雑然とした部屋の中でを幾つもの部署がひしめいている。
怒号が飛び交い、鳴り止むことの無い電話に担当の者は休む暇を与えてもらえなかった。
二十代後半と思われるカッターシャツ姿の男が机にもたれかかっている。
隣に同じくカッターシャツ姿で頭の禿げかかった中年男性が使い捨てカイロを揉んでいた。
「あいつら、何者なんですか」
紙コップに注がれたコーヒーに口をつけながら、上司の姿を眺める。
普段慇懃な態度を取っている上司が、腰を低くして頭を下げる姿は滑稽だった。
「対人外生物執行機関、だと」
中年男性が無関心そうに答えた。
彼らの上司はまだ二十歳前後の男に取り入ろうと必死に見える。
使い捨てカイロを振る音が大きくなった。
「部長も部長ですよ。あんな学生風情の男にペコペコ頭下げて、見てるこっちまで情けなくなってきましたよ」
「そうだな。事件が終わったらハイ、サヨナラなんだからもう少し警察の威厳を見せてくれるといいんだがな」
「後ろの二人の方がよっぽど犯罪者らしく見えませんか? 黒眼鏡の方は薄気味悪いし、長髪の野郎なんか、あのやり取りを見てヘラヘラ笑ってるじゃないですか。俺達完全に舐められてますよ」
中年男性が視線を二人へ向けると、若い男がコーヒーを飲み干した。
長髪の男は以前金髪にしていたのか、縛っている部分から下だけ金色になっていた。
「放っておけ。『対マ』の連中はあまりいい噂を聞かないし」
「対マ? 何です、それ」
若い男が興味深げに聞いてくる。
中年男性の表情は変わらない。
「対人外生物執行機関の略だ。同期の奴に聞いたんだ。退魔師なんていう胡散臭い商売があるだろ。退魔師と対人外をかけて対マ、それから大麻もかけてるって言っていたなあ」
ようやく暖かくなってきた。
「確かに奴ら胡散臭そうですよね」
「死人が出るんだと、毎回」
カイロをハンカチに包んで懐に入れた。
「死人? あいつらドンパチでもやるんですか?」
中年男性がカイロの位置を調整しながら、紙コップに口をつける。
「ああ、本当にドンパチやって罪の無い一般人に被害が出る。俺達警察はそれの尻拭いをやらされる」
「ここは日本ですよ? もう少し面白い冗談言ってください」
周囲から失笑が漏れた。
中年男性はそれらを無視して話を続けた。
「今回の、連続殺人の犯人は間違いなく死ぬだろうよ。あの二人『執行者』が突入して犯人を射殺、刺殺、斬殺……とにかく殺して、目ぼしい者も皆殺しなんだと。対マの奴ら、犯人逮捕なんて最初から考えてないって、あいつ言ってたなあ」
執行者〜吸血鬼狩り〜 後編
作:流鳴
再び学校、学生達の登校風景は変わらない。
学校に続く坂道は学生で埋め尽くされていた。
坂道の中腹にあるロードヒーターの制御装置があいかわらず低音を発している。
地面から湯気が湧き上がり、アスファルトを伝って水が流れ落ちていく。
坂道の頂上にある校門を抜けて昇降口へ向かい、自分の教室へ入るとすでに同級生達が談笑していた。
「オス、相沢」
同級生の斉藤が挨拶してきた。
一緒にいた北川や男子生徒も眠そうな挨拶をしてくる。
昨日よりも血色がよくなった祐一がそれに答えると、斉藤の机の上に何か置かれているのが見えた。
自分の机に荷物を置き、斉藤の元へ向かう。
斉藤は珍しく新聞を広げていた。
「何故新聞……」
足を組んでテレビ欄の裏を読みながら、おにぎりを頬張っている。
どこの新聞かと聞くと、先月とは違う答えが返ってきた。
「それがさ。、勧誘のおじさんがいい人だったんだ。つい話し込んじゃって洗剤にトイレットペーパーつけるって言うだろ? それなら試しに一月契約結んだらさ。もう1ロール付けてくれたんだよ」
満足そうに話す斉藤に複雑な視線を投げかけたが、本人は頷くばかりで気づかなかった。
「契約固定しろよ。いい加減全国紙なのか地方紙なのか、どっちかにしてくれ」
北川が呆れたように言い放つ。
祐一も同様である。
「斉藤、お前。それ計算合わないぞ。この前チケットくれたの、3週間前じゃなかったか?」
友人の一人が二重契約だ、と呟く。
「え? そんなの関係ないって! おじさんがいい人だったんだぜ。それだけでも十分だって!」
そのまま豪快に笑う斉藤を見て、女子生徒から来る視線が痛い。
祐一と北川は顔を見合わせて嘆息した。
人がいいのにも程がある。
隣から「絶対だまされてるって」という声が聞こえた。
「洗剤はやらないからな」
斉藤が何かを抱きかかえるような格好をして、二人に言った。
そういう問題ではない。
「斉藤ってさ、NHKの受信料払ってるだろ」
北川は思いついたような口ぶりだった。
その問いに対して斉藤は不思議そうな顔をして返答した。
「当たり前だろ。国民放送の料金を払うことは法律で定められているじゃないか」
一瞬周囲が雑然として、すぐに水を打ったかのように静けさが広がる。
その反応に首をかしげる斉藤がいた。
沈黙を打ち破ったのは北川だった。
「そんな法律あったか?」
「いや国民の義務だとは聞くが……。あるにはあるんだろうが、北川の家は払ってるか?」
「その辺は知らないな。そもそも朝のニュースしか見ないぞ。相沢、というか水瀬の所はどうなんだよ」
祐一は数秒の間、あごに手を当てて考え事をする。
そしてある記憶に行き着いた。
「確か、払ってないはずだ。そもそも罰則規定は無いって話だし」
周囲が口々に『払っている』『払っていない』と言った。
それを聞いて斉藤が身を乗り出してきた。
「お前ら払えよ!」
大声で突っ込む。
すると少し離れた所にいた名雪とその友人らが、何事かと思い怪訝な表情で斉藤を見ていた。
彼はすぐにその視線に気づいたのか、にわかに頬を赤くして浮かせた腰を椅子に戻した。
「それはそうと、この記事なんだが……」
何事も無かったような素振りで新聞を広げる。
その様子に面食らったのか、周囲が呆然としている。
当然と言うべきか、最も早くこの沈黙から抜け出したのは北川である。
「何の記事だ? 誰か死んだか?」
「突っ込み無しかよ」
誰かが呟いた。
祐一がその記事を覗き込んだ。
「吸血鬼の仕業? 何だ、これ」
見出しの文字は地元紙とは思えないほど大げさな文字だった。
「吸血鬼だよ。全身の血が抜かれていたって話。何か浪漫を感じないか?」
斉藤が恍惚とした表情を浮かべていた。
心なしか声も浮ついているように聞こえた。
「浪漫って何だよ」
北川が呟く。
斉藤は意に介さず、『たまんねえよ』と呟いている。
祐一は斉藤の様子に呆れつつ、周囲の目を気にして彼に話し掛けた。
危ない人に見えたからだ。
「いつもの連続殺人か? この前俺が見つけたのと手口が違いすぎるぞ」
「そうなんだよ」
周囲の反応を無視したまま、斉藤は普通に受け答えする。
祐一は自分で言って思い出したのか、目元を指で撫でている。
「朝のニュースはこれで持ちきり。今もワイドショーでやってる。全国版だぜ? 不本意ながら俺達の街が有名になっているわけだ」
北川が割り込むと、斉藤が親指を立てた。
「人間の手口じゃないね、絶対。こんな手間のかかることやる奴はどうかしてるんだよ」
斉藤の笑顔は非常に不謹慎なものだった。
祐一は周囲を見渡した。
もう来ているべき、尚且つこの手の話題を好む人物がいなかったからだ。
「高遠の奴、遅くないか?」
近くにいた女子に聞いてみると、彼女は不満げに頷く。
「仮に吸血鬼が存在したとすれば、この手口も納得がいく」
北川が大真面目な顔をする斉藤の相手をしていた。
「そんなもの、斉藤の妄想だよ」
祐一は鼻で笑って独りごちていた。
街外れにものみの丘と呼ばれる場所がある。
その近くに古い住宅街が広がっている。
車が二台、余裕を持って通られる道路から離れた場所に、特に古びた木造アパートがあった。
赤茶色の屋根に灰色の壁。
各部屋に備え付けられている換気扇の隣には、銀色の通風孔が屋根に向かって延びている。
樹木の種類は分からないが、防風林として背の高い樹木がアパートを覆うように植えられている。
入り口には薄いガラス戸がはめ込まれており、最低限の断熱は行われているようだ。
中央の通路を挟むように十枚の扉が向かい合っていた。
扉同士の間には様々な紙が貼られている。
奥に見える階段に向かって、鍵束を持った50代程の女性が何やら不満げな声を上げている。
その後に警察官と眼鏡をかけた学生風の青年が続いた。
階段を上り、中年女性が部屋の番号を見て立ち止まった。
表札に『屋部』と書かれている。
「ここですよ、おまわりさん。変な臭いがするって苦情が出てるんですわ。ほら、臭いったらありゃしない」
鍵を差込み、乱暴な手つきでドアノブを回した。
「おまわりさん、ここの人。家賃を八ヶ月も滞納してるんです。電気代はきっちり払ってるみたいなのに。まあ、場所が場所だから空室があるもんでほったらかしにしてたんですけどねえ」
警察官と青年が扉の中を覗いた。
確かに臭かった。二人とも鼻をつまんだ。
警察官が中年女性を振り返ると、彼女も鼻をつまみ手で扇いでいた。
部屋の中は暗く、生活感が感じられなかった。
「部屋の間取りって、六畳と二畳の2DKでしたっけ?」
青年が顔を背けながら中年女性に聞く。
鼻声で『そうよ』と答えが返ってきた。
ペンライトで中を照らし、証明の在り処を探した。
「あのひと、ごみ出してないわね」
中年女性が言うように中はゴミ袋でいっぱいだった。
警察官が恐る恐る足を踏み出し、照明のスイッチに手を伸ばす。
ハエが集っているのか、その羽音が聞こえてくる。
『電気通ってますよね』警察官はそう言いながら、スイッチを入れる。
接触不良を起こしているためなかなか照明がつかなかった。
痺れを切らした警察官がスイッチをオフにして、もう一度オンにすると今度は素直に点灯した。
「ぎゃあ!」
突然中年女性が猫が踏み潰されたような声を上げたので、警察官と青年が驚いて彼女を振り返った。
二人は彼女の顔に驚いていた。
震えた手で部屋の中を指差しているので、視線をそちらに向ける。
すると三段に詰まれた半透明のゴミ袋が見えた。
床に散らかった新聞紙と牛乳パック。散らかった部屋。
パソコンが動いているのか、筐体のLEDが点滅している。
電灯のひもが腰ぐらいの高さまで延びていた。
視線をその辺りに漂わせると、ひも以外に大きな風鈴のようなものがぶら下がっているのが分かる。
恐る恐る天井まで確認する。
絶句。
青年がペンライトを取り落とす。
三人ともしばらくの間、言葉を忘れていたようだ。
「田良さん、どうしましょう」
警察官はかしこまった声で青年の名を呼んだ。
「警察、警察の応援を呼ぶんだ、だ」
歯茎が震えてしっかり発音できない。天井や壁をよく見れば何かが噴出したような模様が描かれていた。
ふとパソコンの駆動音が気になる。
ぎこちない素振りで警察官を見た。
「早く、早く呼びに行って」
努めて冷静に振舞ったが、やはり声の震えは隠し切れない。
警察官が内容を理解するのに数秒を要した上、廊下に出ようとした時に足をもつれさせて転んでしまった。
彼は中年女性にすがりつくような格好で立ち上がり、落ち着かない手つきで無線を使っている。
田良は息を止めながら持参していた白い手袋をはめる。
ペンライトを拾い上げ、パソコンの前まで行き、机に置かれた液晶モニターのスイッチを入れた。
見慣れた画面だが、最新のOSではない。
適当にマウスを動かし、待機中のアプリケーションを開く。
タイトルに『View』と描かれているので画像閲覧ソフトだろう。
案の定、縮小された画像が複数行に渡って表示された。
写真を拡大していくと、どれも同じ人物が写っていた。
それも友人同士で撮ったものではなく、盗撮されたものばかりである。
「涼風?」
ファイル名の頭についた記号を口に出す。
名は体を表すとはよく言ったもので、確かに画面に映っている女性は美しかった。妖艶な雰囲気すら出ている。
しばらく食い入るように見つめていると、警察官が彼の名を呼んだ。
「10分程したら応援が来るようです。田良さん?」
「あ、ああ」
一度肩を震わせてから空ろな返事をした。
呪縛から解き放たれたかのように画面から目を離す。
田良は心臓の鼓動が速くなっていることに気づく。まるで恋をしたかのように、締め付けられるような痛み。
急いで他の階層に移り、同じような画像を探す。
出てきたのは十代から三十代前半の女性の写真。さらに見慣れた場所が何枚も写っている。
さらに深く潜ると何人もの捜査員が作業している光景を見下ろした形で撮影した画像が出てきた。
そのうちにある階層名を見つけた。
『家畜』と描かれている。
好奇心。本能が警告する。
縮小画像の被写体はどれも複数人写っており、背景が暗い色で構成されている。
機械的に画像を拡大すると、そこに写っていたのは――。
「大家さん、警察の人がくるまでここに誰も入れないで!」
数百枚に及ぶスライドショーを見終えた田良は、青ざめた顔で怒鳴っていた。
そして早足で部屋から出ると一目散に階段を駆け下り、外へ向かった。
二重のガラス戸を乱暴に開けて、一番近くの植え込みの傍に立つとその場でうずくまる。
喉を熱いものが通り抜けていき、吐しゃ物を植え込みにぶちまけた。
いくらかして嘔吐感が無くなると、涙目で携帯電話を取り出してどこかに電話をかける。
無数の金属がぶつかり合う音が聞こえ、物々しい光景が広がっている。
大きく『生化運送』と書かれたコンテナを積んだトレーラーが、二台程警察署の裏にある倉庫内に停まっている。
警察車両を整備していた作業員が何事かと思い見ていると、コンテナが開かれ中から何人もの人間が出てきた。
近くでその中の1人と黒眼鏡の男が話し込んでいる。
コンテナから運び出されてきた縦に長い直方体についてらしいが、二人は日本語で喋っていないため内容が聞き取れない。
準備を整え車を受領しにきた警官が、直方体は蓋が背と垂直になるよう開いてから、側面を大手いた部分が前方に倒れこむ。
一度金属がスライドしたような音が聞こえたか思うと、黒く物騒なものが飛び出した。
警官は唖然として立ち尽くしていると、後からきた警官に頭をはたかれた。
「なにやってるんだよ。車が足らないんだよ、早く行け――よ?」
黒眼鏡の男がコートを前開きにしているのが見えた。
彼の身体には見慣れない道具が取り付けられていた。
「……軍隊か? 対マの連中」
次から次へと、日本では一生拝めないような代物が出てくる。
開け放たれた入り口から真新しいスーツを着た田良が歩いてきた。
「失礼」と、前を行く警官に声をかける。
彼は顔色が悪く、通り過ぎた後には石鹸の匂いがした。
「ヴィンセントさん。僕のを貸してください」
ヴィンセントが持っていた銃を戻し、代わりに所謂拳銃を取り出した。
グリップだけ黒く、その他の部分はつや消しの銀色であるため、安っぽい高級感を漂わせていた。
弾倉や安全装置などを確かめてから銃を懐にしまう。
唖然としている二人の警官に作業員が声をかける。
「車、取りに来たんですよね? 後詰まってますから早く来てくださいよ」
言葉は丁寧だったが怒鳴り声に近い。
後ろの警官が前を急かした。
所々油で汚れた整備服を着た男が腕を組んだまま立っていた。
憮然とした表情で同僚に車を回すよう伝えると、すぐに二人の前に走って来た。
中から作業員が現れて、楕円型のプラスティック板に『26』と書かれた鍵を前にいた警官に手渡した。
二人を呼んだ作業員が親指を立てて、先程のコンテナを指した。
「気にしたらきりがないから」
車を回した作業員が受領証を切って、鍵を持った男に渡していた。
外は暗く、薄い闇色の雲が空を覆っていた。
街の郊外、物見の丘と呼ばれる場所の対極に倉庫街が立ち並んでいる。
住宅街から離れた場所にあるため周囲に人気はなく、片側二車線に道路と歩道を区別するためにあるような雪の壁があり、茫洋に瞬く電灯が寂しげに立っている。
その一角の倉庫に数十に及ぶ人員が集まっていた。
倉庫の周囲を固めるように車が配置され、その後ろでコートを着た男達が息を殺している。
入り口が道路から見えなくなるような位置にコンテナを積んだトレーラーが駐車している。
入り口である扉の傍で、灰色のニット帽を被って大きな眼鏡をかけた男が落ち着かない表情をしていた。
男達の雰囲気と人数、彼の前に立つ両手を黒いコートに突っ込んだ黒眼鏡の男が醸し出す殺気にあてられていたからだ。
黒眼鏡の男の隣で、長髪に何故かカウボーイハットを被った男が背を向けて倉庫の屋根を見ていた。
彼だけは殺気もなく、緊張感もなく、ただにやにやと笑っていた。
「アッシュ」
カウボーイハットの男が呟く。
アッシュと呼ばれた黒眼鏡の男は黙ったままだ。
「いるぞ。小さいのが二人、美女が一人だ」
アッシュは黙ったまま、微動だにしない。
「画像の女だ。生で見ても恐いぐらいの美しさだな」
楽しいのか喉を鳴らして笑った。
「蒼、余り見るな。魅入られる」
日本人の発音ではない。どことなく引っかかった感じがした。
コンテナからスーツの上に安っぽいコートを羽織った田良が出てくる。
雰囲気に慣れていないのか身体中が震えている。
露出している肌がが寒さで赤くなっている。
もう一人コンテナから人が出てきた。
肩幅が広くがっしりした体つきでセミオートの銃を肩にぶら下げていた。
岩のような風貌だが真剣な表情である。
縦長の旅行用キャリアバッグを引いて、田良たちの元へ寄って来た。
「織部、ご苦労さん」
蒼がそう言うと、彼は野太い声で返事をした。
「いえ。それから配置完了とのこと。我々はいつでも行けます」
男は頷き、入り口に身体を向けて
「扉を開けろ」
入り口の鍵を持った男に伝える。
小さな鍵を差し込んで左に回す。
そして警官がかけ声を上げながら扉を左右に押し開けていく。
重苦しい金属音が周囲に鳴り響き、この場にいる者たちは神妙な面持ちで扉の奥の闇を眺めている。
闇の中から現れたのは何の変哲も無い荷物の類やコンテナと、棚に並べられた無数の段ボール箱。
埃の臭いがする。
低音が響き出して、天井にぶら下がった照明が点灯していく。
薄暗かった。
そして人影が見当たらない。
織部がキャリアバッグを開けると、八本の黒い棒が出てきた。
彼らが中へ歩き出すと、照明の角度が変わり、薄く汚れた柄であることが分かる。
しかし誰もその事に気づかなかった。
扉から異様な息遣いが聞こえてきたからだ。
蒼が柄を握り黒い棒を取り出す。
柄を鞘から抜くと焼かれた刀身が鈍い光を放っていた。
「皆殺しだ」
蒼が呟く。
それを扉の側にいた警官が聞いてしまい呆然となる。
「田良。分かってると思うが、俺たち以外が出てきたらそいつを撃て」
蒼が釘を刺すように言い放つ。
田良や織部たちは当然であるかのように頷きもしなかった。
その代わりに、その他の警官らはお互いの顔を見合わせている。
蒼と織部、そしてアッシュが倉庫に足を踏み入れた。
アッシュが手を突っ込んだまま周囲を見回している。
右手にコンテナが積まれ、左手には3mおきに金属製の棚が置かれ、彼らがいる通路は広く丁度フォークリフトが通れるようになっていた。
中央近くのコンテナに背を向けて、織部がキャリアバッグを置き、持っていた銃の安全装置を外した。
彼らを眺めるように無数の目が移動している。
蒼が視界に彼らを捉え、奇妙な格好をしている者たちに目を留めた。
それはカッターシャツにネクタイ、そしてズボンをはいていなかった。
彼らは細い腕を肩に担いでいる。
ぐったりとした女の顔が見えた。
そして垂れ下がった一物を見て、蒼は一度だけ口笛を吹いた。
やや俯き、襟元に取り付けられたマイクに口を近づける。
「女がいる。こんな所に行方不明だった女たちがいる」
田良が返事をする前に、二十個の血走った目を見つけた。
アッシュは蒼よりも一列奥にいた。
異様な息遣いと足音が近付いてくる。
アッシュは彼らに歩み寄りながら通路を確認していく。
入り口は開放されたままだった。
「屍食鬼ども、今更死にたくないとか、お目こぼしをとか、ガタガタ言う馬鹿はいるか?」
蒼の言葉、そして始まりの合図だった。
屍食鬼という言葉に反応した彼らが蒼とアッシュを獲物として認識する。
男とも女とも知れないうめき声が聞こえ、獣の咆哮が木霊する。
刀を持った蒼が駆け出すのと、アッシュが両手を彼らに向けるのはほぼ同時だった。
弾丸が彼らの頭を貫通していく。
無言で撃ち、簡単に殺す。
蒼が一人目に刀の切先を当てた時、アッシュが舌打ちした。
二人倒れたところで弾丸に気づき、三人目の額が貫かれ、四人目が倉庫の奥へ逃げこもうとしたとき左肩を破壊され、最後の一人は倉庫の奥へ跳躍し災いを逃れる。
アッシュは歩調を変えず、肩を抑えて立ち上がろうとした四人目の頭に弾丸を撃ち込む。
死。
もう一度倒れたとき、左肩から血が出ていなかった。
埃と女の体臭が付いたカッターには穴が開いているだけだ。
彼は一瞥しただけで奥へ逃げた五人目の方へ身体を向け、左手をコートに突っ込み歩き始めた。
彼の背中から3m離れたところでは、蒼の刀が舞う先で赤色の液体が飛散していた。
左脇腹から右鎖骨、右上腕、右腕、右脇腹から一直線に左へ、左大腿、もう一度刀を転じて左肩、左頬骨の下に沿って首を切断。
肉塊が床に落ちていく。
鮮血と呼ぶにはどす黒い液体が飛び散っている。
「ちぇ。汚い物まで斬ったな」
蒼が立つ場所だけ血が落ちていなかった。
返り血を一滴も浴びていない。
黒い刀にこびりついた砂のような血を払い、肉片に目を釘付けにされている四人を見てにやりと笑った。
その笑みには絶対的な優位性が築かれていた。
一人が蒼の目に気づいた。
底知れぬ闇に久しく忘れていた死の恐怖を思い出す。
扉の外へ向かって走り出した。
もう一人もそれに続こうとしたが、いつの間にか背後に移動していた蒼に足を切られて躓いた。
残った二人も肩から下を刀の錆に変えられていた。
足を切られた者が這って外に出ようとしている。
蒼は二人分の首を跳ね飛ばした後、先程と同じ場所にいる織部に視線を送った。
気の抜けた破裂音。
小さく頭が跳ね上がり、逃げようとする身体の動きが止んだ。
扉に到達した屍食鬼が後ろを振り返ると、片膝を立てて銃を構える織部の姿があった。
周囲がざわめいた。
大きく開かれた扉から、人が出てきたからだ。
恐怖に引きつった表情に、この場にいる者たちは驚き、彼らに憤慨した。
「あいつら、何て事を!」
近くにいた若い刑事が叫ぶ。
眩しいライトに照らされ白いカッターには余す所無く、赤黒く粘性のある液体が付着していた。
姿格好を見て、それが男であることを表していた。
「大丈夫ですか? 中で何があったんですか?」
若い刑事は通信に気を取られている田良を一瞥した。
すぐに男に駆け寄って肩を抱く。
男が彼の身体に抱きつく形になる。
田良は蒼から「行ったぞ」という言葉を聞いた。
そこで若い刑事が男を抱きとめている姿を見て、慄然とした。
懐に装備した銀色の銃を手に取り、狙いを定めながら叫ぶ。
「そいつから離れろ!」
男は長すぎる犬歯を剥き出しにして、血走った目で若い刑事の首筋を見ていた。
「何を言う。この人は被害者なんだ……」
刑事が振り返ろうとしたとき、男は首筋を噛もうとしていた。
何かが風を切る。
気味の悪い音と共に刑事の顔は血だらけになっていた。
さらに田良が銃を撃つ。
刑事の耳に爆音が轟き、男の頭に弾丸が吸い込まれた。
周囲の声が止んだ。
刑事が男の身体をずらして、地面に落とす。
その場で力なく尻餅をついた。
地面に銀色の金属棒、自転車につけるメカガードが突き刺さっていた。
「勝手な行動は困ります」
田良も引きつった顔で言う。
刑事は呆然とした顔をしており、田良が何を言ったのか聞き取ることができなかった。
アッシュは息を殺していた。
棚の奥に誰かの目が見える。
そこに向かって走り出し、何度かコンテナと棚を行き来した。
女の声がした。
恐怖の際に聞こえる金切り声とは違い、悦楽に支配された嬌声だった。
周囲を見回すと白熱電球が小刻みに揺れていた。
壁際に目をやると動いている。
少し近付くと壁際に裸の女性が鎖につながれていた。
「Shit」
アッシュは唇を噛む。
女の一人に近付く。
彼女は崩れていないウェーブの髪を揺らしながら顔を上げた。
目が合う。
強い瞳だった。
アッシュは兆弾に気をつけながら枷につながれた鎖を銃で破壊した。
首輪につながれた鎖の据え付けられた位置が悪いため、破壊をあきらめる。
「……助け、なの?」
彼女が呟いたので、アッシュが頷いた。
「名前は」
「美坂……香里」
彼女の左側から鎖の音がした。
二人が同時にそちらを向くと、屍食鬼がアッシュに飛び掛ってくるところだった。
すぐさま右手の銃を屍食鬼に向けて発砲した。
二発の弾丸が相手の身体を貫通したが、屍食鬼は構わずに着地して彼の銃を叩き落した。
銃は一度跳ねて、彼女の足に当たる。
アッシュは武器に執着せず、転がって屍食鬼からから間合いを取った。
屍食鬼が喉を鳴らす。
左手を屍食鬼に向けて、右手を懐に入れる。
屍食鬼のすぐ後ろには彼女の姿があった。
アッシュの右側から誰かが近付いてくる。
足音はすぐ側で止まり、白熱電球が顔を照らし出した。
今回の連続殺人犯と目されている男と同じ顔だった。
「屋部……!」
アッシュは驚き、同時に懐に入れていた右手を取り出して発砲する。
サイレンサーが付いていないため激しい破裂音がした。
「ひっ!?」
息を呑む音と共に弾丸が炸裂し、肉が爆ぜる。
男の左上腕から下がすぐ側にあるコンテナに叩きつけられ、赤い粉末が男の顔を染め上げ、涙腺が刺激される。
すぐさま状況を認識しようと左手を動かそうとする。
むずがゆく幻肢のような感覚の後、コンテナの側に落ちている腕を発見し、残った右手で左肩を抑えようとしたとき、喪失感を伴う激痛が襲い掛かった。
屍食鬼が涙を流しながら悲鳴を上げる男に気を取られたとき、アッシュが左手の銃で足を撃ち抜き、前のめりに倒れたところで頭を撃った。
そのまま男の方へ向かおうとしたが、背後に異様な気配を感じて立ち止まる。
コートの襟に装着された通信機に口を近づける。
「屋部庸輔を発見。左腕を損傷させた……」
再び異様な感覚に襲われた。
そして勘に従い、気配を追ってコンテナ群に消えた。
アッシュの姿が見えなくなると、悲鳴が入り口から聞こえてきた。
何が起こっているのか分からないため、女たちは怯えて声を失っている。
彼女は足に当たっている銃に気が付いた。
初めて見る殺し合いの迫力に圧され、転がってきたことに気づかなかったのだ。
しばらくして近くから足音が聞こえてきた。
バランスの悪い不慣れなリズムだった。
女たちは怯えてそちらを注目した。
必死に周囲を窺っている屋部の姿があった。
右手で左肩を押さえている。
彼女らを辱める時いやらしく笑った顔は痛みと涙でくしゃくしゃになっており、ひどく怯えている。
すぐ側に転がっている死体を見た後、すがるような目つきに変わった。
コンテナの壁二つ分程の距離から激しい破裂音が二回聞こえる。
その直後に一回だけコンテナが揺れた。
屋部や女たちの恐怖を煽っただけだった。
凄惨な様相に女たちの判断基準は狂い、どちらが悪者なのか判らなくなってきた。
彼女は屋部に気づかれぬように銃を取った。
グリップはまだ暖かく右手で握り、引き金に指を添える。
そして左手で右手首を守るように置いた。
正座をするような姿勢になり、股間に銃と共に両手を隠した。
屋部が近付いてくるのを待った。
「俺が何したって……へへっへ」
自分の罪を棚に上げるような言葉。
彼女は怯えを演じながら、両手から伝わる銃の感覚に胸が熱くなった。
鼓動が早くなり、冷や汗が背中を伝う。
両方の奥歯を噛み締めて立ち上がる。
「へ、お前……何、こんな時に疼いてんの?」
再び嫌らしい笑みに変わった。
屋部はぎこちない足取りで彼女に近付き、金属が胸に当たるまで異変に気付かなかった。
まず一発目が胸を貫き、上手い具合に背骨を削った。
屋部は急に足腰が言うことを聞かなくなり、彼女の足元に崩れ落ちた。
反動で後ろによろめいた彼女はすぐに体勢を戻し、困惑する屋部の顔に弾丸を撃ち込む。
残弾が無くなるまで顔や胸を撃った。
そして引き金を引いても衝撃が伝わってこなくなると、彼女は緊張が切れたのかその場に倒れこんでしまった。
音に気づき、戻ってきたアッシュは動かなくなった屋部の身体と、銃を握ったまま気絶している彼女を見て立ち尽くしてしまった。
再びマイクに口を近づける。
「犯人死亡。屍食鬼が残っている可能性あり。監禁されていたと思われる女性を数名発見した。毛布と救急車の手配を要請する」
彼女を一瞥し銃を取り返すと、屍食鬼を探すためにこの場を離れた。
その後、犯人死亡の報せと余罪の探求が為され、激しい論争を招くことになる。
注意:作中の固有名、人物名はフィクションであり、実在のものとは一切関係がありません。
後書
初めまして、流鳴です。
当作品を最後まで読んでいただきありがとうございました。
途中親のPCが昇天というトラブルがありましたが、何とか書き終えることができました。
さて、このSSには意味不明な部分が多数あります。
予め設定を読めばいいのですが、飛ばすと混乱するばかりか設定に書かれているにも関わらず登場しなかった人物もいます。
これは自分の力不足です。
反省点を挙げると限がないので、これにて退散致します。
感想:流鳴さん、どうもありがとうございます。
流鳴さん自身の後書きで力不足と書いてありますが、自分は決してそうは思いませんよ。
ホラーな雰囲気もうまくかもし出せていますし、会話のテンポも悪くないと思います。
自分も見習う点が多くて参考になりました。
それでは、流鳴さん本当にありがとうございました。
P.S.修正をするようでしたら、またお送り下さい。 改定いたします。