このSSには直接的な性的描写はありませんが、そのことが窺える描写があります。
なので、それらに抵抗を感じる場合、読まないことをお勧めします。
彼が彼女と再会したのは、出会った冬から時が過ぎ……雨の降る梅雨の時期だった。
「……さすが梅雨。いつも当たらない天気予報がさらに当たらない」
学校帰り、商店街へと中身の無い財布を手に彼は歩いていた。
そして途中、朝に見た天気予報では晴れだった天気は見事に裏切り、彼は雨に降られていた。
慌てて雨の当たらない場所へと逃げたのは良かったが、それからずっと雨は降り続け……その場から動けなくなっていた。
「朝は例によって寝雪のおかげで時間が無くて携帯忘れてきたし、濡れて帰る以外に手段が無い」
彼は空を見上げるが、見える限り厚い雲に覆われていて、すぐに雨は止みそうになかった。
「あ〜。明日からは置いていくか――ん? 天野」
もう何度か分からない決意を心の中で揺らしていたとき、彼女――傘を差して歩く天野美汐が視界に入った。
「……ああ、相沢さんですか」
呼ばれた名前に振り向いた美汐は、間をおき彼の名――相沢祐一の名を呼んだ。
「今、忘れてたろ」
「はい」
返ってきたのはどうとも取れる声色の言葉だった。
はい、ごめんなさい。はい、それがどうかしましたか?
この場合は一般的に二つに分かれる返答も、彼女の場合は他もありそうだった。
「あぁ、そうです。暇ですか?」
「暇だ」
即答。自分のペースを全く崩さない美汐に、呆気にとられた時に尋ねられた為に咄嗟に出た言葉だった。
「ではどうぞ」
差し出される傘。
差し出した為に、雨で自分が濡れているのにも拘らず、彼女は知らぬそぶり。
そんな彼女に、祐一の方が慌てて差し出された傘を手に詰め寄る。
「どうぞって、濡れるだろ!」
「それがどうかしましたか?」
「どうかしましたかって……おい」
歩き出す美汐に慌てて傘を差し出しながら追いかける。
同じ傘の下に入るのが少し恥ずかしく、彼女へと傘の半分以上を渡しながら…
主の証
〜首輪を繋がれた獲物〜
祐一にとって彼女の印象は……一言で言うならば、クール。
物静かで、話しかけても壁を感じられる。
元々、ものみの丘に住む妖弧のことがなければ、まともに話せるほどの知り合いにならなかったぐらいに。
学校で話をしている、それも日常会話をしているのは祐一と教師のみ。
その教師でさえ、本当に必要最低限の会話だけ。授業で分からなかったところや、必要な連絡のみ。
もっとも祐一も、一時期少し深くかかわっただけで、春休みのように学校が休みの日のときは会うことさえなかった。
学校でもすれ違ったときに挨拶をすれば頭を下げて反応があるぐらい。
そこにいるけど、係わることはない――それが祐一にとって天野美汐という人物を表す言葉だった。
美汐にとって彼の印象は……一言で言うならば、何もなかった。
ただ、自分が昔関わった物事に同じようにかかわっている人物。ただそれだけ。
話しかけたのも、ただの忠告のつもりだった。
それ以上は、自分から進んで話し掛けていくつもりも無かった。
その後数回会っただけで、会わなくなった。確かに学校ですれ違うぐらいはしたが、別に足を止めて話をしたことはない。
さっき名前を呼ばれた時も、しばし考え思い出すことで名前が出てきたぐらいに。
ちょっと話を多くした先輩――それが美汐にとって相沢祐一と言う人物を表す言葉だった。
だから今ここで出会ったのも、本当に偶然だった。
美汐にとって、家に帰ってなにをしようかと考えていたところに、暇そうにしていたから誘った、ただそれだけ。
祐一にとって、知り合いだから声をかけ、暇だったから彼女についていった、ただそれだけ。
もし、雨が降っていなかったらそれもなかった。
二人にとって、ただやることがなかったから――だから、誘いに乗った。ただそれだけだった。
傘から出ていた制服がびっしょりと濡れてしまった頃、彼女に付いて行き辿り着いたのは彼女の家だった。
なにも言わずに家へと入って行く美汐について、祐一も家の中へと入っていく。
家に入ってからも、適当にと一言だけ言って部屋へと消えて行く美汐。
そんな彼女の対応に慣れたのか祐一も、なんの気遣いもなく洗面所にあったハンガーに濡れた制服をかけて干していた。
水瀬家にも勝手に電話を借りて連絡し、居間で待つ。
まぁ、男を家に上げるのは良いのだろうかと小さく祐一は考えてはいたが、誘われた立場だし良いかと結論は出ていた。
「将棋と囲碁、どっちか出来ます? なんなら、チェスもありますけど」
「悪いけど、全部出来るし、強いぜ俺」
時計の音と雨に降る音だけが聞こえる中、勝手にテレビを見ているとようやく戻ってくる美汐。
手にはいろいろと遊び道具を抱えて。まずは将棋、囲碁、と両方が並べられ、元々この部屋に置いてあったチェスと並べていく。
それを見て祐一は長くなるだろうと、美汐の分と既に飲み終えた自分のお茶のお代わりを作りに台所へと。
「――お願いします」
「――お願いします」
始めは将棋、囲碁、チェスと続き……日の沈む時間など当に過ぎ、夕食の時間さえ過ぎるまでやっていた。
雨が止むまでの時間つぶしには丁度良いと、祐一は気軽に受けたつもりだった。
もちろん勝つ自信もあった。水瀬家では勝率は八割を越す。
負けたとしても、どっちが勝ってもおかしくない勝負だろう思っていた。
「まぁ、そこそこですね」
結果、惨敗。
「他の物にも挑みます?」
「ああ。次は絶対に勝つ」
鼻で笑った風に感じられる笑みに、祐一の心に炎が点った。
元々負けず嫌いであったのか、このまま引き下がるなんて絶対に出来ず、すぐさま山となった遊び道具の一つを取り出す。
カードゲーム、テレビゲームと数々のゲームで挑んだ。しかし、どれも祐一が勝つことは無かった。
元々、対戦していた水瀬家の面々は、明らかにポーカーフェイスが出来る者ではなかった。
唯一出来る大人の水瀬秋子も、自分から勝とうとは思ってやっていなかった。
つまりは、井の中の蛙。弱者の中での強者は、本当に強い者の前には彼も弱者であるということだ。
次の日。
「……あれ?」
窓から差し込む朝日と、側に感じられる温もりに目が覚めた。
「え……や、やっちゃた? マジ?」
見慣れない天井に見慣れない部屋。そして……同じベッドの中に、下着だけを着ている美汐。
祐一も下だけで、それ以外はなにも着ていなかった。
「……あー。そういえば昨日天野に誘われて――げ、寝ぼけた頭に記憶が蘇ってくる」
昨夜、時計の針が天辺を過ぎた頃、ようやく祐一は勝てるようになった。
戦っていたのが美汐でなければ、対戦相手の誰もが驚くほどの成長スピード。
集中力が極限の域まで達した祐一の強さは、それまでの弱さを強さへと変えていった。
ただ、それは既に遅かった。自分を高める為に、背水陣と賭けまで持ち出し挑んでいた。
すでに負け分が積もっており、ようやく取り返すことが出来るようになった頃には睡魔が限界を過ぎ、気分がおかしくなっていた。
「おいおい、なんて記憶だよ。賭けで服がなくなって自分を賭けた。それで負けた天野が…」
蘇ってきた記憶に、顔が真っ赤に染まる。
今を思えば、なんて賭けをしたんだろうと、後悔とは違うが謝らないといけないような気分になってくる。
あの時は互いに一切の戸惑いさえなく躊躇いも無かった。
自分を賭けることに、女として良いのだろうか……そう思うが後の祭り。
「とりあえず、なんて謝ろう」
「なにをですか?」
耳元で囁かれた声に、祐一の顔色が一瞬で変わった。
ぎ、ぎ、ぎっと、錆びたロボットのようにゆっくりと顔だけを振り向くと…
「なにを謝るのですか?」
「こ、この状態を」
「ああ、そうでしたね。獣に奪われちゃいましたね、初めて」
笑っていた。例えるなら、獲物を見つけたハンターのように。
その笑顔に背筋が凍り、自分は大人としての色香に惑わされ、罠に掛かった獲物だと自覚した。
「……もう学校も遅刻ですね」
「え? あ、マジだ」
時計の針は一時間目どころか、すでにお昼を過ぎようかとしている。
覚えている部分じゃ、寝たのは三時以降。
それを考えると、いつもの睡眠時間分寝ていたことになる。
「休みますか」
「ん?!!」
唐突に唇を奪われた。
それだけではなく、美汐はかけてあったシーツを大きく膨らませ、顔までも覆い隠し――
「確か賭けでは私も手に入れていましたね。昨日は奪われましたから、今日は私が貰いますね」
見えないシーツの中。一人の声と、一人の声が響き渡った。
互いに、その声に含まれる感情は違えども…
結局、その日相沢祐一と天野美汐は学校に来ることはなかった。
「まぁ〜、あの美汐が男の子を〜」
二人が学校へと来なかった次の日。
「…………」
祐一は頭を抱えて学校へと着ていた。
正確には、頭を抱えたのは学校に着き教室の自分の机へと座ってからではあったが……気持ちは学校へと来る前から。
「おはよ、うぉ?! ……えと、相沢?」
「……よぉ、おはよう北川」
「あ〜、大丈夫か?」
「大丈夫……別の意味ではやばいけど」
北川から見た祐一は、明らかに弱っていた。いつのも祐一じゃない姿に、つい本人か聞いてしまうほどに。
理由を知らない北川からは、弱っていることしか分からない。だけど、何かがあったのはハッキリと分かった。
「昨日、何かあったのか? 学校にも来なかったし」
「まぁ、あったと言えばあった。ただ、言えない。俺もまだ理解出来てないんだ」
「水瀬達には黙ってようか?」
「そうしてくれ」
それから数分後。香里、そしてHR後に名雪が来た。
昨日学校へ来なかった事を祐一は問い詰められたが、北川の援護もありその場はなんとかなった。
一時間目、二時間目、三時間目、四時間目と時間は過ぎ、昼休み……美汐がやってくると思っていた。
だけど、美汐がやってくることは無かった。
五時間目、六時間目、そして放課後……美汐がやってくることはなかった。
それから一週間、学校で美汐に会うことはなかった。
一週間後、同じ曜日の放課後……美汐の両親に拉致されるまでは…
「――まさか、美汐が家に男を連れ込むなんて思いもしなかったからな〜。
祐一くんと言ったかね。まぁ、親の私達でも把握できない娘だか、よろしく頼む」
「ほんと、家に帰ってきたら美汐の部屋から男の子の声が聞こえるんだから、お母さん驚いちゃったわ。
てっきり、あれからもう人を好きになるのは止めて、一人者のままで将来を過ごすのかと思っていたもの」
黒服にサングラスの格好をした美汐の両親に、無理矢理車に押し込められ再びやってきた天野家。
激しく抵抗した祐一だが、車の中にいた美汐に抑えられ、そのままやってきてしまった。
今日はお客としての対応なのか、茶菓子付きのお茶の用意も美汐がしてくれた。
未だに、会ってから一度も会話をしていない……話しかければ、あの笑みで笑い返してくれるだけの美汐に怯えていようとも。
祐一にとって、その笑みにどんな意味があるのか、知りたいようで知ってはいけない気もする笑みだから。
「母さん、美汐だって女の子なんだからそれはないだろう。私も見つかるとは思っていなかったが」
「やだ、お父さんたら〜。結局は私と同じじゃないですか」
「おお、それもそうだな。あっはっはっはっ」
黒服から着替えて、今へとやってきてから延々話続けている美汐のご両親。
美汐からは考えられない……と言うよりも、この二人から美汐が生まれたとは考えられないほど、明るくテンションが高い。
美汐自身、結構酷いことを言われているのに、まったく動じる素振りさえなく祐一の横数センチの間を開けて座っている。
この数センチが、近いのか遠いのかは微妙な所。
「あの〜」
「ん? なんだい。お父さん、娘さんを僕にくださいって言うなら、もう私は怒るけどね。
こっちから息子さんをくださいって言わせるつもりでいるからね」
「そうね。一人しかいないし、そこは相手の親御さんとも話し合わないと」
恐る恐る話に入ろうとするも、二人の話の展開についていくことさえできない。
心の中でいけないと思っていても、あまりの展開に思考がすぐに止まってしまう。
「二人とも五月蝿いです。もう少し落ち着いてください」
「そうだな」
「ごめんなさい、舞い上がっちゃった」
ちょうどお茶を飲み終えた美汐の一声で、ピタリと止まり落ち着きを取り戻す両親。
祐一にとっては天の声。ようやく話が進むと、心の中で大きく息を吐いた。
「で、なんだい息子よ」
「えと…」
息子と呼ばれ、思わず出そうとしていた言葉が詰まる。
しかし、それでは先ほどと同じだと、聞かなかったことにして話を進めようそう覚悟を決めて声を出そうとする。
だけど、一度止まった口は思いのほか言う事をきかず声が出せない。
「す、素敵なチョーカーですね」
体ごと前へ、祐一の方へと近づけて聞こうとする美汐の両親。
それにさらに声が出てこず、ふと目についた首にあるチョーカーに気がつき、声に出る。
声に出して後悔するも、すでに出た言葉を取り消すことも出来ず、また話が外れていくと思っていた。
「え、あ、これかい。うん、カッコイイだろ。母さんに貰ったんだ」
なにか窺うように、視線を横に移す美汐の父に、ゆっくりと祐一も視線を同じ方へ移す。
「結婚する時に、記念にってあげたのよ」
そう話す美汐の母は、見たことのある笑顔を浮かべていた。
すぐ先ほども、そして昨日も見たあの笑顔を。美汐の母親だと、はっきりと分かるあの笑顔を。
その獲物を見つけたようなハンターの笑顔に、祐一も向けられた訳でもないのに思わず固まってしまう。
「そうだ、私と勝負しましょうよ。賭けは無しでね」
「おお、私とも勝負してくれ。いつも美汐を相手にして負け続けなんだ」
まるで、そこから話を外そうとしているかのように、無理矢理別の話を始める美汐の両親。
それから数時間。夕食もご馳走になり、水瀬家への連絡もいつの間にかされていて、今日も天野家に泊まる事に。
そして…
次の日の朝。窓から入ってきた朝日に眼が覚めた祐一。
ふと、再びすぐ側に感じられる温もりに気づき、嫌な寒気を感じながらも自身にかけてあるシーツをゆっくりと捲っていく。
見えてくるのは、自分の肌、自分の胸、赤毛の髪――そこで祐一は諦めた―― 一気にシーツを剥ぎ取る。
「ん……寒いです」
同じベッドにいたのは一昨日昨日と同じ、下着姿の美汐。
シーツが剥ぎ取られてしまった為、肌に触れる温度にさらに祐一へと抱きつく。
抱き付かれた事により直接肌に当たる柔らかい感触に、思わず固まってしまう祐一。
今、自分かどれだけ大変な状況か頭が追いつかず、ただ何も出来ず動けない。
「……ふぅん。さすがに今日も学校を休むのはいけませんけど……それでもやりますか?」
「え……あ、あの美汐さん?」
胸に当たるものに気づき、下から覗き込むようにあの笑みを浮かべる美汐。
そんな笑みを浮かべる美汐に逆らってはいけないと、たった三日で染み付いた反応に思わず言葉が出てこない。
出てくるのは唾だけ。喉を鳴らし唾を飲み込むが、まるでなにかを欲するかのようにまたすぐに出てきて止まらない。
「ふふ。今は、これだけで――」
唇に当たる柔らかい感触に、固まっていた体から祐一は一気に力が抜けた。
口の中まで愛する濃厚なキス。舌同士が絡み合い、美汐から祐一へと唾が送られる。
すぐ側に見える美汐の顔が、あまりにも甘美で目を放せそうに無い。
祐一は気づいてしまった。もう逃げられない。心が彼女に捕らわれている。
今まで知らなかった姿に。自分だけに見せてくれる姿に。
自分だけの美汐に、祐一は捕らわれてしまった。
「――――……はっ! ……あれ、美汐?」
キスの余韻から目覚め、思考がハッキリした所で慌てて時計、そして部屋の中を見渡す。
既に部屋の中には美汐はおらず、置いてあった美汐の制服もない。
あるのは祐一の制服だけ。もう一度祐一は時計を見て、すぐさま服を着て居間へと向かっていった。
待っていてくれた天野家の皆と朝食を一緒に頂き、学校まで美汐と一緒に登校する。
ただ、朝とは違い……その間一切の会話はない。祐一自身何を話していいか分からず、話しかけられなかった。
無言での登校。息をするのさえし辛くて、今は自分の呼吸する音も大きく聞こえる。
祐一にすれば精神的か肉体的だけの差で、水瀬家にいた時の全速力でのマラソンとあまり変わらなかった。
学校に着き、それぞれ自分の教室へと別れる時も、挨拶の一つなかった。
やっと祐一が息をつけたのは、自分の教室についた後、登校してきた北川に話しかけられた時だった。
「おはよ、相沢。今日も疲れてるな」
「ああ。どうすればいいのか、分からなくて」
「そうか。んー……理由も知らないで簡単には言えないからな。どうしたものやら」
トレードマークである髪の触覚を揺らし、首を傾げる北川。
そんな北川を見て祐一は、唯一味方でいてくれると思う。同時、北川なら話してもいいかとも思う。
ただ、話しづらかった。こんな話をどう切り出せばいいのかと思うと、やはりいろいろと言い出し難かった。
「……北川、昼休みに屋上に来てくれるか。もちろん誰にも言わず一人で」
「…………おう、了解」
だけど覚悟を決め、北川に打ち明けることを決めた祐一。
北川は話してくれることが嬉しかったのか、それからすぐ登校してきた香里を誤魔化すのにも協力。
また、相変わらず起こさないと遅刻の名雪も、授業のチャイムまで祐一と一緒に話を逸らした。
一先ず、これで昼休みに彼女達に引き止められる心配だけとなった祐一。
それも三時間目の前、教師に気分が悪いと理由をつけて保健室へ行き、昼休みの十分前に屋上へと行く。
実際に疲れからか、顔色が悪かった為に簡単に保健室へと行くことが出来た。
こうして、なんとか祐一は一人で屋上へと来ることが出来た。
「……静かだ」
ポケットからタバコを取り出し、ライターで火を点ける。
立ち入り禁止の屋上でタバコ。いつから不良になったのだろうと、小さく笑い声を上げながら考える。
何時からか知っている、ちょっとしたコツで開く屋上の扉を抜け、ちょうど真裏に当たる壁へと凭れながら空を見上げる。
ゆっくりと体を下ろし、座り込みながら一息。青い空にタバコの煙が雲を作る。
「タバコ、吸うんだな」
「いや、ほとんど吸わない。ただ、こうしていると……なんか落ち着くから」
このタバコも、美汐の部屋にあった物。
灰皿もあったことから、美汐が吸っているのだろうと祐一は、止める目的で持ってきていた。
持ってきた自分が吸っている今を考えると、ただ自分が吸いたかったのかも知れないとも思ってしまう。
「イメージって奴だろうな。タバコを吸う目的に、ストレスとかの解消って聞いたことあるし」
声へと、ゆっくりと首だけを動かし振り向く。
学校へ来る時にでも買ったのか、コンビニの袋をぶら下げ立っている北川の姿。
咎めることもせず祐一と同じように壁に凭れ、祐一の持っていた箱から一本取り出す。
そして、祐一が今吸っているタバコを奪い、タバコ同士を当てて火を点ける。
「一応伝えとく。直行してたぞ」
「そうか」
返されたタバコをまた口にくわえ、今頃保健室にいない俺を探しているのだろうと、心の中で思う祐一。
だけど、それがなぜか遠く感じて、まるでもう昔のことのように感じられる。
たったの一週間前には、それが日常になっていたのに…
「……重要な所から話すぞ。俺、天野と寝た」
「え、はっ? あー、確認に聞く。天野って確か前に話に出た、一年の天野美汐?」
「そっ」
開いた口が驚きで閉じられない。確かにかなりの話だとは思っていた、ここまでとは思っていなかった北川。
いきなりの発言に、頭が追いついていなかった。
そんな北川に気づきながらも、祐一は振り向くことさえせずに淡々と話を進めていく。
「偶然出会って、雨が降ってたから止むまでの暇つぶしに誘われて、いつの間にかそれ忘れて暇つぶしの勝負に夢中になって。
それで、俺もなにがなんだか分からない内に一緒に寝てた」
「な、なに? 付き合いだしたとかじゃないのか?」
「……わかんね。ただ俺は、ずっとあいつのことが頭から離れないし、あいつといると飼われている自分がいるのに気づくし」
「おい、飼われてる? それってペットとかの飼われてるってことかよ?」
少しの間を置き、祐一は……首を縦に一度動かす。
既に祐一のタバコは二本目に入り、祐一がそれでなんとか心を落ち着かせているのを北川は分かっていた。
祐一の目がずっと空の遠くを見続けているのにも。そして、薄っすらと頬が赤くなっているのにも。
見ている方が恥ずかしかった。祐一の姿は、まるで一目惚れしたかのように噂の彼女を思い出しているようだったから。
「ほんと……複雑、だな」
三本目に火を点けようとしている祐一の手からライターを奪う。
奪われた祐一は、しぶしぶ火を点けずにそのままタバコを口にくわえる。
「体験したことないし、なんとも言えないけど……とりあえず、自分がそれでいいのか考えてみろ」
「それでいいのか?」
「このままの関係でいいのか。相沢にだって、自分が好きか嫌いか……どっちの感情か、分かるだろ」
俺にはそれぐらいしか言えねぇよ。そう言って、北川はタバコの火を消し、服についた土埃のカスを払い屋上を出て行く。
それ以上は自分で考えろと、ただ空を見上げている祐一を置いて…
「北川、飯食わなかったな――――好きか、嫌いか。好きに決まってんだろ。だけど、俺は……何で美汐に惹かれてるんだ」
好きの理由が分からないから、自分からは言い出せない。
ただ、体の関係を持ったからか。当てもない疑問がいくつも湧き上がってくる。
美汐はどう思っているのか、それも分からないから不安で怖い。
ただ成り行きのようで、美汐にすればどうでもいいのかとも思い、何も分からない。
「そういや……再会した時に相沢さんって呼ばれただけで、そのあと一度も呼んでくれてない。
やっぱ、ただの暇つぶしか遊び相手にしか思われてないのか―――」
祐一の呟きは、授業の始まるチャイムに消えていった。
その日の午後の授業、祐一が出ることはなかった。
放課後、水瀬家に戻ることもなく、祐一の足は……なぜか、自分の家に帰ろうとする美汐の後を追っていた。
後を追いかけるように付いて行く。追いつくことはない。後を、付いて行く。
美汐のことを好きだと分かっていても……最後の一歩が踏み出せないから。
離れることが嫌で、嫌われるのが怖くて、二度と話しかけてくれないのが恐ろしくて。
たった一言、好きだと言葉に出せない…
でも、家の前で振り返る手を差し出してくれた美汐の姿が嬉しかった。差し出された手が愛しかった。
一週間が過ぎた。
祐一の学校での生活はうわの空。授業もほとんどが頭に入らず、クラスメイトからは心配され、教師からも心配される。
放課後は、学校を出て家への途中の道で美汐を待つ。
やってきた美汐が通り過ぎるのを、付いて行く様に背中を追っていく。
そして、いつも家の前で差し出してくれる手を掴み、一緒に家の中へと入っていく。
たった一週間。だけど、祐一はその日々が今までで一番の日々だった。
唯一つ……変わらない、美汐との関係を除けば…
今日も祐一は、学校内では美汐と話すことはなかった。
偶然にも誰もいない廊下ですれ違うことがあったが、美汐は軽く頭を下げ挨拶を交わすだけ。
後輩が知り合いの先輩に会った程度の挨拶。祐一にすれば、寂しいことだった。
「はぁ〜……帰る」
「祐一、今日は部活がないんだよ」
「それに百花屋でパフェのフェアをしてるんです」
椅子から立ち上がり、鞄を持って教室を出ようとしたところを名雪と栞に腕を捕まれる。
祐一に拒否権はないのか、無理矢理連れて行こうとする。
少し力をいれて抵抗するも、諦めなさいと香里に肩を叩かれる。
「分かったから……引っ張るな、服が伸びる」
付いて来ると祐一が言った途端、力を緩める二人。
校門まで行くと、そこには水瀬家にいる筈のあゆも待っていた。
すこし、懐かしさと満たされる何かを祐一は覚えようとしながら、彼女らと一緒に百花屋へと歩いていった。
「…………」
そんな光景を……美汐は見ていた。
「関係、ありません」
パタンっと、靴箱を閉じる。
開ける時に力を入れすぎて、少し変形してしまった取っ手が外れるが、無理矢理はめ込み元に戻す。
そして、歩き出す……ゆっくりと。毎日の日常と変わらないように……変わらぬ自分を演じる。ただ、無性に……力が入るだけ。
歩き慣れた道をひたすら進み、家へと帰ってくる。
「…………っ!!」
ふと、玄関の戸に手が掛かる瞬間、後ろを振り返る。
誰もいない……それだけで、力が入る。
少し乱暴に玄関の戸を開け、靴を放り出すように脱ぐ。
「おお、美汐お帰り! なんだ、今日は祐一くんが一緒じゃないの――」
「うるさい!」
父の言葉を遮り、鈍い音と共に壁に突き刺さる美汐の腕。
白かった壁にひびの入り、凹みが出来た。
ゆっくりと美汐は腕を退かし、力なく腕を垂らしながら部屋へと歩いていく……途中、手に付いた壁の破片を払いながら。
「あら、あなた……どうしたの?」
「み、美汐がね、壁をね」
「あら? いったい何を言ったのかしら」
「お帰りって言っただけだよ〜、祐一くんが一緒じゃないのかっても聞いたけど」
「そう……祐一くんと喧嘩したのかしら?」
「なに?! 母さん、ミッションの開始だ!!」
「あなたは買物よ。私は美汐の様子を見ますから」
夕方の商店街。
祐一は一足先に百花屋を出て、ぶらぶらと商店街の中を歩いていた。
財布を持っていないからと、百花屋での自分の分の支払いは北川に奢ってもらい、何かと騒ぐ彼女達から逃げてきていた。
「……疲れた、だけか」
彼女達の時間は、なにも満たされなかった。
苦痛でない。だけど、楽しくもない、嬉しくもない……ただ、無駄に時間が過ぎている気がする。
こんな所いないで、他に行く所が在るのではないか……そう考える。
「ん? 祐一くん、どこに行くつもりだ」
「え? あっ…」
ただ歩いていただけ。目的地など考えず、ただ歩いていた。
「お帰り。それじゃ、私は買物に行って来るよ」
着いたのは、美汐の家。
何かを求めるように、祐一はここへと歩いてきていた。
「お帰りなさい、お父さんが帰ってきたらすぐに夕食にしますからね」
この家の住人じゃないのに、お帰りと迎えてくれる人達。
それだけで、少しだけ心が満たされた。そして、足はある部屋へと進んでいく。
更なる心を満たすために……彼女の元へと足は進む。
「美汐……入るぞ」
返事を待たずに戸を開け中に入る。
入った部屋の中は、タバコの煙が充満していた。
「吸い過ぎ、だな」
枕元――正確には、ベッドのすぐ側にある机の上に置かれた灰皿には、山となっている吸い終わったタバコ。
タバコの煙から始めに目が行き……その吸っている人物へと、次に視線が動く。
ただ真っ直ぐに、タバコから上る煙を見ている美汐に……視線が動く。
「窓ぐらい開けろよ」
窓を開け、側にあったノートを団扇代わりに、部屋の中の空気を追い出し入れ替える。
起きた風が美汐の吸っているタバコの煙を揺らし、祐一が部屋に来てから美汐の視線は……ようやく祐一へと動いた。
「部屋の中では吸わないんじゃなかったのか?」
タバコを持って行った事が知られたときに聞いた話。
部屋の中が汚れるから、ベランダに出て吸う。
そう決めた。それを祐一は美汐本人から聞いていた。
「…………さぁ、言いましたっけ」
「ああ言った。それにその手……なにやったんだ?」
美汐に近づき、包帯の巻かれた手を取る。
それを美汐は軽く払いのけ、吸っていたタバコを外し――唇と唇が一瞬だけ触れ合う口付け。
「別に」
外したタバコを祐一の口へとくわえさせ、灰皿を持って逃げるように部屋を出て行く。
帰って来たときは違い、軽い足取りで出て行く。
「はぁ〜。なんだ、いったい」
唇へと手を持っていくが、触れた口は……タバコの味しかしなかった…
次の日。
昨日も泊まった祐一。朝から美汐と一緒に学校へと歩いていた。
いつもと違い、その二人の距離が――縮まっていた。
昨日の夜から甘えている気がする……祐一がそんな気を覚えるほどに、美汐との距離が少しだけ近づいていた。
「それじゃ、また放課後に」
始めて学校で喋った。挨拶じゃない、約束を交わした。
歩いていく美汐の姿をしばらく見ていた後、周りに人がいたにも拘らず、思わず都合よく登校して来た北川に報告するほどに。
昨日から、距離が近くなっているのを祐一は……確かに感じていた。
そして放課後。
その日は終始ご機嫌だった祐一は、HRが終わった瞬間周りの声も入らずに鞄を持って教室を後にしていた。
階段をスキップで降り、玄関で靴を履き替え、校門まで後半分の距離という所まで誰の声も聞こえていなかった。
追ってきた彼女達に手を捕まれるまで。
「祐一さん! どこ行くんですか!」
「お、栞? なんだ?」
「祐一、一緒に百花屋に行くって約束したでしょ」
「はっ? そんなことしてないぞ。寝ぼけてるのか?」
祐一に約束した覚えはなかった。
放課後にと、美汐に言われた以上約束はする筈がない。
祐一にとって今一番の優先されることが、美汐との約束なのだから。
「あー相沢、一応言っとくぞ。お前が寝ている間に決まったことだ」
「返答は返していたわよ。うーん、って」
「寝言じゃねぇか! んなもの約束じゃねぇ、勝手に決めるな!」
そう言うも、名雪と栞は取り合わない。彼女達の中では、すでに行くことが決まっているから。
このままでは、いつもの様に行くことになってしまう。
見ている北川と香里も、すでに諦めたように見ていた。
「だから、約束があるから行かないって言ってる――美汐?」
周りに人垣が出来始め、皆が見ている中……突如現れた美汐。
祐一にすれば驚きであった。こんな騒ぎも無視して帰るのに、わざわざ見に来て騒ぎの中まで入ってくるなんて思いもしなかった。
でも一番驚いたのは……
「ん!?」
「「ああ〜〜〜!!」」
「なっ!」
「おおっ」
首に回された手。誰かが声を出す前に一瞬で近づき、唇同士が触れあう。学校という場、周りに人がいる場での……キス。
周りからいろいろな声が上がるが、二人が離れることはない。
一瞬触れ合うだけのものではない。長く、舌までが絡み合うほどで、見ているほうが思わず目を逸らしてしまうキス。
人によっては、それが慣れたものに見えた。いつの間か美汐を支える為に腰に回された祐一の手によって。
小さく、でも澄み渡った……鈴の音が聞こえるまでは、皆が声を上げても動きは固まっていた。
「――…………首輪?」
「私、かなり嫉妬深かったようです。いないのも我慢できなかったですし……まして、私じゃない誰かといるのにも」
首に手は回したまま、唇だけを離す。
腰に回していないほうの手を首に当てると、そこには鈴の付いた首輪。
ちょうど前から見える場所に鈴の付いた革で出来た首輪。
「宣言します。あなたは私のものです。誰にも渡しません」
首輪は、主としての証だった。
これは私のもの。私だけのもの。
「逃がしもしません。逃げるなどと、考えることさえさせません」
あの笑顔で笑っていた。獲物を捕らえるハンターの笑みで。
ただ、その笑顔を見るだけで……満たされた。心が一瞬で満たされた。
「帰りますよ……祐一」
「あ……おう!」
再会してから始めて名前を呼ばれた。
名前を呼ばれただけなのに、祐一は心躍る気持ちだった。
付けられた首輪が嬉しくて、自分のものだと宣言されたのが嬉しくて……今日一日が、最高の日だった。
「そんなのってあんまりだよ!!」
「そうです! どういうことですか、これって!!」
「まぁ……あなた達の負けってことね。我侭ばかりで、心を捉える事なんて出来る筈かないわ」
「そうだな。それにしても……相沢が惚れた理由、分かるわ。あの笑顔は落ちるわ」
次の日から、正式に美汐と祐一は付き合うことになる。
登校から下校まで一緒にいられる時間はずっといる二人の姿は、学校での名物となった。
片方が首輪をしているのも、大きな理由。
おまけ
「お義父さんのそれって、首輪だったんですね」
「ああ、付き合い始めたときにね……プレゼントにくれたんだ。首輪だって宣言してね」
「美汐は……お義母さん似ですね」
「間違いなく、そうだね」
あとがき
rk「大人の美汐はお好きですか? ……うわ、俺何を書いているのだろうか」
祐一「……間違いなく、いろんな意味で反響が来そうだな」
rk「だって、だって……某所のSS読んでたら書きたくなって、資料に美汐のSSを読んでいたら…」
祐一「こうなった訳か。一体なにを読んだ?」
rk「書きたくなったのが、昔大手投稿サイトだったサイトに投稿されていた、逆行SS。美汐が不思議な力を使える奴」
祐一「資料の方は?」
rk「俺の中で、某萌えとエロを両立させている氷○さんのサイトの、淡々系と言っているSS。
それと、デビルサマナーの祐一くんがいるSSを書いている○なさんサイトの、頭とお尻に美汐の名前が入っているSS」
祐一「性格は、書きたくなった方のサイトだな。雰囲気は資料か?」
rk「うん。資料の前者は、あのエロさを。後者は、絆というか繋がりを」
祐一「なるほどね」
rk「美汐のSSでは、どれも大好きなSSなのです。もう、凄いねの一言」
祐一「オススメだな」
rk「俺なんかまだまだな凄い人たちだよ。いずれあんなSSが書きたいです」
祐一「そうだな。それじゃ、また次のSSでお会いしましょう」
rk「また〜」
rk「なんか、返答が冷たくない?」
祐一「早く帰らないと、睨まれるんだよ」(首輪つき
rk「ああ、気にいられたのか」