生徒の姿もまばらになり、部活の掛け声が外から聞こえてくる。

窓から入ってくる光は赤みを帯びて、窓枠や机によってできた影を一層際立たせている。

そんな一般的な学校の放課後の教室に俺、朝倉純一は立っていた。

普段は真っ先に教室から出て行くタイプの生徒の俺が、こんな時間まで教室に残っているのは非常に珍しいことだろう。

とりあえず俺自身の名誉のために言っておくが、決して居残りをさせられていたわけではない。

原因は俺の制服の右ポケットに入っている一枚の紙切れのせい。

これは朝、いつものように遅刻ギリギリになりつつもなんとか駆け込んだ時、靴箱に入っていたものだ。

自慢ではないが、見た目と裏モードの性格だけを見れば、一応美少女の部類に入るらしい妹や、歌の上手い学園のアイドルなどと親交がある為、靴箱にこのような手紙が入っていることはさほど珍しいことじゃない。

内容はみんな不幸の手紙の類なので本当自慢にもならないが。

しかし今回はそういった類のものではなく、俺に対する純粋な好意がひしひしと伝わるような文章が少し丸みの帯びたような字でつらつらと書かれてある――いわゆる恋文、ラブレターというやつであったのだ。

差出人の名前は……残念ながら書いていない。

非常にかったるいとは思うのだが、ここで変にすっぽかして女子の心象を悪くすれば、これ以上にいろいろとかったるい。

というわけで手紙の指示に従い、眞子や音夢の訝しげな視線も潜りぬけ、放課後の教室で一人寂しくその娘を待っているということである。


「たく、時間を指定してくれれば、こんなに待ちぼうけを喰らわなくてもすんだのにな」


本当にかったるい。

時計を見ると、結構な時間になっていた。

待ってた最初の頃はどんな娘なのだろうと期待に胸躍らせていたが、それも時間が経つとだんだんと薄れていき、今では誰でもいいから早く来て、告白でもなんでもしてくれという気分に変わっていた。

それでも帰らずに律儀に待っている俺はやっぱり馬鹿のつくお人好しなのかもしれない。


「はぁ、かったるい」


もはや何回目か数えるのもかったるくなるほどのかったるいを呟いて、俺は息をつく。

こうなったら意地だ、これは待ち合わせなんかじゃない。一つの戦争だ。

俺は敵地に残された敗残兵。ひたすら自軍の到着を待つことしかできない。

そんなくだらないことを考えながら、差出主の女の子という名の「救援」をひたすら待つ。

そして数分後。


「……早く来てくれよぉ」


未だに待ち人は来ず、俺はまだ一人教室にいた。

もしかしたら杉並のいたずらなのかもしれないという考えが一瞬よぎったが、頭を横に振ることでそれを否定する。

第一筆跡が違う……いや、奴なら筆跡くらい簡単に変えることができそうだ。

いや、でも、まさか。

疑心が疑心を呼び、ついに俺の心の最終防衛ラインが破られようとした時、ついに教室の扉が開いた。

そこから出てきた人は……


「朝倉」

「工藤かよ……」


クラスメイトの工藤叶であった。

来てくれたことは非常に嬉しいのだが、あいにく俺が待っているのは手紙を出した「女の子」であり、工藤は立派な「男の子」である。

そりゃ、俺の口からは落胆の声しか出ない。


「はは、ご挨拶だな。男の俺で残念だったか?」

「な、何のことだ?」

「ラブレター、貰ったんじゃないのか?」


非常に冷静に対応したつもりだったのだが、それだけで工藤は自身の推論を結論に昇華させるには十分だったらしい。

どうやら俺は嘘をつくのは性分的にも苦手なほうらしい。

今度ダウトをやる時は表情に気をつけよう。


「なんでそれを知ってるんだよ?」


少なくとも、俺は手紙のことを誰にも話した覚えはない。

杉並なら勘付いていそうだが、完璧に誤魔化しきった自信すらある。

……たった今、いとも簡単に見破られてしまったため、そんな自信は薬包紙よりも薄っぺらいものに成り果ててしまったが。


「そりゃ、わかるって。だって――





それ出したの、俺だし?」








「……はぁ?」


口に出した時には既に俺の視点は教室の天井に向いていた。

どうやら工藤がすばやく間合いを詰めて俺の足を払ったようだ。

そんな俺に跨る様に乗る工藤。

――工藤が上で俺が下。

相手が男だとしても女だとしても非常によろしくない体勢なわけで。


「あさくらぁ……すきぃ……」

「や、やめろ、工藤……俺は非常にノーマルなんだ」


いくら工藤が女顔だとしても男には興味はない。

だから耳元で艶やかな声で囁かれると困るし、俺の学ランのボタンをぽちぽちと外されるのはもっと困る。

何がとは聞かないでくれ。大人の事情だ。

抵抗したくとも、工藤の顔に似合わない怪力に上から抑え込まれて何もできない。


「ごめん……あさくら……俺、もう我慢がっ!」

「ちょっと待て! 我慢しろっ! ついでにこの拘束を解けっ!

 やめろ、やめて、やめてくださいお願します工藤様」

「いただきます」

「いやああああああああああああああああっ!」












「うー……あー……この後どうしよう〜?

 意外性を求めて敢えて工藤君を攻めにしてみたんだけど、やっぱり朝倉君を攻めにした方がウケがいいと思うし……でも、朝倉君て意外と攻めの匂いをさせておいて受け属性な気もしないでもないし、工藤君自体が誘い受けな感じもしないでも――」


暦先生に頼まれて(脅されてとも言う)次の授業の教材を運びに来ると、ななこが机でうんうん唸りながら紙に何かを書いている。

まぁ、あーだこーだと独り言を呟く姿は、はたから見るとかなり異質で、かなり怖い。

正直に言えば、俺も一瞬だが友達をやめたくなったほどだ。

クラスメイトもそんな異質な光景に何も言えない様な空気が満たしていた。


「何が攻めなんだ?」

「わっひゃあ?! あ、朝倉君」


とりあえずこのままななこが変質者扱いされるのはよろしくないので声をかけてやると、ななこはまるで漫画のような慌て方で机の上の紙を隠す。


「また漫画か?」

「う、うん。でも大っぴらにすることはできないから、プロットなんだけど」

「なるほど」


漫画に限らず、プロの人は創作物にはかなりの量の構想を組むらしいと音夢に聞いたことがある。

ななこは若いながらもプロの漫画家の一人、一作品の設定でもかなりの量を組み立てているのだろう。


「よければ内容とか聞いてもいいか?」

「だ、駄目です、全然駄目です、理由はいえませんけど駄目ですっ!」


俺が尋ねると、先程よりも更に慌てた様子でななこは首を左右に激しく振る。

若干日本語が変なのはそれだけテンパっている証だろう。

そこまで拒絶をされると逆に見たくなるのが男心ではあるが、正体を知ってる俺が駄目だというのだから、ななこの方にも出版社の守秘義務だとか、人に言えない訳があるのだろう。

さすがにそこを掘り下げて聞くのは悪いし、なによりかったるい。


「そか。俺には何も協力できんが、まぁ頑張れ」

「ありがとう朝倉君。朝倉君もちゃんと(主に登場人物で)役に立ってるから」

「なんか言ったか?」

「な、なんでもないです!」


心なしか、尻が痛くなった気がした。



おわれ