなものを隠し持つ奴は怪しいと思い、警告のつもりでやってしまった。だが結果はこちらの勘違いになったわけだ。殴りつけたこと、そして私も少なからずふざけてしまったこと、共に心から謝ろう」
「そんなに畏まって言われると逆に困るよ。シグナムさんだってちゃんと理由があって、ふざけすぎた俺も悪い。だからこれもまた強引だけど両成敗ということで水に流そう。いちいち引きずるようなことでもないよ」

 それに打たれた腹の痛みは、既にない。
 これもまたシグナムさんが本気ではなかったという事だろう、以前舞にやられたような一時だけ痛むような技に似ている。
 技の意味は、警告。
 痛みを与えるのは最初だけで、あとに残らないようなよくわからん打撃。
 あいつは感覚だけで使っていたが、きっとシグナムさんは意識してやるタイプだろうな。
 なんとなく剣客っぽいし、この人。

「そうか……やはりお前はおかしな奴だな」
「俺は普通のつもりなんだけど、そんなにおかしいかね?」
「ああ、おかしいとも。普通なら、都合三度も殴りつけられていれば警察沙汰になっても不思議ではない。お前には十分その権利もあるし、事情もある。そうでなくても喚き散らすぐらいはしそうなものだ」
「あ、あははー。そうだなー、うん。確かにそうかもねー」
「……なぜいきなり妙な口調になる?」

 いや、だって警察ですよ、警察。
 ぶっちゃけて言えば、警察の世話になりたくないのはまず第一に俺なのだ。
 昼の痴漢冤罪騒動もさることながら、この街から遠く離れた場所にある高校に通っているはずの俺が、平日にもかかわらずこんな場所でうろちょろしているのだ、補導される可能性は非常に高い。
 どう転ぼうが高校へと連絡はいってしまうし、そうなれば秋子さんにも伝わるだろう。
 居候の身として、自分の我がままを聞いてもらった身として、余計な心配事は増やしたくはない。
 喚き散らさないのは、今までに似たような理不尽で不条理かつ出鱈目な出来事にいくつも関わってきたからだ。
 人間、慣れてしまうとこれくらいなら別にいいかなんて思ってしまう。

「さってと、これで全部きれいさっぱり清算完了ー。なんだかよくわからないけどお疲れさまー」
「疲れたのはお前が話をややこしくしたからだ」
「それは言わない言わない。俺だってその辺は反省してるんだから。んー、そういや俺、ちゃんと謝ってなかったな」
「でも祐一さんはどちらかゆうたら被害者やし、別に謝る必要はないと思うよ」
「そこらへんもあれだ、全部水に流すためのけじめってやつだな。というわけで――――お騒がせして、ごめんなさい」

 俺は腰をしっかり折り、八神家一同(一人除く)に向けて真心をこめた謝罪をした。
 これで、ひと悶着は終了だ。

「あ、あのー、実はまだ私に関する事、終わってないんですけどー……ぐすん」

 正直、忘れていた。








 そこからの事は、多く語る必要もない、他愛もない出来事だった。
 部屋に戻ったというヴィータがその後結局リビングへと戻ってきたところでシャマルさんに対する話が終わり、そこから談笑の時間だ。
 この際に俺ははやてちゃんの事をはやてと呼ぶことになり、はやてもまた俺の事を祐一さんではなく、ゆーちゃんと呼ぶことになったわけだ、嘘だけど。
 実際には祐一さんのまま、ヴィータの奴が祐一呼ばわりでシグナムさんは相沢、シャマルさんは相沢さんとなり、ザフィーラはバウバウと言っている。
 会話ははやての現状から始まり、シグナムさんたちとの出会い、それからの生活がとても楽しくなったという流れだった。
 その様子を語るはやてはとても楽しそうで、時折シグナムさん達に相槌を求めたり、ヴィータがこんなことをやってみたいななどと提案するなど、見ているだけでも心温まる風景と呼べるだろう。
 本来なら心行くまで会話を楽しみたかったのだが、俺も抱える事情が事情だ。
 舞の手がかりの一つも見つからない現状では、そうゆっくりもしていられない。
 俺はやる事があるから、と簡単に説明し、八神家を後にしようとした。
 その際、またひと悶着あったわけだが。
 はやてが何を思ったか、自分の家に泊まっていってなどと言いだし、これにシグナムさんシャマルさんヴィータプラス俺の必死の説得によって何とか諦めてくれた。
 多少馴染んだとはいえ、俺は見知らぬ男で、はやてとヴィータはまだ小学生の女の子、さらにシグナムさん達は年頃の女性、そんなところに泊まるのは、世間体にもよくないし、何かあってからでは遅すぎる。
 本音を言えば綺麗な人たちがいる場所で泊まりたいという気持ちもあったが、そこは舞への愛の心で抑え込んだ。
 知られれば何をされるかわかったものでもないし、恐怖の感情がないとは言わない。
 それに、間違いなんて起こすつもりは毛頭ないが、もし起こったとしても俺はシグナムさんに勝てない気がする……というより勝てんだろう、実際に戦ったわけではないが、避けられなかった木刀の一撃の事もある。
 舞と同レベルか、それ以上と考えた方がいい。
 あれは冗談でもなんでもなく、本当に避けれなかったからな。
 ともあれ、なんとか八神家に泊まることはなくなり、俺は自分の泊まるホテルへと向かうことになった。
 玄関での見送り、八神家一同が並び、中心にはやてがいる。
 感動とはいかなくとも、何か思うところがあるような雰囲気だったのだが、俺はもう一つだけ彼女たちに頼みごとをした。
 それは、帰り道だ。
 そういった瞬間の空気は、耐えがたいものだったが、しかしこれ以上迷いたくない上に、またここに戻ってくるのはここで道を教えてもらうよりも遥かに痛ましい。
 皆が皆呆れたような風で、それぞれちゃんと用意してくれると言ってくれたのがとても嬉しかった。
 シグナムさんが地図を探しに行き、ヴィータとシャマルさんは俺が泊まるホテルの場所を調べるために街情報誌を取りに行った。
 ザフィーラは音もなく二人のあとを追って行ったので、一時的に玄関には俺とはやてしかいなくなる。
 しかし、二人で黙っているわけにもいかず、他愛もない世間場話をしていたときだ。。
 そこで俺は、はやてに探している人は誰なのかを聞かれた。
 戸惑った、というのが俺の心情だった。
 正直に言って、俺はこの事を彼女、そして彼女たちに伝えたくなかったのだ。
 はやては間違いなく、探すのを手伝うと言い出すだろうし、シグナムさん達も協力するだろう。
 過ごした時間は極僅かだ、だがそれでも彼女たちならそうするだろうと思うのだ。
 街中で出会う人に情報を求めるのとは違う、彼女たちは実際に街を歩いて舞を探してしまうかもしれない。
 確かにそうすれば舞を見つける事ができるかもしれない、一人よりも遥かに効率的だ。
 だがそれは、舞を襲った連中と出会う可能性があるということ。
 危険に、巻き込むことになる。
 俺は、それだけは避けたかった。
 だから俺は誤魔化そうとした……曖昧な特徴のみを伝え、舞の事を本来とは違う明るい性格のように話した。
 だけど、全ては無駄に終わってしまった。
 子供だから馬鹿にしたわけではないが、舐めていたのは、事実だろう。
 大体を語り終えた後にはやてが言った言葉は――――嘘吐き。
 そして、馬鹿にしないでという訴え。
 見抜かれていたのさ、俺の薄っぺらな嘘なんてものは。
 そこからはもう、はやてのペースだった。
 嘘を見抜かれたことの動揺で、俺は安易な誤魔化しもできず、はやての質問に全て答えてしまったわけだ。
 勿論舞の超能力みたいなことや、相手もそれに似た力を持っていることは話していない、そもそもそんな話などしても信用してもらえるはずがないからな。
 結局はシグナムさん達が地図などを持ってくる僅かな間でしかなかったが、大まかな情報は話し終わっていた。
 探している舞の名前、身体的特徴と口癖、行動パターンだけなのでそう時間は掛からなかったのは当たり前かもしれない。
 八神家をでる間際、小学生のはやてに言い負かされてちょっと気落ちしていた俺の様子にほかの三人は何か言いたそうだったが、これ以上何か話していると本当に別れづらくなりそうだったので、道順に対しての礼を簡単に済ませ、またどこかで会えたらいいなと、そう言って俺は玄関を出た。
 思うところはある、また出会いたいとも感じている。
 だけどそれはまたの機会にしようと、俺は考えていた。
 舞を見つけ出し、襲ってきた連中との決着をつけ、何も後ろめたいことがない状態で、そこで改めて彼女たちに会いにいこう。
 出会ったのは偶然以外の何物でもなかったが、だからこそ俺はその繋がりを大切にしたい。
 舞との再会も、栞との出会いも、本来は偶然でしかなかったのだから。
 だから俺は、舞を見つけ出すことに、今まで以上に本気になると決めた。
 佐祐理さんや秋子さんとの約束を、ちょっとだけ破ることになってしまうが、これからはまともな聞き込み方法以外も試そうと思う。
 危ない橋を渡るかもしれない……でも、止まるつもりはなかった。
 もう戸惑ったり、躊躇することで手遅れになるのは、絶対に避けたかったから。
 とりあえず、果たすべき一番の目的は宿泊しているホテルにたどり着くことだ。
 しかしそれについては、実のところ特に問題なかった。
 手渡された地図はとてもわかりやすいもので、曲がるべき場所、注意して進む場所など事細かに書き込まれていたからだ。
 これはきっと、シャマルさんあたりだろうと思い、心の中で改めて感謝する。
 そうして俺は昼間の苦労が嘘のように、あっさりと見覚えのある街並みにたどり着くことができた。
 こんなことに苦労した自分の方向音痴が心底嫌になったが、そのおかげで彼女たちと出会えたのだから、世の中ってやつは本当にわからない。
 俺はなんだかとても久し振りに感じる宿泊ホテルにたどり着いたのち、三つあるエレベーターの一つに乗って一端部屋に戻り紙幣の補充を行い簡単に汗を流して、改めて出かけることにした。
 再びエレベーターに乗り込み、ホールのある階にとまりドアが開くと、聞こえてくるのは仕掛け時計の音色。
 時刻は、七時ちょっと過ぎ。
 出歩くにはちょっと遅い時間帯だ。
 今まではこのあたりで捜索を止め、ホテルに戻り情報を整理していた。
 だがよく考えればこの時間帯こそが、舞を探すのに一番いいのではないだろうか。
 勿論いらぬトラブルに巻き込まれる可能性はある、むしろ今までの経験上何かしら巻き込まれることだろうが、そんなのは構っていられない。
 俺はホールの受付に出かけてくることを伝え、もし万が一俺の探している奴を見かけたら教えてくれるよう頼んで、十一月の肌寒い空気が支配する外へ向かった。
 自動ドアを抜け、既に暗くなった空を見上げて、深く息を吸い、吐いた。
 それじゃ、進むとしよう。
 これまでのように、これまで以上に、一人で抱え込んだ大馬鹿野郎を見つけるために俺は止まることなく進み続けてみせる。
 だから、覚悟しておけよ、舞。
 絶対に――――見つけ出してやるからな。








 相沢祐一が八神家を去ってから、大凡一時間程が経過した頃、キッチンでは夕食の用意が進められていた。
 キッチンは車椅子であるはやてが調理しやすいよう、従来のものよりも少し低めに作られている。
 慣れた手つきで調理を進めるはやてのそばには、サポート兼修行中のシャマルの姿があった。
 その手つきはお世辞にもうまいとは言えず、野菜に包丁を入れる様子ですら危なっかしいうえ、本人の焦りからか手元が震えている。
 この程度だったら本来問題なく進むのだが、先の出来事により一つフライパンを駄目にしてしまったという後悔の念が、彼女の心を囃し立てていた。
 しかしそんなシャマルをはやてはそつなくフォローしているため、どうにか流血沙汰が起きたり料理に肉片が入ることもないだろう。
 だが目的がサポートであるはずの彼女は、今は間違いなく足手まといだった。

「うぅ、はやてちゃん……ごめんなさい。私ったら本当にダメね」
「そんな落ち込まんでええって。最初に比べたら見違えるほど上達しとるし、頼りにしとるよ」
「そのお言葉が心にしみます……」

 はやては際限なく落ち込みゆくシャマルに苦笑して、自らの作業に取り掛かる。
 幼いながらも落ち着いた動きで、さらに無駄がない。
 動線上には次の作業に必要な調理器具があり、調味料も用意されていた。
 てきぱきと野菜を刻み、肉の筋を取り除いて、最初に煮込んでいた素材の状態をチェック、すぐさま使い終わった調理器具を洗い、次の作業へと移る。
 シャマルがあたふたしながらも一生懸命やっているうちに、大方の作業は終わってしまっていた。
 その様子を見たシャマルはさらに慌てふためき、何を思ったか塩と砂糖を間違えそうになるという初歩のミスを犯してしまった。
 間一髪のところで料理の出来をのぞきにきたヴィータが発見し、事の無きを得たが、これ以上やると取り返しのつかない事態になるやもしれないということで、あえなくシャマルは調理場を去ることになる。
 その際の背中は、言いようのない悲壮感が漂っていた。
 こうしてキッチンにははやてとヴィータの二人となり、はやては簡単な手伝いをお願いするという形で共同作業が始まった。

「そういえばはやてー、最後祐一の奴しょんぼりしてたけど、なんかあったのか?」

 その合間、ふとヴィータが思ったことを聞いてきた。
 それは祐一がはやてに嘘を見抜かれ、さらに完全に言い負かされたショックを受けた時のことだ。
 話の内容を聞けなかったヴィータとしては、一体何があったのか気になるところなのだろう。
 はやてはその問いに、ちょっとだけ笑いながら答えた。

「それはな、祐一さんが私にしょうもない嘘つこうとしたから、馬鹿にせんといてって言ってやったの。そしたら祐一さんは慌てて、私が聞いたことにしどろもどろに答えてしもたんよ」
「ふーん、そうだったのか……って祐一の奴、はやてに嘘つこうとしてたのか!」

 自分の主が騙されそうになったのかと思い、ヴィータは叫んだ。
 なまじ祐一という人物を、ほんの少しでも見直してしまったがゆえ、その反動も大きかったのだろう。

「大丈夫やって、別に私を騙して危険な目にあわそう思ったわけじゃないし、むしろその逆なのかも」
「逆ってなんだよ?」
「私を危険な目に巻き込みたくないからって、そんな感じやと思うよ。祐一さん、嘘つくときすんごい済まなそうに話すんやもん、わかりやすすぎるよ」
「そっか、確かにあいつは単純そうだもんな」

 小学生の女の子に見抜かれ、同年代に見えるヴィータにまで単純そうといわれる祐一。
 本人がいたら、落ち込むことは必至だろう。
 はやてはヴィータの直情的な言葉にまた笑った。
 ヴィータたちが来てから、はやては本当によく笑うようになった。

「で、結局その嘘ってなんだったんだ?」
「んー、祐一さんが家出した人を探してこの街まで来たっていうのは知っとるよね。その人に関してちょっと聞いたら、すっごい曖昧な特徴と、後から聞いた内容とは全くちゃう性格を教えられたんよ」
「そういやそんな事シグナムが言ってたな。あたしは直接聞いてないけど」
「ヴィータは恥ずかしがって部屋に篭ってたもんなー」
「べ、別に恥ずかしがってたわけじゃ!」
「はいはい、そーゆーことにしとくよ。全くヴィータは素直やないんやから」
「だから違うってばー!!」

 顔を赤くして抗議するヴィータと、それを受け流すはやての二人の姿はどこから見ても仲の良い姉妹だ。
 本当は違くとも、この瞬間だけに限らず、彼女たちは紛れもない家族なのだろう。

「うー、はやてのいじわるー……」
「ああもう、いじけないいじけない。そないふくれっ面してもヴィータじゃ可愛いだけやよ」
「ふん……それで、結局あいつが探してる奴はどんな奴なんだ?」

 これ以上からかわれるのは御免だということで、ヴィータは話を変えた。
 本当ならもう少しヴィータと戯れたかったはやてだが、これ以上やってしまうと本当に拗ねてしまうかもしれないと思い、質問に答えることにした。
 そしてはやては祐一から聞いた内容を思い出し、言葉にしようとした――――瞬間。

「えっとな、探してる人の名前は――――」

 雑音、ノイズと呼ばれるような響きが、はやての頭の中で聞こえたような気がした。
 テレビに映る砂嵐の音や、電波が悪くなったときのような僅かな不快感がはやてを襲う。
 時間にしてみれば、ほんの一瞬だったろう。
 ヴィータには言葉に詰まったのだろうと思われるだけの、僅かな時間。
 しかし、それは確実に影響を与えていた。

「……えっと、あれ? なんやったかなー、ちゃんと聞いたのに」
「なんだよ、はやて。もしかしてもう忘れちゃったのか? まだ若いんだからしっかりしろよ」

 まだ若いも何も、はやてはまだ小学生くらいの女の子だ。
 記憶力も衰えるのではなく、磨かれていく成長期の段階である。

「おっかしいなー。絶対忘れるもんかって思うて、何度も頭ん中で確認したんやけど……」

 覚えていた。
 それは間違いない、つい先ほどまで鮮明にその名前を覚えていたはずだった。
 名前だけではない……特徴も、性格も、行動パターンも真剣に聞いて、ちゃんと覚えていた。
 だけど今、それを思い起こそうとしても、まるでノイズの酷い音声を聞いているようで、はっきりと認識できない。

『名前は、※※※って言うんだ』

 聞こえない。

『背は※※方だ※※※※、※型は※※も※ニー※※ルにして※※ずだ。口癖は※※※※※※※※と――』

 思い出せない。

『※※だが、気の※※奴※よ』

 どんどん、曖昧な記憶になっていく。
 どんどん、ノイズが酷くなっていく。

「はやてっ、大丈夫か!」
「ヴィー、タ? だ、大丈夫。ちょっと、眩暈がしただけや」
「顔が真っ青だぞ! そんなので大丈夫なはずがあるか!」
「大丈夫やって、こんなんいつもの事でしょ」
「だから心配だって言ってるんだよ! ちょっと待ってろ、今すぐシグナム呼んでくるから!」
「あ、ヴィータ待って……ってもういってしもうた」

 はやての静止の声はヴィータには届かず、あとに残るのは廊下を走る足音と、はやてを突如襲った不快感だけだった。

「疲れてたんやろか……今日は色々あったし」

 彼女が呟く言葉に間違いはないだろう。
 祐一と出会ってから先ほどまで八神家は慌ただしかったのは事実であり、病弱であるはやてが疲労を感じてもなんら不思議はない。
 だが、そうだとしても今の現象は不可解だった。
 自身が患っているのは身体的なもので、記憶には特に影響がないと担当医に聞いている。
 それなのに、記憶のほうにも何か影響があるのではないかと疑ってしまうほど、奇妙な感じであった。
 幸い、今は納まっている。
 ノイズのような音は聞こえないし、気持ちわるいわけでもない。
 でも、相変わらず祐一から聞いた内容は思い出せないまま。
 その事に自分の不甲斐無さを感じ、はやては一人、自分を責めていた。
 せっかく祐一に何かしらの力になれると思ったのに、それが叶わぬ願いとなってしまいそうだったのが、ただひたすらに悔しかった。
 出会って一日も経っていない、赤の他人ともいえる祐一のためにどうしてここまで思えるのか、はやて自身もわかっていなかったが、そんなものは問題ではない。
 力になりたかった、それだけが理由だった。

「大丈夫、きっとまた会えるはずや……」

 自分に言い聞かせるように、はやては呟く。
 保障なんてどこにもない、ただの思い込みに過ぎない事だが、今のはやてにはそれを信じるほかに手がなかった。
 そうしているうちに、廊下を走る音が再び聞こえてきた。
 ヴィータがシグナムを連れてきたのだろう、足音からしておそらくシャマルも一緒かもしれない。
 また心配をかけてしまった。
 先ほどとは違う後悔の念がはやての心を覆うが、すぐさま気持ちを切り替えた。
 ここで不安そうにしたら、余計シグナム達は心配するだろう。
 だから自分は平気だと伝えるため、はやてはいつも通りに振舞うのだ。
 今はそうするしかないのだから。

「やけど……気になるなー」

 それはノイズともいえる不快感を感じた時のこと。
 記憶が曖昧になる直前、はやては誰かの声を聞いた気がした。
 聞いたこともない、男なのか女なのかもわからない、ただ声のように感じたそれは、

「探さないで……かな」

 そう、言っているように聞こえたのだ。


















あとがき

 勢いに任せて書きなぐった結果がこれだよ!
 なんだか和解の部分がかなり無理やりになってますね、でも気にしちゃダメなんですよ?
 さて、ようやくです、ようやく終わりました。
 導入部だけでどんだけかけているでしょうね私は……未だA'sの本編に入ってすらいないんですよ、これ。
 伏線とか設定とか入れ過ぎたかもしれません、でも私は(以下略
 兎にも角にも、導入部は終わり、次回……正確にはもう一回だけクッションを置いて、本編の始まりです。
 舞はなのはと行動を共にし、祐一ははやて達との繋がりを持ちました。
 いなくなったはずの真琴、夢に出てきたいないはずのあゆ、彼女たちがどう物語に関わっていくのか。
 皆様が満足できる作品にできるよう、頑張っていきます。
 それでは、また次の作品で。




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